北 欧 見 聞
紋別市水道部長 鈴木 富美夫

 はじめに
 北海道市長会第27回海外都市行政視察調査団の一員として、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、スイスの4カ国を訪問することになり、初めて海外に出る私にとっては、些かの不安を感じながらの旅立ちでもあったが、本やテレビの画像を通して間接的にしか知り得なかったヨーロッパ諸国の歴史、文化、風土などに直接触れることができ、貴重な体験をさせていただきました。このような機会をいただいた上司、同僚諸兄に深く感謝申し上げ、北欧見聞の始終を記すこととしたい。
 10月18日午前11時45分、スカンジナビア航空984便で成田空港からコペンハーゲン空港へと向かう。ヨーロッパ訪問の途の始まりである。離陸後はあいにくの曇り空で上空からは、雲間から僅かに陸地らしきものが見える程度。所要時間11時間30分の大半をイヤホーンから流れる心地よい音にうとうととし、これから訪れようとする国々、町々の情景をあれこれと思い描き、視察の行程などを頭に巡らせながら過ごしていく。急に機内が明るくなり着陸態勢に入るアナウンスに促されて窓のブラインドを上げると、眩しい日差しの彼方に北欧航空路の要衝なのかこの辺りには幾条もの飛行機雲が交差している。 地上の方に目を落としてみると湖沼が散在し、川がこれを縫うようにゆったりとうねり、キラキラと輝いて見えていた。機がフラップを広げ、大きく旋回しながら下降を始めると、バルト海に点在する島々の一つ、うす褐色に色を落とした草地の中、コペンハーゲンの空港が見えてきた。海を隔て国境を接しているスウェーデンの側から、この空港の沖にある小さな島に白く長い橋が続いていた。
 ほどなく空港に到着し、入国の手続きを済ませて手荷物を受け取り、市街地にあるホテルに向かう。
 高速道路を走るバスからの風景は、見るもの見るものが真新しく、脳裏に焼き付いていく。
 車窓を過ぎるもの言わぬ風景に見入っていると、ふぅっと現実から離れ、成田からの11時間余りの時空を隔てて、いつか見た記憶のあるテレビの画面の一コマに引き込まれたような錯覚に陥っていく。
 現実と夢幻とが錯綜し、戸惑いのうちにデンマークの首都コペンハーゲンで異国の地の第一歩を踏み、北欧見聞の序章は開けていく。

≪森と湖沼の国フィンランド≫
 19日早朝6時にホテルを出発し、空路ヘルシンキに向かう。1時間余りの飛行で点在する島々に続き、一面に広がる森林に覆われた大地が見えてきた。その森林のところどころにポッカリと穴があいたように切れ間があって、そこには工場があり、住居があり、道路があった。飛行機は、ヘルシンキの上空に差し掛かっていた。上空から見るヘルシンキの市街地は、街全体が豊富な緑の樹木に囲まれ、森の中に街が造られているような感じを受けた。
 フィンランドは国土の65%が森林、10%が湖沼で約19万もあることから、「森と湖の国」といわれている。森の樹木も松(ドイツトウヒ・樅)と白樺が多く、どこか北海道の風景に似かよっている。
 冬期であっても雪は余り積もることはないというが、気温が低く、道路がアイスバーン状態になるためスパイクタイヤが開発され、スパイクタイヤ発祥の地となっている。高速道路もスパイクタイヤによって削られるため、大型車の走行レーンには特殊な舗装工事がなされていた。
 ヘルシンキ市内の視察では、1952年にオリンピックが開催され、フジヤマのトビウオと言われた古橋選手や人間機関車ザトペック選手らが活躍したという「オリンピック記念公園」やフィンランドが生んだ世界的な作曲家ジャン・シベリウスを記念して建設され、パイプオルガンをモチーフにしたステンレス製のモニュメントがある「シベリウス公園」、花崗岩の岩盤をくりぬいて1969年に建築され、音響効果も良いためにコンサートにもよく利用されるという、テンペリアウキオ教会を訪れた。
 翌20日9時からはヘルシンキから車で1時間程のエスボー市を訪問、市の担当者から少子化対策、高齢者福祉施策の取り組みについての説明を受ける。
 エスポー市は、首都ヘルシンキに隣接する首都圏4都市のうちの一つで、人口約22万2千人。第二次大戦後に都市計画によって開発された都市で5地区に分かれ、それぞれの中心地に行政と商業エリアをもっている。
 これらの中心地を取り囲むように住宅地が広がり、周辺には豊かな自然が残されていて、近代的な都市と自然とが融け合い、緑豊かな街並みを形成している。
 エスポー市では若年層、老年層の人口流入が多く、また、教育水準、生活程度も高いことから平均寿命も長くなり、2030年には高齢化率は全国平均を大きく上回ってくるとのことで、高齢者福祉制度の見直しを行ったとのことであった。

