◆主要研修課題 〜観光振興とコンベンションについて 1.はじめに グローバル化の波は物、金、情報などとともに、世界的な規模で人々が行き交う大交流時代をもたらしてきており、各国では、世界の国々、世界の人々と観光を通じた交流拡大を図ろうとして、国際観光に新たな価値と将来性を見出していこうとしている。 日本においても今、観光立国を目指して、地方公共団体などとも連携した諸対策を進めるため、「観光立国行動計画」を立てようとしており、また、北海道観光においても、国内観光が低迷する中、東アジア地域を中心とする国際観光客は増加の傾向にあることから、今後の観光振興策には国際的な視野に立った取組みが求められているところでもある。 このことは北海道への流動人口が増加し、道内経済に大きな波及効果をもたらす重要な課題であるとして、北海道経済連合会の平成15年度重点課題の一つにも掲げられている。 北海道の観光は、雄大な景観と四季折々の新鮮な食材など、多くの特色のある観光資源に恵まれ、今後さらに進展する要素を多分に内包しているが、このためには解決すべき課題も挙げられている。こうした中、先進諸国の方策に習うことも解決の糸口を探る一策に当たらないだろうか、と思いつつペンを手にした次第である。 2.スイスの地方制度 スイスは23の州があり、連邦民主制の政治形態をとっている。州には一院制の州議会が置かれ、州議会の議員は、住民の直接選挙によって選出され、原則として他の職を兼ねることもできる。選挙の方法は比例代表制か又は多数代表制、定数は52人から200人、任期は1年から5年となっており、それぞれの州の定めによってさまざまである。 州政府は州の行政を執行し、その構成・権限は、各州の法令の規定によりそれぞれ異なっているが、5人〜9人の参事で構成される合議体で意志決定がなされている。 参事の任期は4年としている州が多く、州民の直接選挙で選ばれ、州により比例代表制か多数代表制の選挙方法を採っている。 州政府は議会に対して責任を負わない制度となっているため、州議会は州政府を解散させたり、参事を解任するといった権限は持っていない。州知事は一般的には任期は1年で、参事が輪番で務め、一部の州を除き再選することはできない。また、連邦レベルでの大統領と同様に他の参事に対して支配的な権限を持たず、参事の中の単なる首席に過ぎない。 州政府の事務は、部、課に分掌されていて、参事がそれぞれの部を担任し統括しているが、大きな州を除き、部局の数や職員数は日本の自治体のように多くはないようである。 市町村の行政機関は、選挙人団(市民権を行使できる者の集団)により選出される数名の市町村参事による合議制で運営されており、小さな市町村の参事は、パートタイムで職務を行っていることもある。 市町村長は、一般的には選挙人団が選出することになっているが、一部の州では参事が輪番で務めるところもある。 大都市には州と同じように、専門の公務員が多数いて市町村の業務に当たっているが、小さな町村の中には、公務員は名誉職として事務長と収入役だけがパートタイムで従事しているようなところもある。 スイスの市町村の公務員の数は概して少ないようである。人口千人から1万人ぐらいまでの市町村の公務員は、ゼロから400人で、平均しても40人くらいの職員数にしかならない。職員が少ないのは、行政の業務であっても民間人が従事しているケースや、行政ボランティアという制度も国内で広く存在していることが原因しているようである。 スイスには、3,020の市町村があり、規模は人口20人の村から35万人のチューリッヒ市まで、大小さまざまである。市町村の人口を平均すると約2,200人。人口の少ない数千人規模の市町村が大半を占めている。スイスと同程度の3,000余りの市町村も存在している。 人口1億2千万人、面積37万kuの日本では、いま、これを合併により三分の一程度にしようとしているが、民主主義の歴史の違いなのか、国情の違いなのか、住民自治のあり方、住民の政治への関わり方に日本と大きな差違があるのを強く感じた。 3.