第 1 分 科 会
「市民文化による『まちおこし』」

◆話題提供
山笠とまちづくり
芦別健夏山笠振興会広報渉外担当

滝 澤 恒 宏

 ・山笠との出会い、その魅力
 ・博多をつくった山笠
 ・山笠が芦別にもたらしたもの
 ・山笠は住民参加と住民自治の原点
町おこし
市民創作「函館野外劇」の会理事長
フィリップ グロード
 ・官民一体の町おこし
 ・函館野外劇は市民運動、国際交流
 ・運動を通じた生涯教育

◆コーディネーター 札幌大学文学部教授 宮 良 高 弘
◆記録・司会 芦別市建設部建築課長 湯 浅 哲 也
芦別市経済振興部農林課農政係長 関 谷   誠

湯浅(司会進行)
この分科会のテーマは「市民文化による『まちおこし』」となっております。始めに、本分科会に話題を提供して頂く皆様をご紹介させて頂きます。
 お一人目は芦別健夏山笠振興会広報渉外担当 滝澤恒宏さんです。滝澤さんには、「山笠とまちづくり」と題してお話を頂きます。お二人目は、市民創作「函館野外劇」の会理事長 フィリップ・グロードさんです。グロードさんには「まちおこし」と題してお話を頂きます。次に、本分科会のコーディネーターをご紹介いたします。札幌大学文化学部教授 宮良高弘先生です。最後に私たち、本日の司会・記録を担当します芦別市の私湯浅哲也と関谷誠です。どうぞよろしくお願いいたします。
 それではこれ以降の進行は、コーディネーターの宮良先生にお願いいたします。

宮良(コーディネーター)
 皆さん今日は。
 この分科会を始めるにあたり、まず生活文化、文化とは何かについて共同の認識を得たいと思いますので、私からその説明をした上で、話題提供者に発表してもらいます。
 私は長い調査の経験から生活文化について次のように定義をしています。人間は基本的に結婚を通して家族を形成し、親族、同族へと広がりをもつ、これらは族制といっています。それから行政的な集団、経済、宗教などの諸集団を内包する村制、これは地域といってもいいですが、地域の総和としての社会構造を基盤として、その上に生業にみられる技術文化、衣・食・住、通過儀礼、年中行事、口頭承、民俗芸能などの文化があるということです。これらの文化は、地域社会に深く根ざした生活文化であり、地域に息づく個々人の誰もが共有している均衡のとれた文化要素の総体であり、決して個々ばらばらに存在している個別文化ではない。文化というのは、一つの要素だけで存在しているものではありません。先ほど会長から、昨年は役割が中心であったが、今年は機能的な視点ということですから、この連動性の問題を中心に据えておられるかと想像しています。こうしたことを踏まえながら、今会議の全体テーマである「人間尺のまちづくり」を基底に置き、第1分科会の「市民文化による『まちおこし』」の問題を整理していきたいと考えています。
 まず、北海道社会を見ていく場合、どうしても考えておかなければならない、再認識しなければならない問題は、先住のアイヌ民族のことを忘れてはならないことだと思います。北海道地域社会は、アイヌ民族の住む地域に、我が国の伝統的社会の各地から和人が移住し形成された社会です。人為的結合が先駆け、その後に自然的結合がもたらされた社会であります。いうまでもないことですが、北海道外の伝統的社会においては、自然的人間の結合から人為的結合へと発展しました。北海道の場合はこれが逆転しています。まず人が寄り集まって、本州からお嫁さんを連れてきた人はいいですが、北海道に来た人はそこで知り合って結婚するという現象が見られます。そのことをまず考えておかなければいけません。北海道でも特に奥地と呼ばれた内陸部の社会構造が惰弱であることは、その事に原因していると思います。
 第2は、明治19年から大正11年にかけての資料では、移住者の人口構成は3分の1強が東北地方です。3分の1弱が新潟県を含む北陸地方からの移住者です。残り3分の1弱が徳島、岐阜、香川、その他の地方となり、沖縄県からも41戸来ております。そういったことから、北海道における生活文化の基盤は、東北・北陸にあると考えられます。しかし全国にも及んでいます。
 第3は、地域人口がになう個々の生活文化は、背景を異にしているところから、農村・漁村・旧産炭地など、どの市町村を例にとっても都市的結合形態の特徴を備えています。北海道の人は誇りとすべきことですが、北海道の村落人口の異質性から人口構成が惰弱であるともいえます。つまり、最初から移動を繰り返してきており、今北海道にお住まいの皆さんを含めて、先祖から何回移動されているでしょうか。私が調べた小清水町砥草原というところでは最高11回です。網走管内への移住は明治30年以降だといわれていますが、だいたい大正です。大正期から11回、平均すると4回も移動繰り返しています。ですから、農村ですら都市的な結合形態が見られるということが、北海道の特徴だと思います。
 第4、現状の認識からの展開として、このことから整理をしていかなければならないと考えます。道南地方を支える人口は、歴史が古いだけに比較的定着し、生活文化は地域として共有し面として捉えられます。これらに対する内陸部は、隣近所で生活文化を異にしています。例えばお雑煮を調べますと、四国出身者と北陸の人たちでは違っています。実際に調査に行くと、「皆同じですよ」といわれますが、聞いてみると全然違うという展開が奥地内陸部に行くとあります。ですから、道南の場合は歴史が長いので面として捉えることができますが、奥地の場合は点になっているわけです。地域の結合の上から見ると、それだけ弱いのではないかと私は思っています。
 第5に、生活文化は個々の人々の社会の適応過程において形成される。他地域からの文化要素の借用、最初から借りてくるわけです。そして受容によって当該地域の生活文化は変容していく。文化はじっとしておらず、絶えず流動しています。ウナギのようなものといえばいいでしょうか。捕まえようと思うとすっと抜け出して、変わっていくものと考えるべきです。1人では文化とはいいません。人間は社会に適応する段階で文化を習得します。私はそのことが重要だと思っています。
 第6は、移住者の相互交流やその後の文化受容によって形成され、変容してきた文化要素と、地域活性化の起爆剤として近年に導入された生活文化の現状を考えることが必要です。つまり、これは移住このかた内的に生活を繰り返しながら、自らの力で形成されてきた文化もあるわけです。それと同時に、本日の滝澤さんの発表は導入文化、借用した文化が、芦別にどの程度定着しているかという内容で、先の問題と大きく関わってくると思います。グロード神父さんの場合は、伝統的社会において今行われている函館五稜郭のイベントが、どのように根づいてきているか。これは社会的基盤が違うわけです。内陸部とは異なる道南の社会に、どう位置づけられているのか。滝澤さんのように、たいへん熱気にあふれた「芦別健夏山笠」ですが、どんな伝統文化であっても最初は創られた新しい文化です。歴史が重なったため伝統文化になったわけで、この考え方は後程議論の中で展開されるべきだと思います。
 会長がいわれたように、私も全員参加型のものにしたいと思います。人間尺の自分の考え方をすべて出してここで喧々諤々、それを整理し明日につなげる方向がとれればと思います。それではこれから発表して頂きますが、発表者は持ち時間15分、計30分、それから3分ご質問を頂きます。多くの時間を他の人がとると展開に支障がありますので、3分を基準に質問や討議への参加をお願いいたします。

