北海道市長会の沿革

北海道市長会の発端は、明治43年11月14日仙台市で開催された奥羽六県市長 会で、北海道の札幌区が加入し、奥羽六県北海道市区長会と改称されたことから始 まる。翌年には、函館、小樽の両区が加入した(札幌、函館、小樽は明治32年1 0月1日に区制施行)。さらに大正に入り、大正3年に旭川、大正7年に室蘭、大正 9年に釧路と順次区制が施行され、奥羽六県北海道市区長会に加入するとともに、 北海道各区の市制施行を再三にわたり政府に要望を重ねた結果、大正 11 年8月1日に北海道各区に市制施行されたのである。これに伴い翌年の会議から奥羽六県北海 道市長会と改称された。

 

また、昭和9年8月に帯広市が加入し、昭和 16 年 10 月には樺太豊原市の加入に より奥羽六県北海道樺太市長会と改称された。続いて昭和17年7月に北見市が加入 した。

 

昭和18年に地方行政協議会令の公布により、地方行政協議会が東北と北海道に 設置された。このため、同年に開催された第38回奥羽六県北海道樺太市長会で、 市長会も奥羽と北海道に分離するよう提案され了承された。また、同時に夕張市・ 岩見沢市が加入した。その後、戦争の激化に伴い、開催されず終戦を迎えた。昭和 20年11月30日に総会が開催され、北海道市長会が独立した。

 

昭和22年4月5日に第1回統一地方選挙が実施され、公選の市長が誕生した(同 年5月3日には地方自治法が施行)。これにより、同年4月22日公選市長による第 1回の北海道市長会総会が札幌市で開催された。さらに、昭和 22 年 11 月 14 日開催 の第2回全国市長会議で、全国9支部の設置が決定され、北海道支部が設置される ことが明記された。また、同年には網走市及び留萌市が加入した。続いて、昭和2 3年4月に苫小牧市、昭和24年4月に稚内市、昭和25年4月に美唄市、昭和2 8年4月に芦別市、昭和29年7月には合併促進法施行に伴い、赤平市・江別市・ 紋別市・士別市が次々と加入した。このことから、昭和30年5月 24 日開催の総会 において、会則の全面改正を行い、更に全国市長会北海道支部を兼ねることを明記 した。

 

昭和30年代に入って、昭和31年4月に名寄市、昭和32年4月に三笠市、同 年8月に根室市、昭和33年7月には千歳市・滝川市・砂川市・歌志内市が続けざまに加入した。

 

しばらく間があいたが、昭和38年5月に深川市が加入、昭和41年5月に富良 野市が加し、北海道内は29市となった。昭和 44 年8月の総会において、事務局を 札幌市から独立させるため会則を改正した。翌45年8月には登別市、11 月には恵 庭市が加入した。更に、昭和46年11月に亀田市、昭和47年4月には伊達市が 加入したが、亀田市は翌年12月には函館市と合併し、全部で32都市となった。

 

一方、事務局の独立を機に、昭和45年には主管者会議を設置し、昭和48年に は助役会議を設置した。さらに平成8年5月に参与会議を設置した。

 

平成8年9月には、北広島市と石狩市が加入し、全道34市となった。 また、平成16年からの平成の大合併で、自治体の再編が行われ、平成18年2月 1日に35番目の新市「北斗市」が誕生した。