観光立国であるスイス スイスは九州とほぼ同じくらいの面積で、人口は約732万人、このうち三分の二は都市部に住み、その約半分は、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーブ、ベルン、ローザンヌの五大都市に集中しているという。また、この中には観光、ビジネス等で長期滞在する人や外国人の数も含まれ、約20%にもなるという。 スイスは賃金水準が非常に高く、世界の都市の中でもチューリッヒが一番高いということである。また、生活費は物価が高いために世界の都市15位以内にスイスの4都市が入り、オスロ、香港、東京に続き、チューリッヒ5位、バーゼル8位、ジュネーブ10位、ルガノ11位となっているとのことである。 スイスは観光立国の国であるが、2002年のスイスへの観光客の入り込み数は、前年と比較して減少しており、アメリカ人が17%の減、日本人が15%の減で、この理由としてスイス観光局の関係者は、スイスの物価高と賃金の高さを挙げている。 また、首都ベルンでの今年前半期の観光客の入り込み数も昨年同期に比べ減少してきており、これはイラク戦争の影響でアメリカ人が16%の減、SARSの影響で日本人が30%も減少したことによるものであるという。 スイスは世界を代表する山岳観光地でアルプスの山脈に囲まれた非常に自然の美しい国である。誰もがその壮大で美しい山岳と牧場(まきば)の緑、丘に建つチャペル、こうした特有の情景に憧れをもってスイスを訪れる。 家々のベランダに置かれたプランターには花々が咲き、庭の垣根や芝生は綺麗に刈り込まれている。だが、スイスは観光立国というだけにこうした景観、風景を「きれい」に保っていくために、並々ならぬ努力が払われているようである。 景観を保持するための「きまり」があり、建物のデザインや色、庭の木々や花々の手入れが義務付けられていたり、嘘のような話であるが、夜間や休日に大きな音を出す作業が禁止されていたり、農家の人が鍬を持って道路を渡る時の姿勢に至るまで細かに規制されているところもあるというのである。 思い当たるふしもある。高速道路では土日の大型車の走行は禁止されていたし、酪農家の畜舎の付近には、日本のように家畜の糞尿が野ざらしになっているようなところはなかった。道路脇や空き地に雑草が生い茂っていたり、廃車や廃棄物、廃屋が野山にさらされていることもなかった。 ここまで何ごとにも気を配り徹底しているのを目の当たりにすると、不思議なことに牧場で草をはむ牛馬、山々の木々まで自然のすべてのものまでもが、こうした「きまり」に従っていて、スイスの景観が形づくられているように思えてくる。 観光立国ゆえにスイスの国民は、国を挙げて大切な観光資源である景観を守り育て、保つことにお金をかけ、労力をかけ、気を遣っているのであろう。 4.南国風の観光リゾート地、ルガノ市 コンベンション、観光振興策をテーマに訪問したルガノ市は、スイスの23の州の一つ南部のティチーノ州にあり、イタリア北部のロンバルジア地方と国境を接し、ルガノ湖北岸に位置する。スイスで一般的な山岳観光地とは一風異なった南国風の観光リゾート地でもある。 旧市街地は、イタリアルネッサンスの影響を受けた石造りの建物が建ち並び、街の周辺には、サン・サルバトーレ、モンテ・ブレ、モンテ・ジェネローゾなどの眺望の良い山々があり、山頂へはフニクラ(登山電車)も走っている。 都市近郊には、イタリアからの密輸の没収品を集めた「密輸博物館」、スイスのものが全てミニチュア展示されているという「スイスミニチュア」、ドイツの鉄鋼王バロン・テッセンの近代絵画のコレクションを公開している「ピナコテーク」等があり、スイスでは数少ないゴルフ場まである。 また、イタリア国境近く、ルガノ市郊外のフォックスタウンでは、120店余りのブランド品の店舗が並び南ヨーロッパ最大のアウトレットモールが国内外からの観光客が立ち寄りブランドショッピングで賑わっている。 ルガノツーリズム(ルガノ市観光局)では、「ルガノは、知的なバカンスを過ごすのには理想的な場所であり、歴史的な中心街、多くの催し物、多様な選択肢のあるエクスカーション、たくさんの文化的事業が国際的な規模で行われている」と観光案内「LUGANO」で紹介している。 