「山笠とまちづくり」
芦別健夏山笠振興会
滝 澤 恒 宏 氏

 本日このように素晴らしい発表の場をお与えくださいましたことに対し、芦別健夏山笠関係者全員になりかわり、この会の主催者をはじめとする皆様に心から厚くお礼を申し上げます。有り難うございます。
 先程は皆様に私どもの心意気といいますか、実物をもってご覧頂きましたが、どのようなご感想をお持ちでしょうか。
 さて、私たちはこのお祭りを始めて、たびたび次のような質問をぶつけられてきました。「芦別でなぜ九州の山笠なんだ」。ここにお出での皆様も、多かれ少なかれ同様の疑問をお持ちかと思いますので、この辺からお話に入ります。
 つい最近知ったことですが、博多を中心にした北九州一帯に「博多うつし」という言葉があるそうです。これは博多と同じとか、博多を持ってきたというような意味合いの言葉で、博多祇園山笠を軸として博多が持つところの民俗文化の魅力ゆえ、周辺にどんどん伝わっていった、もしくは模倣されてきた物や状態を意味しているようです。芦別の山笠はまさにこの「博多うつし」です。
 私たちが山笠を始める前に、芦別健夏まつりの主要行事として行われていた纏踊りがありましたが、私はその纏踊りのリーダーを数年間務めていました。そのときに感じたのは、纏踊りは技を練り込めば結構おもしろいものになるのではないか、という感触でした。しかし、その踊りの担い手の8〜9割が、当日数時間のみ参加する高校生のアルバイトでした。それではとても技を練り込むような余地はなく、すぐに行き詰まりを感じ、これは駄目だと思いました。それで、気の合う仲間数人と「何とかしよう、自分たちがのめり込めるようなお祭りをやろうじゃないか」、そしてひとつ、イベントという考え方を一度捨てよう、というところから始まりました。顔を合わせるたびにそのような話をし、その中心にいたのが初代会長の故青井慎介氏でした。そんな中、1984年夏の終りだったと思いますが、NHKテレビの特別番組で「熱走 博多山笠」という番組がありました。しめし合せたわけでもないのに皆見ていて、全員カルチャーショックとでもいえるような衝撃を受け、一瞬にしてその魅力の虜になってしまいました。
 翌年オレ・オマエの関係で参加者を募り、私が纏踊りのリーダーをしていた中央区町内会のお祭りを、担いで走るお祭りとしてスタートさせました。やってみると手応え十分、全員がやった!という感想を持ち、この自信から「健夏まつりを楽しくする会」を発足させました。それからさらに発展させ、芦別健夏山笠振興会へとなり、今日まで15年間続けております。別な言い方をしますと、縁もゆかりもないお祭りを芦別でスタートさせてしまったのが現実です。
山笠の重さは上に乗っている人も含め、約1トン、それを担いで走るわけですから、迫力と疾走感、そして爽快感があります。人形を中心とした上飾りをはじめとして、山笠全体に滲み出ているビジュアル性や、見え隠れする伝統、これら全てが非日常性とあいまって参加者を酔わせるわけです。それの持つ激しさゆえに、充実感・満足感も多く、終わった後は形をほとんど残すことなくバラバラにほぐしてしまい、残るのは気持の高まりのみ、それが記憶として残っていく。それゆえ、より多くの人に共有されるという特性を持っています。記憶にのみ留められることから、終わったすぐ後から皆で来年のことを話し合います。どうだった、ああだった、こうだったと、そこから継続性も出てくるわけです。
 あの当時、見る人が男であれば大方は背筋をザワザワッとさせられたり、鳥肌が立ったといういわれ方をします。このお祭りを始めて3年目くらいだったと思いますが、芦別唯一の専門学校である北日本自動車工学専門学校の、生徒と先生方が運営する「北流」というものがあります。この「流」というのは、博多に倣った組織割のことで、芦別には6つあります。この北流の方々が、山を舁いて駅前の大勢の観衆の前を疾走した際、中年の奥さん風の方が思わず大きな声で、「いやぁ、あの若い人たちに冷たいビール、キューッと飲ませてやりたいねぇ」とおっしゃいました。見る人が女性であれば、そんな風に感じるお祭りではないかと思います。
私は訳あって当時勤務していた会社を1988年に退職し、その後1994年まで関東周辺に出稼ぎに行っておりました。この間、ともすればくじけそうになる私の心を支えてくれたのが、思い浮かぶ家族の顔と、この山笠だったわけです。子供がまだ小さかったので、妻から夏休みぐらい子供と一緒にいてやってほしいといわれ、私もそれに従いましたが、ちょうど7月上旬は山笠が始まる時期です。毎年6月になると、もうそろそろ芦別に帰れるな、家族の顔も見られるし、山笠で皆と一緒に走れるぞと思うと、嬉しさとともに元気も湧いてきて、この出稼ぎ期間中、私の心を支えてくれたのだと思います。幸い、1995年に現在私が勤務している会社社長から声をかけて頂き、就職することができました。社長も今日来られておりますが、おかげさまで今や年中、この寒い時期まで山笠をできるようになり、感謝で一杯です。
 ここで、このお祭りのご本家である博多について少しお話しますが、博多の方はよく「山があるから博多ばい」といわれます。これに関連して最近、九州大学文学部 竹沢尚一郎教授、この方はフランスの社会科学を勉強されたそうですが、この方の山笠に関する書物に接する機会がありました。竹沢教授も、山笠が博多を生んで支えてきたといわれています。これはどういうことかというと、西洋においては英語でいうところのcityとtownについて、明確に区別されてきている。人々の宗教的・社会的な連帯によって結ばれてきたものがcityである。人が集中しただけのものはtownであるということです。そのことを考えると、集団の間に連帯が生まれている、そういったことを踏まえていえば、まさにこの山笠が博多を生んで支えてきたのではないかという内容でした。このことは、芦別の今後のまちづくりを考えるうえで、非常に重要な問題ではないかと思いますし、都市問題についても一つの大きなヒントになるのではないかと感じます。
 次に、山笠が芦別にどのような影響を与えてきているかについてですが、正直いってこのお祭りはまだまだ全市的とはいえません。また、私どもは山笠を行うにあたって、これが市民文化であるとか、まちおこし・まちづくりだということは今まで考えたこともなく、今回も話題提供者を簡単に引き受けたものの、いろいろな書類を見るたびに、これは大変だとだいぶ悩みました。その中でいえることは、山笠を通じて世代や職域を超えた交流が、確実に広がっているということです。その交流はまさしく一方通行ではなく、一方的な管理でもなく、本当に心の通い合う交流です。
 実例を挙げてお話しますが、6つの流の1つ、栄流というのがあります。これを支える栄町町内会の会長夫人が、今年の夏亡くなられました。私が弔問に伺い、会長にお悔やみを申しますと、会長は「おい、俺はこれからも元気でやるからな、よろしく頼むぞオイ」。弔問に行ったその場でそういわれるわけです。この言葉を他の山笠関係者にも漏らしておられる。これは、山笠をやっていたからかなと感じました。
 もう一つこんなこともありました。頑張り屋の流で知られる緑幸流の町内会中堅役員から、「お前たち、町内の世話にばかりなっていないで、たまに恩返しをしてはどうか」とご提案頂きました。その方といろいろ相談した結果、冬に独居老人のお宅周辺を除雪しようということになりました。それをすることによって、今まで我々の知らなかったことを知るわけです。例えば、表通りから見えないちょっと裏手に入ったところ、家と家の間にある建物に老人が1人で住んでおられるとか、歳をとっているがゆえに、体が不自由な方も結構おられます。そういう方々がどんな気持でそこに暮らしているかというと、いつ向かい側の家から雪がドンと落ちてくるか、心配でたまらなかったといわれました。町内会の役員さんたちも除雪をしていますが、なかなか手が回らず困っていたそうで、私どもが当たり前と思ってしたことが非常に喜ばれ、却って恐縮してしまったのでした。
 激変の中にあって芦別の街は今、もう一度足元からしっかり考え直さなければならない時に来ていると思いますが、重ねていいますが、山笠がまちづくりをしているとは思いませんし、まちおこしなどとおこがましいことも言いません。でも、まちづくりのバックボーンにはなり得るのではないかということです。山笠というのは、先ほどご覧になって理解されたかと思いますが、直接触れる人間は担き手26人、鼻取りという舵取り役4人の30人。そして後押しが20人前後の50人前後が交替で入りますが、どこをみても楽なところは無いわけです。山笠は組織集団と個人の接点です。山と一緒に走っていても、山に付こうと思わなければ、山に付かないで済むわけです。また山に付いていても、担ぎ棒にグッと肩を当てず、苦労しているふりだけすれば楽に済ますこともできます。こんな人間が多くなればなるほど、山はどんどん遅れ、最後には止まってしまいます。しかし、よし、俺がやるぞと腹を決めた人間がたくさんいればいるほど、山はぐんぐん前進するわけです。これはもうはっきりしています。しかもスタートする前には、縁の下の準備がたくさんあって、これもしっかりとやらなければならない。
 要するに、一人ひとりが参加の気持をしっかりと持たなければ、山笠は動かないのではないか。これは、住民参加の大切さに通じるのではないかという気がします。言葉を代えれば、心の通い合う町内会活動は、住民自治の根源ではないだろうかと考えます。これからどんどん進められていく地方分権の問題がありますが、これをきちんと受け止めることができるかどうかは、住民参加の住民自治がしっかりと根づいているかどうか、これによって地方分権を受け止められるかどうかが決まるのではないでしょうか。
 博多の例をみても、まちづくりには山笠は絶好の手段のように思えます。私たちは山笠を通じて、博多という非常に良い先生・先輩にめぐり合ったという気がします。この貴重な手法を今後どう生かしていくか。これが私どもに課せられた重要な課題ではないかと思います。以上、この会議に沿った内容になったかどうかわかりませんが、私からの報告とさせて頂きます。
 ここで少しお許しをいただき、齋木会長、その場でご起立頂けますか。本日のこの発表を芦別健夏山笠振興会 齋木達雄会長の名におきまして感謝の意を込め、私どもの初代会長であり一昨年若くして急逝された故青井慎介様に慎んで捧げるものでありますし、私どもの山笠を寛容の心をもって正式に認めていただき、現在も交流させて頂いている博多祇園山笠振興会 石橋清助会長、人形師の生命をかけて私どもに上飾り人形を提供し続けて頂いている博多人形伝統工芸士 亀田均先生、さらに体を張って私どもに山笠を教えてくださっている博多祇園山笠大黒流元取締 春口栄治様に慎んでご報告を申し上げます。皆様、ご静聴有り難うございました。