≪スウェーデン≫
 ヘルシンキから船でスウェーデンの首都ストックホルム市へ。船中で一泊し、翌21日朝9時30分にストックホルム市に到着。ストックホルム市は、大小14の島からなり、旧市街地は13世紀から750年もの大変長い歴史のある街。この一画にあるストックホルム市庁舎は、ノーベル賞の授賞者の晩餐会が開催される「青の間」がある。また、2階には舞踏会が開催されるという「黄金の間」があり、1,900万枚を超える金箔を張ったモザイクタイルが壁一面に貼られ絢爛と輝いていた。
 このほか、スウェーデン国王が住む宮殿、国会議事堂等を視察し、ストックホルム駅から列車で産業クラスターをテーマに訪問するカルマル市へと移動する。
 22日9時、事業家でもあるカルマル市長を表敬訪問し、1時間ほどカルマル市の施策について説明を受け、この後、市の都市計画担当者からカルマル市で進めている再開発事業の説明を受ける。
 人口約6万人の都市で、1999年にカルマルソフトセンターが設立され、民間企業、カルマル大学、カルマル市の産学官のネットワークにより、互いに協力体制を作り、国内外からの進出企業に対して「出会いと橋渡し」の場を提供し、企業誘致の促進を図っているとのことであった。
 また、カルマル市では現在、北欧では一番のルネッサンスの様式、形式を残しているといわれるカルマル城を中心とした旧市街地と調和のとれた新たなまちづくり事業を推進しており、この一環として、旧造船所跡地の再開発事業が進められている。
 カルマルソフトセンターは、この中核施設として建設されたとのことである。

≪デンマーク≫
 23日9時カルマル駅から列車で再びデンマークの首都コペンハーゲン市へと向かう。
 途中、スウェーデンのマルメ駅を過ぎたあたり、コペンハーゲン空港の上空から見えた、海上に架かるオアスン橋(全長16km)を渡る。上に自動車、下に鉄道が走り、国境の架け橋となっている。
 小さな島は人工島でスウェーデン側からこの島までは橋で、島からは海底トンネルでコペンハーゲン空港駅に繋がっている。午後1時頃コペンハーゲン駅に到着し、早速、市庁舎、国会議事堂、宮殿等市内視察する。
 宮殿の前方には港を挟んで近代的なオペラハウスが建築中であり、コペンハーゲンの象徴である人魚姫の像は何者かによって爆破され、修復のため台座の石だけが寂しく残っていた。
 港の沖の方に風力発電の白い風車がいくつも並んでいるのが見えていた。
 24日8時半ホテルを出発し、コペンハーゲンから西に車で1時間30分。環境保全対策をテーマにカルンボー市(人口約2万人)を訪問した。
 車で移動中、高速道路沿いの農地には風力発電の風車が数基ずつ何カ所も設置されていた。この風力発電は、多くは電力会社が建設したものであるが、農家が出資して建設したものもあるとのことである。
 カルンボー市では、デンマークで一番大きな電力会社である「エネルギーU」のアスネス発電所で産業シンバイオシス(共生)について説明を受ける。 このアスネス発電所はデンマークで一番の発電所で年間1,307mwの出力を持つ石炭火力発電所。この発電所が核となり石膏ボードの製造会社、土壌改良の会社、石油精製会社、製薬会社、廃棄物処理会社らが互いに各工場から排出される廃棄物や熱エネルギー、排水などを再利用し、最終処分される廃棄物を最小限に抑制するとともに、一方ではコストを縮減していくという産業共生が実践されていた。
 午後からはカルンボー市長を表敬訪問し、市の概況を聞く。市には、1,800人の職員(このうち300人は教員)がおり、市の予算の8割が人件費関係とのことである。また、贅沢な悩みと前置きして、工場の進出が急速に進み、人口が増え税収も上がる反面、新たなインフラ整備や住宅の建設、学校等の公共施設の整備に頭を悩ましているとのことであった。