5.ルガノ市の旧市街地 ルガノツーリズムのサシャ・フォン・ビューレン氏、ミセス・グリニョーリ・洋子氏の案内でルガノ市の旧市街地を視察することができた。 はじめに訪れたのは、ルガノ湖の畔にある3万7千uの面積を持つチャーニ公園。この公園は、ミラノの銀行家が所有していたものを1912年にルガノ市が18万スイスフランで買収したもので、市街地にあることから市民の格好の散策の場となっている。 この公園に隣接するバロック風の建物は、1866年に貴族の邸宅として建てられ、今は自然史博物館となっている。隣り合わせには、近代的なコンベンションセンターがある。公園から湖畔沿いに旧市街地に連なる道筋の両側にはマロニエの並木が続いていた。 湖上で取り壊し作業をしている風変わりな建築物があり、訊ねてみると、サンカルリーロという建造物で、ローマにあるサンカルロ教会を真ん中から真っ二つに割った状態を原寸で模造再現したもので、木片を積み上げて築造され、高さが33m、400m3の木片が使われたとのことである。一風変わったこの建物は、サンカルロ教会を建造したティチーノ州出身の建築家フランチェスコ・ボルニーニ(スイスの100フラン札の肖像画)の生誕400年を記念して世界的に著名なルガノ市の大学の建築家マリオ・ボッタ等が中心となり1999年に建設したとのことである。5年間の約束で建てられたことから今年中には全部取り壊されるとのことであった。 ルガノ湖を介した対岸にはサン・サルバトーレ山(912m)があり、山頂からの眺望が良く、110年も前から山頂に向かうケーブルカーが敷かれている。山の麓はパラディールと呼ばれる地区にホテル街があり、この周辺には高級住宅が建ち並ぶ。この一帯の光景がリオデジャネイロに良く似ていることからリトル・リオデジャネイロと呼ばれているという。この山の左側の湖岸にはカンピョーネという街がある。ここはスイス国土の中にあるイタリアの飛び領地でヨーロッパで有数のカジノの街となっているとのことである。 ルガノ湖は、面積48kuでスイスでは、7番目に大きな湖。湖上にイタリアとの国境線があって、湖の約30%がイタリアの側にあり、湖上で遊ぶ観光客が知らずに越境し罰金を支払うこともしばしばあるという。 ルガノ市の市街にはピアッサと呼ばれるたくさんの広場あり、このうちの一つ、リフォルマ広場(別名:ルガノ湖の庭)に行く。中世の時代には家畜市場が開かれ、近世に入ってからは、火曜、金曜に朝市が開かれ賑わっていたという。いまは、大道芸人のショウが催されたり、ジャズフェスティバルのような何万人も集まるような大きな催し物の会場としても利用されているとのことである。 この広場に面して、石造りの新古典主義様式のルガノ市庁舎がある。1844年にティチーノ州の州都の建物として建てられたものだが、当時の州都はティチーノ州に所在する3都市(ルガノ市、ロカルノ市、ベリンツォーナ市)が2年ごとに持ち回りで受け持っていたため、州都の庁舎として使用されない期間は、ホテルとして利用されていたとのことである。 広場の周りには、レストラン、カフェテリアなどがあり、店の前のあちこちにはテーブルと椅子が置かれてオープンカフェになっていた。この広場から石畳の敷かれた道路を進んでいくと、馬車が往来できるほどの道路の両側に、いかにも古い歴史と由緒の有りそうな、美しい飾り窓のあるバロック建築の建物が並ぶ。一階の道路側の部分はアーケードのようになっていて歩行者が通り、道路は馬車が走りやすいようにと車輪が通る部分は大きめの平らな石が敷かれている。 建物は資産家が代々にわたって所有し、今は銀行等のオフィスや店舗、レストラン等の営業のために賃貸されているとのことで、おそらく何十億円もするであろうこうした資産であるが、スイスでは日本のように相続税が高くないために相続して代々引き継いでいくことができるのだそうである。 視察の最後に、15世紀に建てられたデリ・アンジョリ教会を視察した。