宮良(コーディネーター)
滝澤さんは、今の文化論やまちおこしはおこがましくて、という話をされましたが、お話の内容はまさに文化論でありますし、まちおこしであります。最初はNHKで見たものが契機となって、今日に至るまでの状況を説明されましたが、議論は次の発表の後にまとめて展開したいと思います。

「野外劇でまちおこし」
市民創作「函館野外劇」の会理事長
フィリップ・グロード 氏

 15分しかないので、ご挨拶もしません。15分は短いです(時計を見ながら…)。
 函館の野外劇がどうして始まったかといえば、五稜郭があるからです。まちおこしとつながるかどうかは分かりません。私も、まちおこしをするには函館は大きすぎる。(コーディネーターから着席を促す)いやいや、座ると眠りますから(笑)。15分ですから立ったままで大丈夫です。ともかく、まちおこしというのは、その土地にあるオリジナルのものを生かす。そして先程おっしゃったように、仲間づくりです。楽しい雰囲気を作って、何か新しいものを生み出すことだと思います。そういう意味で、確かに知らずにまちおこしをしています。
 函館の五稜郭は、アジアでも珍しいウォーバン型の要塞跡です。奉行所はなくなったけれど、約2.7kmの堀が残っています。水も張っています。これを舞台にして市民のボランティアで、道南の歴史を語るショーを夜間にやろうじゃないかという発想で、函館の日仏協会と様々な市民から始まったわけです。私はフランス出身で、たまたま私の生まれた村でそういう夜のショーを始めたところ、ものすごく成功しました。これはジュゴーの小さな村で人口も3万もいない。年々話がエスカレートして、今は毎年100万人の客を動員しています。これはまさにまちおこしです。函館は30万台の都市ですから、まちおこしという話にはならないでしょうが、この五稜郭という珍しい日本には一つしかないものを舞台にして、何とかオリジナルのものをイベントできるのではないか。函館は観光都市でもあるし、毎年観光客がたくさん来ます。夏のトピックスとして、五稜郭公園を舞台に、今世界ではやっている野外ショーをやろうということでした。
 今年は12年目で、すでに終わりました。ゆるくないですよ、経済的には。それでも12年、干支を一回りしました。7月20日から8月13日くらいまで、年に10回の公演です。出演者は年々増えていき、一回平均700人です。クラシックバレーから日本舞踊、モダンダンスなどいろいろ交差していて、非常におもしろいです。出演者の700人は、幼稚園の子供から、一番年配は86歳の方までです。あらゆる人が一緒になって、裸の付き合いをしています。大道具・小道具はほとんど手作りです。予算が4,000万円くらいで、それを10回に分けると400万円です。照明は大阪のナショナル系列の専門会社が、スポンサー的に協力してくれます。音響はヤマハの札幌支店の人たちです。必ず花火もあります。野外劇のメインの見せ場は五稜郭戦争で、榎本武揚が函館共和国宣言をし、土方歳三の最期だとか、歴史は物語になるということですが、それが大きな見せ場です。戦争の大砲が2つあり、1発ボン、5,000円です。ですから計算してみて下さい。最初はわずか2発でしたが、もうちょっと賑やかにしようと、今は戦争が始まるとき、途中で、それから土方の最期のあと2発、全部で8発。ボン、5,000円です。短いですよ、はっと見るくらいです。
 ともかく4,000万円前後で我々は何とかやっています。今、不況の影響で道や市、大企業からの補助金もだんだん難しくなって、例えば道南の建設協会は毎年470万円くらい出してくれましたが、一昨年はだめですとゼロ。今年もだめということで困ったものです。でも何とかかんとか収まるものなんです。本当にいろいろな方が協力してくれるからです。
 メリットは、仲間づくりには最高です。12年目ですから、小学生や中学生だった人たちは大人になって、もうリーダーになっています。野外劇に出たいがため、内地で就職が決まっても断って、何とか函館に止まったという例も少なくありません。ですから仲間づくりとしてはメリットがあります。もう一つは、そういう活動をしながら、何やらもう一人の自分が発見できます。文部省の方から、これはボランティアスクールとして最高です、頑張れといわれました。100万とか200万とか、わずかですが中央から毎年補助金が来ます。
 函館には五稜郭という珍しい場所があり、函館のオリジナルの舞台として、私は将来野外劇場に指定してほしいと、文化庁にいろいろアプローチしています。五稜郭は国の史跡であり、困ったものです。それだから最初は許可をもらうために大変でした。12年前の文化庁長官植木さんは、パリに長くいた人でした。フランス語もできるし、あちらのいろいろな野外劇を見て分かっていました。お願いしたときに植木さんは、今まで特別史跡はそのままにしろ、近づくなというスタイルで、フリーザーに入れられたような状態だった。これからは、活用させた方が保存につながると私は思う」、とおっしゃいました。地方分権というと、その地方地方にある個性的なオリジナルなものを、その地方で感激し楽しむべきだと思います。中央の権限に立っても、やはりもう少し地方で持っているものを生かすべきだと思います。そうすれば、それぞれの地方の特徴や魅力が出てくると思います。
 ともかくそのようなところで頑張っております。12年経ちました。今年ようやくNPOにもなりました。結構借金もしました。でもやはり、会社がスポンサー的に、事業おこしとしていいよといってくれます。借金も棚上げしてNPOもスタートしました。何とかならないか、何か愉快なものが生まれそうだったんです。ちゃんとした本当の道産子も5、6頭出ますし、船も12隻、最初は木製の磯船のような穴だらけで、直して直して塗り替えて新品同様に見せて。今度は海上がりのプラスチック製のもので、どんどんくれるので何とかなります。UFOも出るんですよ、もうあの手この手です。
 野外劇のファンも確かに増え、少しずつ広がっています。このイベントはとにかく、昔の日本のお祭りの原点に戻って、裸の付き合い、みんな一緒です。政治だとか宗教だとかに関係なく、とにかく我々の五稜郭を生かし、それを舞台にして道南のドラマいっぱい、ロマンいっぱいの歴史をショーにして訴えるものですから、ぜひ来年度、見てください。
私はまちおこしといえば、自分の住んでいる場所には、必ず何か眠っている宝物があると思います。特に北海道はそうです。北海道の将来は、これからです。私は昭和29年から45年間函館にいますが、北海道はまだまだこれからだと思います。あまり内地の真似ばかりしてもだめです。自分のオリジナルなものを出していかないと。やはり魅力は個性です。オリジナルなものを持たなければなりません。アメリカに行くたびに感じるのは、新しさです。ですからめちゃくちゃのところもあるわけです。でもそこにすごくバイタリティがあるわけです。サンフランシスコの250年前の人口は、5,000人もありません。マイアミの150年前の人口は、500人です。どれほど伸びたか調べてみてください。芦別は将来100万人の街になるかもしれませんよ。こういう気持がないと、まちおこしうんぬんの話になりません。冒険したり、わいわいと、何だかいろいろあるはずです。そういう可能性は自分の足元に必ずあるはずです。必ず、です。
 とにかく、まちおこしや仲間づくりで大事なのは、雰囲気です。苦しい雰囲気の中にはありません。そういう意味で今の活動はとってもいいです。そこからいろいろ生まれてくると思います。野外劇をすると、特に中心になっている人たちは、クタクタに疲れるまで手作りの仕事をしています。それは疲れる、けれども併せて心の満足がとてもあり楽しいです。私たちは野外劇を通して確かに仲間になってるわけです。そして、自分の住んでいる場所のよさを、肌で感じるようになる。これが力になると思います。話題提供になるかどうかわかりませんが、まず時間を守って終わらせて頂きます。ご静聴有り難うございました。