≪スイス≫
 25日8時50分、コペンハーゲン空港から航空機でスイス、チューリッヒへ移動する。
 チューリッヒ空港からはバスに乗り換え、スイスの首都ベルンを経由して北アルプス、アイガー山の麓、グリンデルワルドへ。
 高速道路をしばらく走るうちに白い頂の山々が見えはじめてきた。バスはやがて、高い山々に囲まれた狭い谷間を縫うように走り、傾斜のある山裾にかけては牧場や草地があり、ログハウス風の家々が散在するスイス特有の牧歌的な風景が続く。こうした景観を保持するために建物の建築も規制されているのか、住居も、工場も、店舗も、ホテルも、畜舎までもが外壁が角材を積み上げて造られたようなログハウス風の建物に統一されている。
 グリンデルワルドは、狭間を登りつめた北アルプスの山々の山懐にあり、眼前にはアイガー山が大きく立ちはだかっている。初冬の清新な空気、真っ青な天空に白い稜線が鮮やかに浮き出て見える。喧噪と雑踏から離れ、壮大な風景に心も和んでくる。
 翌26日は、登山電車で標高3,454mのユングフラウヨッホに登る。ここは日本からの観光客も多く、あちらこちらで日本語が聞かれ、駅のそばの土産物屋では流ちょうに日本語を話す店員もいた。
 日が下がり始めたころ、バスで最後の訪問地ルガノ市へと向かう。4時間あまりの行程である。
 ルガノ市は、ルガノ湖の湖畔にあり、イタリアに近く言語はイタリア語。サン・サルバトール山など眺望の良い山があり登山電車も走る。13世紀に建てられた古い教会もあり、石造りの建物が続く旧市街地は、市庁舎、銀行などのオフィス、商店、レストランなどが入居している。
 スイスは世界の金融市場に大きな影響を持つ金融の国でもある。ルガノ市でも4人に1人が金融関係に携わっているといわれ、71の銀行がありスイスで3番目の経済の中心地となっている。イタリアと国境を接していることから、イタリアから多額の資金の流入があるとのこと。
 翌27日ルガノ市の旧市街地を視察したあと、ルガノ市庁舎を訪れ、市長はじめ市の幹部と懇談、午後には、コンベンション施設の視察をする。
 市長からは、ルガノ市の概要と現在進めている施策の説明を受けたが、ルガノ市の経済は、第一に銀行をはじめとする金融関連、次にツーリスト関連であり、商工業がこれに続いているとのことであった。特に観光に関しては、5人の評議員のうちの1人が責任者として、ツーリスト関係の業務を担当しており、市の施策として力点を置いているように感じられた。 ルガノ市は、スイスでは特異な温暖な気候であり、また、山があり、湖がある風光明媚な景観と古い歴史、由緒のある建物で形成された街並みなど、観光資源には非常に恵まれた地域で、他の観光地と比較しても優位に立つものと感じられたが、市では、今後とも国内外からのツーリスト誘致ために、観光施設の整備、コンベンションセンターの増改築などを積極的に進めていきたいとのことであった。

おわりに
 10月17日からのヨーロッパ4カ国の行政視察調査もルガノ市の視察を最後に、翌日ミラノ空港からコペンハーゲン空港を経由して、一路成田空港まで飛び、無事に日本の地を踏み終了した。
 このたびの視察研修では、我が国とは異なった、それぞれの国の歴史、文化、風土に直接触れ、私にとって大きな財産を得ることができた。同行された団長はじめ各位に厚くお礼申し上げる次第です。今後は、この貴重な体験を活かし、微力ながら、市政の一端に少しでも貢献できるよう、なお一層の努力をしていきたいと考えておりますので宜しくお願いいたします。