この教会には、レオナルド・ダ・ヴィンチと共に学んだといわれるベルナルディーノ・ルイーテがフレスコ画で描いた、スイスルネッサンス最大の宗教画、「最後の晩餐」と「受難」の壁画がある。 旧市街地は、ルガノ駅からも近く、隣接するリフォルマ広場を抜けるとルガノ湖畔にも出られ、旧市街地を取り巻くように、コンベンションセンター、カジノ、チャーニ公園などが所在し、徒歩圏内に中世期からの歴史的遺産、ショッピング、自然景観からカジノに至るまで、数多くの観光施設が凝縮されている。 6.ルガノ市の施策と観光政策 ルガノ市を公式訪問し、ジョルジオ・ジュディチ市長からルガノ市の施策について説明を受けた。ルガノ市は人口約3万人、周辺後背地域を含めると約12万人ということである。市の重要事項の決定は、5名の評議員で構成される評議委員会で決定され、評議員は4年ごとに選挙で選出される。 市長は4年の任期で評議員の中から選ばれる。現在の市長の任期は、2000年から2004年までとなっている。ジョルジオ・ジュディチ市長の本業は建築家で、1984年から市長を務めている。市の経営全般と外国人の措置を担当し、副市長と他の評議員は、水道・電気などの公共施設関係、金融・交通機関のサービス関係、文化機関の関係などを分担し、それぞれのスペシャリティとして動いているとのこと。 また、ツーリスト関係についても評議員の一人が責任者となって業務がなされているとのことである。 市長からはルガノ市の概要と現在、市が進めている施策について説明を受けた。ルガノ市では40のビルディングがあり、大きなダムもあって水力発電も行われている。 また、スイスの中で3番目の経済都市で71の銀行があり、これに関わる公証人や不動産等の機関もたくさんあるとのことである。ホテルも54あり、年間88万人の宿泊客が訪れる。 産業関係では、薬品、食品の研究機関、エレクトロニクスの研究センターがあって、欧州では重要な存在となっているとのことである。 いま、ルガノ市で進められている新プロジェクトとして、周辺8地区との合併があり、2004年の合併後には「新しいルガノ」と呼ばれるようになるとのこと。 合併が実施されることにより、面積約49ku、人口5万2千人となり、スイス国内で人口が21番から9番目に、面積は61番から8番目に、産業では23番が10番目になるなど、この効果は非常に大きい。 さらに将来的には残りの周辺地区も合併していきたい考えを持っているとのことであった。 また、レークサイド新計画として、ルガノ湖を中心とした開発事業が進められているとのことで、ミュージアムの建設をはじめとして、高級マンションのほか色々な要素を持つ多目的な複合的建築物の建設や船着き場、湖水浴場の整備、ルガノ駅の改修などが計画されている。 スイスでは、ドイツ語圏、フランス語圏がリードする傾向にあったが、これらの計画を積極的に進めることにより、今まで後発地域であったイタリア語圏のティチーノ州やルガノ市の立場も変わってくるとのことで、この計画には相当大きな期待がかけられているように感じた。 ルガノ市では3年前に、旧病院の建物を利用して経済、建築、コミュニケーションの3学部からなる大学「ユニバーシティ・イタリア・スイツァランド(UIS)」が開設されたという説明があったが、この大学は前述の著名な建築家マリオ・ボッタの尽力により開学が進められたとのことであり、彼の師事を求めて日本から入学する者もいるようである。 観光政策については、ルガノツーリズムの担当から説明を受けたが、ルガノ市の観光は、1800年代に始まり、観光地としての歴史はかなり古くからのことで、北のハンブルグ、南のシチリアの丁度結節点にあり中間点でもある地理的条件の良さから観光地として栄えてきたとのことである。当時のルガノを訪れるツーリストは裕福な階層が多く、ゆっくりと時間を過ごす滞在型で、ホテルも高級志向のものが多かったという。その後の1970年代には北部からの交通路に道路トンネル(ゴートハルトトンネル長さ17q)が完成したことにより車での往来が一段と便利になり、国内からの一般観光客の来訪や新たな観光ルートの開設で、観光客は益々増加することになった。 