宮良(コーディネーター)
どうも有り難うございました。五稜郭を中心とした手づくりのイベントです。その12年間に至る状況を説明して頂きました。下手に私がまとめるより、皆さんからお二人にご質問を受けた方が良いかと思います。早速質問を受けたいと思いますが、所属とお名前をお願いします。ご意見でも結構ですから、よろしくお願いします。会長もいわれましたが、全員参加のディスカッションの場にしたいと思います。

斉藤(フロア)
フィリップ・グロードさんに、12年前を思い起こしてお聞きしたいと思いますが、今年度、長野の松本でサイトウキネン音楽祭があり、小沢征爾さんが松本城をバックにオペラを上演しました。先程お聞きしていて、国の重要史跡である五稜郭を利用したイベントということで、行政というのは頭が固いもので、当時は大変だったと思います。それなのにどうやって説得し、許可を得られたのか、その苦労話のようなものをお聞きします。なぜかというと、市民サイドでも新しいことをしようと皆さん発想はしますが、その辺で行き詰まってしまうと思います。いかがなものでしょうか、口火を切らせて頂きました。

グロード(話題提供者)
おっしゃる通りです。最初、野外劇をやるやらないの局面で、青函トンネルの万国博覧会の年、そのブームの中で始めようという話になりました。五稜郭は文化庁の管轄ですが、管理は函館市に委託されています。それでまず函館市に話をすると、これは多分許可されないというのが函館市議の見解でした。公の場所を利用して、チケットを売り、そういう芝居ができると思いますか、これはちょっと無理ではないでしょうか、まあ協力しますというのが函館の見解でした。
 たまたま、私は当時の文化庁長官に直接アプローチする道もありました。それで文化庁長官に会ってみることにしました。日本では、鶴の一声でものごとがぱっと決まることもあるからです。それで東京へ行くと植木文化庁長官は、おお、いいことです、やりましょうというわけです。私は植木さんに、すみませんが函館にいらして、野外劇はいいものだとちょっとおっしゃってくれませんかと頼むと、5月に来られました。拓銀ビルの8階にガイドがあって、函館と五稜郭の歴史の講演途中で、野外劇が始まることはとてもいいことだとおっしゃってくれて、それで函館市の担当者もやれやれ一安心ということになりました。そういう微妙な時期の難しさは、いわれる通りありました。今も続いています。しかし、文化庁長官のレベルでは皆ものすごく理解があります。特に保存家などいろいろうるさいところに下りてきますと、シビアになってきます。
 でも、少しずつ理解してくださり、今は毎年水上舞台、堀の水すれすれに大きな踊り場を作っています。この水上舞台は作るために600万円くらいかかりますが、毎年全部壊さなければなりません。そろそろ何とかもう少し投資して、せめてベースくらいは残したいと市にお願いし、市が文化庁に許可を願いました。私は市の担当者に、もし文化庁がだめなら別のルートから、大使館など上を通してプッシュしてみるといっていましたが、市がお願いをすると許可になり、半永久的なベースを作ってもよろしいとなりました。ですからお堅い文化庁も、少しずつ理解してくれております。ご挨拶方々、文部省にもあちこち回りましたが、非常に良い運動だといわれました。今は地方、地方といって、地方が持っているオリジナリティを生かすのは、その地方の元気とつながるといってくれますから、可能性があります。日本の官僚は堅いんです。まだ徳川時代が完全に終わっていない。けれど、それに負けたら話が進まないです。ですから丁寧に、温厚になって、いいものをプッシュするように頑張るほかないと思いますよ。そうすればなる。私は何回も体験しましたが、上に行くほど理解してくれます。手続き上、木目細かい、うるさいところに飽きて負けて、さじを投げてしまったらもう終りです。ですから、可能性はいくらでもあります。
 もう一つは、日本人そのものが、お世辞ではなく人情がたっぷりあります。これは古い伝統ではないでしょうか。そういうイベントや祭りなどをすると、案外固まります。そこからまた違ういいものが生まれてくるわけです。私たちの旭ヶ岡の家、特別養護老人ホームもそうです。市民と一緒に建てたホームです。私たちのホームと似通っています。ボランティアのリストは5,100何人です。先週、3週間スイスからアニメターというスペシャリストがうちに泊まっていきました。向こうはもう少し進んでいますよ。人間関係にはとても感心していました。日本人は、日本人が気づかない宝物を持っています。ソフトで人情といいますか、義理堅いといいますか。堅いといわれている日本人でも、皆さん遊び人です。昼は働いて、夜はワイワイやっています。ですから、そういう自分のいいものを生かすことが大事だと思います。ご遠慮なく、負けずに頑張ってください。

宮良(コーディネーター)
努力すれば必ず実現するというお話だと思いますが、その他おられませんか。積極的にお願いします。北海道はこれからだとも述べられました。確かに、北海道は個々人が自立している社会だと思います。伝統的社会に比べると、非常に開けた社会だと思います。だから、伝統がないだけ非常に可能性を秘めていると思います。

眞嶋(都市学会会長)
司会者側の意図としては、今日のお二人のお話は非常に適切で、あまりに強烈すぎたので、皆さんも質問しづらいかと思います。グロード神父にお伺いします。非常に素晴らしいお話でしたが、途中でいろいろな挫折というか、非常に苦労したことがあったのではないか。その辺のお話を、もう少しお聞かせください。そのとき、その状況を跳ね返すバネを、我々がどうやって手に入れていくか、その辺のところがこういった運動を展開する場合大切ではないかと考えました。滝澤さんは始まって間もないですが、同様のことがあるかと思います。その辺の苦労話、いわばやっていることには常にプラスばかりではない、必ずマイナスもあり、それをどのように克服していくか、お二方にお話をお願いします。

滝澤(話題提供者)
苦労話といわれてすぐ思い出したのが、私どもはご覧のように道路を使用します。その問題で、警察当局との折衝は欠かせません。警察の担当者が替わられると、またゼロからスタート、もう1回やり直し、申し送りなどはありません。去年もそうですが、今年もそれで大変苦労しました。前の署長さんは結構理解の深い方で、「いや、いいですよ、どんどんやってください」とおっしゃられましたが、次に来られた署長さんはそうはいかなかったわけです。担当窓口の方も替わられ、もう1回最初から全部説明し直し、道路使用の許可を頂きます。その許可も、私どもの行事は若松取りという行事から始まり、1日置いて祝儀山、1日置いて追い山なか、1日置いて本番の追い山という日程で1週間行います。このいずれも公道を使用します。若松取りという行事は、歩道をこの格好でオイサ、オイサとゆっくり神社まで行き、奉納してある若松を頂き、自分たちの拠点である詰め所へ戻ってきます。前の署長さんは、「いや、いいですよ。気をつけてやってください」という感じでした。ところが今度の署長さんは、そうはいかなかった。目的を持って隊列を組んで行くのなら、これは道路使用だといわれます。そのとおりかも知れません。去年はぎりぎり土壇場までそのことでいろいろ苦労しました。
私は去年、博多に派遣されたので、7月9日から向こうへ行ってしまい、ぎりぎりまでやって申請書を出さず、若い市の職員に提出をお願いしていました。若い人は途中で頭に来てしまうようで、「そんなことをいうのなら、幼稚園の生徒がその辺の公園に絵を描きに行くときも、道路使用の許可がいるんですか」とやってきてしまいました。まぁカッカするなとなだめましたが、その他に私が所属する北大黒流というところで、他では行っていない上飾りのお披露目をやろうということになりました。これも私が担当しましたが、非常に広域にわたって午前中約2時間かけて回るものです。これも非常に強い抵抗に遭い、山笠の台に車をつけて曳いて回ろうと計画したのですが、ついにだめになりました。仕方がないのでトラックに上飾りだけ積んで回るということで、何とか実行しました。
 これらのことから思うのは、先程グロードさんがいわれたように、諦めてはだめです。ではどの辺までなら許してもらえるのか。警察の方は、法をバックにもって、厳とした気持ちで臨んでいますから、そう簡単にいきません。どこまでなら理解してもらえるか、我慢して我慢して実現へ向けて努力する、これしかないという気はします。

宮良(コーディネーター)
苦労な点は、役所の方をどうやって説得するかということのようです。今話されている内容は、ほとんど導入文化、これから創っていく文化が中心になっています。自分の地域にはこういうものがあるという報告はないでしょうか。道南の場合は、伝統的社会の上にのった五稜郭を生かし、創られた野外劇場ということになると思います。山笠の場合は、博多から導入した文化です。これがどの程度定着しているのか、苦労があってなかなか市民が共有するほどにはなっていないのが現状だと思います。それが伝統文化になっていく可能性があるのか。それから、北海道では成功し固定化した事例が幾つかあり、札幌の雪まつりとか、最近のよさこいソーラン、これは定着していくと予想できます。これも導入文化です。
 もう一つは、これまでのイベントというかお祭りには神の存在があり、五穀豊穣と健康祈願が中心に形成されてきたものだと思います。最近のイベントは、神は不在です。札幌の雪まつりにしても、よさこいソーランにしても。健夏山笠は五穀豊穣でしたか?

滝澤(話題提供者)
山笠は、博多の総鎮寺である櫛田神社の神事であります。ただ博多では、神仏混交が非常にはっきり出ており、神社に奉納しつつ、その他に2つある関係のお寺にも奉納する行事で、昔流行した疫病を退散させるために行ったものです。芦別も若干宗教性がありますが、市民祭りの延長線上として、これをあまり強く出すことはできませんでした。

宮良(コーディネーター)
これももとは五穀豊穣を中心とした祭りですが、神社の祭りは、かなり廃れてきた傾向にあると思います。集団的行事より、吉凶禍福を中心とした、例えば七五三などデパート商法とも絡んでいますが、厄祓い、最近は車のお祓いなど神社の役割が集団的なお祭りの行事より、個別的なものへと変化している状況があります。他面においてイベントが活性化してきている側面があります。
 生活のリズムはこれまで農業・漁業が中心でしたが、そのリズムによって五穀豊穣、大漁祈願というかたちでお祭りがなされてきています。今ではサラリーマンが多くなって、生活のリズムが違う。これまでは、忙しいときは働き、閑なときには休む。休んだときにお祭りを行うというように、生活のリズムと祭りが一致していました。
 ただ、北海道へ伝統的祭りが移ってきたとき、作物の転移、例えば稲作が北海道にもたらされたとき、祭りも一緒に来ています。寒いところへ行くと、収穫前に収穫感謝の秋祭りをし、その後に収穫するという生活のリズムの狂いが出てきているともいえます。そういったマイナス・プラスの要素がいろいろあり、その中でイベントを含め行事そのものが変わってきていると思います。そうした問題を、自分の生活の中で位置づけて捉えることはできないか、という問題提起をしたいと思います。

河野(フロア)
今日は一番最初に芦別市長の、まちおこしはお祭りだという言葉がありましたが、祭り中心にお二人から話があり、どちらかというと非日常的なものがまちおこしの中心になっているように思います。私が主題のまちおこしを考えると、確かに非日常的なお祭りは大事なことはいうまでもないですが、一年中続けてあるわけではありません。私たちがまちおこしを本当に考えた場合、もう少し市民・道民の身についたものでなければならないと思います。適切かどうか不明ですが、例えば明日への生活のリフレッシュを図るため、レクリェーションやスポーツも一つの生活文化の表われだろうと思います。
 帯広のすぐ隣にある幕別町では、ご存知のとおりパークゴルフの発祥地として有名です。道東に行くと、最近はまちの財政で1億円もかけたパークゴルフ場が造られています。なぜそのようなことができるのか考えてみますと、非常に皆さんが取りつきやすく、屋外で新鮮な空気を吸い、日光の下大勢の人が楽しむパークゴルフによって健康が増進され、道内でも問題になっている国民健康保険費用が非常に少なくなってきています。私が聞いた限りでは、10数%から20%近く削減されたところもあるそうです。理由はパークゴルフが大勢の町民の健康づくりに役立っているからです。国保の減資分を還元し、より多くの人にプレイしてもらおうと、子供を含む本当に多くの人が楽しんでいます。全部がパークゴルフをというのではなく、そのまちに合った、他では取り上げていない何らかのスポーツないしはゲーム的なものがたくさんあります。
 それを一つずつ実践するのは無理でしょうが、現在文部省が強力に推薦しているものに、総合型スポーツクラブがあります。今までのクラブといえば乗馬クラブ、野球クラブなど単一種目でしたが、皆がこんなゲームやスポーツがあったのかというような、非常に易しいスポーツを市で取り上げ、それを皆さんに公開し1つのクラブに入会すればどれでもできる。こんな遊びがあったのかと、皆がだんだん知るように広報活動を行えば、健康づくりに役立つと思います。残念ながら北海道においては、約3年前から文部省が600万円ほどを100%補助するといっていますが、手を挙げている市町村はありません。3年間補助されるのだから、もう少しやりようもあると思いますが、行政がなかなか手を出さないという面もあります。しかし、実際に町民・市民の健康を考え、まちおこしを考えた場合、そうした総合型クラブも一つの方法ではなかろうかと考えます。最初は幾らお金がかかるか分かりませんが、その後の経済効果、市民の健康、高齢者対策、また小学生を含め余暇活動の時間が長くなっていることを考えれば、3世代にわたり単発ではなく末永く行えると思いますがいかがでしょうか。