しかし、そう何時までも良いことばかりは続かず、旅行エージェントがチャーター便を繰り出して、ギリシャ、エジプトへの観光売り込みをはじめたことが契機となって観光客の志向も地中海へと変化しはじめ、スイスへの観光客は次第に減少していくことになったが、ルガノ市にとって良かった点は、他の観光地のように「観て回るツーリスト」だけではなく、銀行が数多くあるために、商業活動のためのビジネスを目的とした動きがあり、また、折良くコンベンションセンターが完成したこともあって、これを活用しツーリストの減少をイベントの誘致により補うことができたということである。 現在はドイツ、イタリア、フランス、イギリス、アメリカなど欧米からの入り込み客が多くを占めているが、東南アジアにも市場拡大を図っており、日本にも近々進出の予定があるとのこと。既に日本語版の観光案内も作成されており、日本向けのホームページの開設も準備しているとのことであった。 ルガノツーリズムが誕生して5年目になり、広報宣伝、観光案内の業務も、ルガノ市内はもとより、市外にある52の観光オフィスとも連携をとりながら、広域的な取り組みも進められており、特に日本からの観光客には大きな期待を持っており、専任の日本人スタッフを配置して、スイス観光に訪れる日本人観光客の誘引や日本市場への新たな取組みが進められていた。 7.コンベンションセンター コンベンションセンターは、ルガノ市が所有し、運営は市観光局が担当している。 センターは通常時9名のスタッフで運営(技術者3名、運営担当3名、清掃担当3名)されており、イベント開催時には別途人員配置されている。 センターの運営費が、使用料収入を上回り赤字ではあるが経費の節減等により赤字額を減らす努力をしてきているとのことであった。 大きな国際会議であれば2,000人から3,000人の参加者があり、6日間の期間に一人1,000フラン(約8万円)の消費支出があったとしても相当の金額がルガノ市に落ち、税収増にもなってくるとのことで、ツーリストとコンベンションとを併せた見方をすれば最終的には市の利益につながってくるとの説明であった。 長年のイベント誘致活動と開催実績から、毎年あるいは隔年で開催される会議、イベント、催し物も年々定着してきており、今では市の経済に与える影響も非常に大きく、金融関連、ツーリスト関連に次ぐ状況にあるが、今もなお、コンベンションの誘致活動について、ツーリストと併せて、各種イベント誘致のプレゼンテーションを積極的に展開している。 また、狭隘となってきた施設、設備の改修が進められており、現在、約280台収容の地下駐車場を建設中である。今後は、展示スペースの不足から800uくらいの増築を予定しているとのことである。 8.おわりに 北海道観光は、観光客の総消費額が1兆2000億円にも上るといわれ、これは北海道の基幹産業である農業粗生産額にも匹敵するもので、道内経済に大きく貢献する重要な産業である。 しかし、少子高齢化、グローバル、ボーダーレス化、高度情報化等、経済社会情勢は大きく変化してきており、観光産業がより進展、発展していくためには、こうした時代背景に即応した方策の転換も求められてきている。 このたびの行政視察調査では、豊富な観光資源にも恵まれ、観光地としての長い歴史がある観光都市・ルガノ市にあっても、世界情勢の変化やツーリストのニーズの変化等には十分な対応ができず、この結果、観光客の入込み数に大きな変動を生むこととなった。この対応のために、観光振興施策として、観光への波及効果の高いコンベンション誘致に取り組み、施設の整備、プレゼンテーション等の啓発活動を積極的に展開し、成果を得た実態を窺い知ることができた。 いま、北海道の観光も取り巻く環境の変化から、多くの課題を抱えている状況にあるが、観光政策に先駆的な経験と歴史を重ねている先進観光都市の施策を学びながら、さらなる発展を遂げてほしい。
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