宮良(コーディネーター)
学問的には私たちの生活を日常と非日常に分けます。お祭りは非日常ハレといいます。日常をケ(褻)といって、ハレとケを峻別してきました。生活リズムの中で一番閑なときが非日常になり、そこでお祭りをしたり、いろいろなことをします。生活リズムが生産活動とともにあったものが、サラリーマンの増加に伴う西洋化によって七曜制になり、7日刻みになっています。また北海道は伝統的社会から移住してきた人々という風土性も加わり、そこに混乱を来している面があります。今のお話は、独自の生活リズムをつくっていくべきだというお話だと私は受け止めました。お祭りだけではない、日常的なものも含めた全体の中で位置づけて考える必要がある、そういう時期に来ているのだということでしょう。視点を少し広げて頂き、このイベントもそのなかに位置づけ、討議するのもいい方向かと思います。自分の村はどうだ、町はどうだ、という事例報告でも結構ですのでお出しください。
 私は沖縄の石垣島の出身で、あちらには活性化という言葉すらありません。つまり、日常生活の人間結合自体が緊密で、石垣島はお話の国民健康保険が日本で一番少ないです。私の母は90歳を過ぎて私が行っても分からないのですが、それでも弟が家でちゃんと面倒をみています。老人ホームには入れておりません。周辺の人は結構そうですよ。ですから石垣島は一番お金がかかっていません。多分それだけではなく、複合要因だと思います。北海道はすぐ老人を施設に入れますが、石垣島ではそういうことはせず、家の中でその人は発言権を持っています。そういった社会のセットの中において、今ここで議論されている問題を全て位置づけて考えるべきではないかと思います。あまり私だけ話してもいけませんので、ぜひ、総合的視点から生活文化の問題を取り上げて頂きたい。

グロード(話題提供者)
 私は去年オーストラリアのバララトに行きました。バララトは8万人という小さい街ですが、オーストラリアで評判になり外国からも見に来ています。何かグッドアイディアで人を集めなければならない。我々の時代ではマスコミを良い意味で利用すること、自分の名を響かせないと人は集まらない。マスコミを利用することです。もう一つは、時代の流れとともに新しい技術、新しい方法がたくさん生まれています。アメリカのラスベガスに行くと、ここは面白い街です、脱皮、脱皮がしょっちゅうです。例えば12年ほど前、光の大砲という300〜500m、スライドや映画を放映できるものができています。雪は最高のスクリーンです。カナダのケベックに行ってご覧なさい、雪も宝物なんです。新しい技術がどんどん登場していて、それを一刻も早く使う者が勝ちなんです。ですからそういう発想、同じことばかり繰り返すのではなくまちおこしは発想次第です。歴史とつながっている伝統芸能、プラスアルファです。
私はフランス人ですから、よく函館のバレエに呼ばれます。ただのクラシックバレエではだめで、クラシックバレエと日本舞踊をドッキングさせると、そこからまた新しくて独特なものが生まれます。そういう可能性は、いくらでもあるわけです。何といいましょうか、アイディアを集める、アイディアを役立てる雰囲気がまちおこしとつながるのではないでしょうか。
もう一つは、行政と民間、官民一体、あまりにも権力争いをすると、まちおこしになりません。お互い自分のまちの発展のために頑張っているのですから、そこの雰囲気づくりが大切ではないでしょうか。例えばフランスで世界的にも成功したルビデフの野外劇は、行政が古い城、45兆の土地を買い、野外劇の愉快なグループにやらせているわけです。本当に一体化していて、毎年どんどん伸びています。また、先ほどいわれましたが、最初から大きなことをしない方がいいですよ。あまり投資しすぎると、非常に危ないです。ですから、楽しくじわじわ広げるという感じで、むしろ自分の新しいイベントや運動が、自ら膨らんでいくようなものでなければ成功しません。そういう意味では、芦別の山笠はよさこい同様、自ら膨らんでいきそうです。札幌の雪まつりは少しずつ、だんだん発展してきたわけです。
 我々の野外劇も、最初は300人そこそこでした。出来栄えもあまりよくなかったが、楽しかったんです。そして少しずつ膨らんでいきそうな感じになってきました。ただ、五稜郭という特殊な舞台ですから、手続き上まだ問題が残っています。函館の場合は、観光客は皆函館山に行きます。夜景がメインであるのは当然ですが、同じ時間に野外劇を上演しているわけです。12年間やっていても、市民だけとか個人的な人で、観光客はほとんど来ません。ですから観劇する人は1万人そこそこです。やる方は3,000人、毎回700人の出演者がいます。まだいろいろな問題が残っており、それぞれの土地にはそういう特殊な問題があります。しかし、野外劇は昔は考えられなかったものですが、最近の日本には技術が何でもあります。例えば日本の花火大会は毎年同じパターン、道新の花火大会も同じです。最近は、音楽、噴水、花火が一緒です。アメリカやヨーロッパでは、今年の花火大会は第9とか、カルメンの序曲とか、そういう技術が登場しています。国際交流の時代でもあるし、先日テレビでもいっていましたが、あと16年経つと超音速の時代になります。アメリカ−日本は4時間です。いやでも国際交流がますます、うるさいくらいいわれます。そうするとやはり視野を広げ、あれもこれも入れてみる、自分の伝統文化とうまくミックスする、そこから新しいものを生む、これがまちおこしだと思います。

宮良(コーディネーター)
今のお話は視野を広げるということですね。そして生活の中に位置づけるということです。なるべく人を増やすための起爆剤であろうと私は思います。何を起爆剤として、これは生活の中に位置づけるということになると、生活者にフィットしないといけません。そうでないものを持ってきても意味がない。今のところ山笠にしても野外劇場にしても、人が増えてきているところをみるとフィットしているのでしょう。それと、継続性ということもいっておられます。そうしたことによって、どんどん地域に定着していくのではないかと思います。途中で絶対諦めてはいけないということです。そして、絶えずフレッシュアップということもいわれています。そういった複合的な要因が、地域おこしにおいて必要であろうと私は思います。
 江差の方は来ておられないようですが、私はいろいろな地域を回ってみて、道南周辺では江差が比較的成功しているのではないかと思います。姥神神社の祭りがあり、江差追分の大会、開陽丸もあり、歴史的なイベントを重ねています。そして今、歴史の町づくりをしています。道南の人の流れは、汽車で函館から札幌を結んでいます。以前は江差港が非常に栄えていましたが、中心が函館に移ったことにより、海岸沿は疲弊しています。ところが、そうしたイベントのお陰で活性化している面もあります。
 ただ、先程芦別の河野さんがいわれたように、全体の生活の中に位置づけることは重要です。お祭りだけやって、それだけを中心に置いて考えてもだめです。全体の、我々の日常生活の中において、非日常をどのように位置づけるか。暮らしの中で位置づけてみることが、何といっても必要であろうと思います。そして、それが自分を故郷に呼び寄せ、その文化に憧れを持って故郷に帰りたいという気持を抱かせる。私も沖縄の人間なので、その気持がものすごくあります。やはり歌をイメージするわけです。いろいろな要素、アイデンティティをくすぐるものが幾らでもあります。そういったものは総合的なものではないかと私は思います。それがない限り、その地域はどんどん疲弊していくだろうと思います。これは非常に難しいと思います。

村井(フロア)
滝澤さんにお聞きしますが、地域振興のイベントは地域の住民がいかに意義のある仕事であるか、しかも自らが燃焼できるものでなければ成功しないと感じます。そこで、一般市民の方はどのように山笠を捉えているのか、再度お聞きしたいと思います。先ほどのお話で、まちづくりのバックボーンであるという位置づけを理解しましたが、もう一度お尋ねいたします。

滝澤(話題提供者)
一般市民にとってどういうものかということですが、報告の中でも断片的に触れました。この山笠を支えてくれているのは、町内会です。確かに行政からも健夏まつり実行委員会経由で補助金を頂いていますが、大方は町内会役員の皆さんが、町内会を回って集めた寄付によってかなりの部分が支えられています。もう1つは、詰め所での準備には町内会役員はもとより、様々な方が来てくださり一緒に準備してくれます。また、今日は寒いのでしませんでしたが、高温のときは体を思いきり動かすので非常に暑くなります。勢い水というものをかけますが、この水の手配や、水をかけてもらうなども、町内会の方々にお願いしています。さらに、ちょっと大き目の行事が終わると、「直会」をします。それを支えてくれるのが、町内の奥さん方、自分の女房であったり、町内のおばさんであったり。そういった意味で、一般市民のご理解を頂きつつ広がってきているという感じをもっています。
 正直申して、まだまだ全市的というほどにはなっていません。まだ15年ですし、ご覧の通り締込みをするのでこれに抵抗感がある方も結構おられます。見るには見るがやりたくない、パンツだったらいいけれど、という方もいます。パンツではだめなんです。端的な例ですが、後押しをするとき、パンツでは掴むことができないわけです。この締込みですと、ここに結び目があってこれをしっかり掴むことができ、この締込みはなかなか譲れない部分です。まだ参加したことがない方にとっては、大きなハードルとなってしまう部分ですが、これはちょっと譲れません。ただ、1回してしまえば、別にどうってことはないんですが。
 まちおこしのバックボーンといわれましたが、私はバックボーンたり得ると申し上げたと思います。これが本当に芦別の街に根づくのかどうか、まだまだ分かりません。私どもも、子供をどんどん参加させるようにしなければ継続しないということから、担いで走る山ではなく、車をつけて引っ張って歩く曳き山として、子供山を2本作っています。これにはたくさんの子供たちが参加し、当然親御さんも同伴しています。それを中心的に展開するのが町内会の育成会の方々で、その人たちとの交流も出てきます。頼むわ、いいよというかたちで、町内会、育成会、婦人会の方々と広がりつつあります。
 話は重複するかも知れませんが、一番大きな心配はこれを継続させていけるかどうかという問題です。これが2代3代、自分の息子、孫にまで伝われば本物かと思いますが、まだまだ実験段階かもしれません。ただ、繰り返しますが、職域、世代を超えて交流は確実に大きくなりつつありますし、厚味を増しつつあります。まあ、何とかやっていけるんじゃないかという気はしています。

杉岡(学会理事)
お二人の話を伺うと共通性もあり、まちづくりに直接つながっているか否かは気にせず、もう1人の自分をあるいは仲間づくりということで、要するにやる気になった人々が何かを始め、それを支えていく人々とお金という問題があると思います。自由にいろいろなアイディアで始めていく人々はボランティア活動のように進みますが、お話にあった町内会というのは日本的なボランティア活動という背景があり、非常に限定されたエリアの中で問題を考えていく組織です。
 ですから、芦別市全体、函館市全体でいろいろなことに取り組み、非常に意義があると思い始めた町内会の人たちが、町内会の活動のなかにも新しい問題を位置付けるようになってきたという意味でも、町内会が変わってきているというか、町内会の新しい動きにもなると思います。実際に町内会は、多くのまちで子供もいなくなり、お年寄りが中心になっていく中で、活動の目標がみえにくくなり、福祉的な問題が非常に大きくなってしまいました。こういう新しい活動に町内会がどのように関連しているか分かりましたし、芦別の「流」という名称は、町内会のある種の塊のようなものと思っていましたが、町内会が資金的な協力を行うとなると、赤い羽根や神社の寄付など行っているところもありますが、自主的な活動のためにお金を出すと決められるものかということです。
 函館の場合は、野外劇という大きな事業を行う場合、4,000万円以上かかっているとのことなので、何か野外劇を支える会員制度のようなものがあるのですか。要するに固定した収入・財源を確保するための町内会のような組織や、一般市民の支援をどのように得ているのかお伺いします。

滝澤(話題提供者)
我々が山笠をする前後で、町内会との関わりで変わった部分を1つだけお話します。それまで町内会の方々がお祭りなどをする場合、そこで飲み食いされるお金は町内会費の中から捻出されていました。そこで私どもが一番最初に考えたのが、自分たちの飲み代は自分たちで持とう、自分たちが飲み食いする分は自分たちで出す、それは現物でもいいしお金でもいい。とりあえず、熨斗に自分の名前をちゃんと書いて、ビールなら缶1ケース持ってこい。御祝儀なら祝儀袋に名前を書いて持ってこい。自分の飲み分は自分でまかなおう、ということです。原則的にこの衣装も、自分持ちです。当番法被は久留米絣で、1着35,000円以上します。中に着ている水法被も1着4、5,000円くらい。締込みもピンからきりまでですが1本8,000円、地下足袋は2、3,000円、何だかんだで結構な負担になりますが、それも自分持ちにしようというところから始まりました。
飲み食いする部分は自分たちでといったことが、町内会役員の方々の気持ちを動かした部分があったと思います。一番最初、お金がなかったので本部詰め所1ヶ所を開設した際、詰め所開きですので皆さんお集まりください、とご案内を差し上げます。来た方々が、貼ってある御祝儀袋や熨斗に並んでいる、参加者連中の名前を目で追っているのを私はしっかり見ていました。俺たちの心意気をこれで分かってくれたかな、と思いました。その辺から変わり始めたのではないかという気がしています。

グロード(話題提供者)
野外劇の会は今年400人弱、毎年400人前後で会費は3,000円です。特別会員は会社・法人で1万、5万、10万円、100数人おります。補助金はその年毎ですが、函館市から250万円、道から250〜300万円、日本芸術文化財団から毎年100〜200万、広告料は年によって違いますが約600万円集め、プログラムに全部掲載します。あとはチケットを売ります。前売券で大人1,800円、当日券2,000円。3年ほど前から毎年、当日券がどんどん増えています。何度もNHKや民放テレビで紹介され、評判になったためよそから来る人が増えたためです。大学生や高校生は900円、小学生400円です。チケットは子供を入れて毎年15,000枚、私だけでも毎年1,300枚売っています。それで何とかトントンで、4,000万円ちょっとの予算でできるわけです。それは突然の寄付も時々あります。我々の予算の中から水舞台制作のため600万、2,000人が座れる仮設スタンドに約600万、照明は1千万くらい、音響は500万くらいです。あとは衣裳など、細かいものがたくさんあります。毎年トントンか、時々100万残ればバンザイというところです。ゆるくないですよ。
 でも、大勢の人が快く支えてくれることは確かです。例えばUFOは、ある面白い先生が作りました。UFOはいいですね、函館で何かおかしなことが始まってるのを、向こうから見に来たというキャッチフレーズもいい、かかった40万円はポケットマネーです。本当に見事なんです。町内会は日本の伝統ですが、日本人は人情に厚いです。我々の地方のまち、函館は30万都市ですが、東京や大阪と違って人情味が強いです。例えば我々の野外劇を高岡市が取り入れました。うちに来て何回も見て勉強し、正式に向こうで集めました。毎年何千万も役所が出していますが、それでも2回公演だけです。私も佐藤市長に呼ばれて見に行きましたが、なぜ函館は小さいのに公演できるか。これはボランティアなんです。そこに北海道の雰囲気があります。北海道の皆は寄せ集めの人間です。まだ新鮮なフロンティア精神が残っています。私はそれが宝物だと思います。ですからそうした運動も、だんだん根づいていきます。
 予算的には、大阪でも始めようという空気がありましたが、挫折しました。横浜もそうでした。高岡市は市長がものすごく力を入れ、財団を作り、何千万も支出して運営しています。函館はよくその予算で、毎年できるものだといわれています。我々の北海道は、人間の純粋さが残っています。滝澤さんの話を聞いて、つくづくそう感じました。おもしろいものがこれから生まれてくる。まちづくりは人をふやすことですが、そのまちの人ではなく、他の地域の人を引っ張らなければだめです。芦別だけではもうエリアが決まってしまい、広がらないです。何とか日本中に響くオリジナルなものを目指さなければならない。その点でアメリカは発想が豊かです。アメリカに行くたび、そう思います。いろいろな人がごちゃごちゃぶつかっているだけに、プラスマイナスもあるけれど、芸術の面でも、技術の面でも発想だけは豊かです。
我々もまちおこしと考えれば、大胆な冒険をしなければ広がらないのではないでしょうか。半年も囲まれる雪も資源です。クマも資源ですよ、ヒグマ大事にしてください。日本にはない、いろいろなものを考えた方がいいのではないでしょうか。エゾシカも余っていていいことです、サファリをやればいい。林業は大事だけれど能率が悪く、これで儲かるわけがない。人の世話がほとんどなくても木は自ら伸びます。カナダやアメリカの山の使い方を見てください。もっともっといい方法があります。オリジナルなものを持たなければなりません。

滝澤(話題提供者)
今、グロードさんがよそから人を集めなければだめだといわれましたが、ここにきてやっと、来て頂けるようになってきています。例えばご本家・博多の皆さんは、かなり芦別に興味を持っておられるようです。一昨年市長が博多で台上がりしました。これは特例中の特例でした。福岡市長桑原敬一様、芦別市長林政志様と読み上げられると、林市長の方がワーッと拍手が大きいんです。あの一件以来、博多および福岡の街にかなり名前が広がりました。追い山は特に、福岡のテレビ局全てに実況が入ります。新聞はこぞって山の記事を期間中毎日のように流します。その中で北海道の芦別市長が行ったわけです。その後皆で食事に行くと、皆さん「どっから来んしゃったと」、「北海道から」、「ああ、こないだテレビに出とったね」という状況です。
先程報告の最期にお名前を出した春口さんは、あちらで頑張っていて友達もかなりたくさんいますが、芦別へ行く間を取り持ってくれといわれているらしいです。でも、「芦別に行っても、泊まるところがないからだめだぞ」、結構あるんですが面倒なものだからそういうらしいです。行ってもテントで暮らすしかない、クマが出るぞ、とやるわけです。でももう抑えきれなくなってきたので、博多から行きたいといったら積極的に受け入れるよう考えてほしいといわれています。クマの話ですが、去年10周年記念式典を開催し、9月20日過ぎ、博多から役員をはじめとする15名の方々が来られ、一部の方々がある山荘に泊まりました。そのすぐ後、空知管内の方はよくご存知でしょうが、街のすぐそばなのにクマが出て毎日クマの記事です。この記事を全部編集し、来た人全員に、あなた方が泊まったところにクマが出たと送ってあげました。向こうから来られたとき、三笠から芦別に抜ける国道452を通ると、途中に熊出没注意の看板があります。これを見て向こうの方々は、やはり北海道はすごいところだと話題になります。
博多の山は非常に厳しくいろいろな取り決めがあり、気が抜けません。私どももたまに行って参加させてもらうと、非常に緊張します。伝統、しきたりがかなりきつく、それが逆に終わった後のやったという達成感につながっているようです。その方々は山が終わると、慰安旅行などを行います。どうもそれを利用して芦別に来たいようです。芦別に来て山を舁くということは、恐らくゲスト気分で参加することができる。それに我々は山に関して完全に後輩もいいところですから、先輩として我々に接することができる。指導を行いながらリラックスした気分で、山を担けるという一面があると思います。先ほどの春口さんですが、これまでは向こうの山が終わった直後に、芦別の山が終わるという日程でした。今年から来年にかけてかなり重複し難しい一面もありますが、春口さんは向こうの山を終え、芦別の山を舁いて、俺はやっと今年の山を終わるんだといっています。芦別で非常に楽しんでおられ、恐らく他の方もそれをやりたいのではという気がします。
 もう一つは、博多にポンと行っても、山は舁かせてもらえません。例えば追い山では、1つの山を1,000人2,000人という規模で参加者がいます。そのうち山につく人間は、ほんの限られた200人ほどです。これはいつも顔を見ていて、この人物なら大丈夫だという者しかつけないわけです。台回りという経験豊かで何でも分かっている人が、見たことのない者が来ればはじきます。まず受け入れてもらえないわけです。どこかの町内に所属しなければなりませんが、その町内にあるどなたかのお宅に草鞋を脱いで、その方の保障のもとで参加するかたちになりますが、なかなか受け入れてもらえません。仮に受け入れられても、山にはつけません。でも、芦別の場合は、よく来てくださいました、衣装も全部揃えてありますからどうぞどうぞと、芦別に行けば山を舁げるということもあります。博多以外で山に強く興味を持っておられる方で、芦別へ行けばという人が散見されるようになってきました。その中の1人が芦別での体験を写真撮影し、その方のホームページに写真を全て公開してくれました。それを見てまた、芦別でちょっと山をやりたいという人も出てきつつあるようです。どういった方が来られて、どう参加していったか詳しくは分かりませんが、皆の話を総合するとそのような状況になっているようです。
 お金の話ですが、我々も会員は全員年会費を払います。会長5万円、副会長4万円、その他の役員3万円、各流れにあっては流れ総代等は2万、流れ委員等は1万5,000円、赤手拭筆頭は8,000円、赤手拭7,000円、若手は1,000円で、皆現金で出しています。

今井(市長会事務局)
グロード神父にお尋ねします。私も函館出身で、63年から3年間、社会教育部長の職にあり、グロード神父と一緒に野外劇に取り組み、理事を務めたこともあります。先程神父からNPOの話がありましたが、市民文化の創造というイベント、まちおこしのグループがNPO、いわゆる非営利法人の認可を受けられた経緯についてお尋ねします。これは珍しい出来事ではないか、日本もさばけてきたなという感じを受けました。通常、同じボランティアでも、こうしたかたちでないボランティアの団体がNPOの法人資格を得ると考えていたので、参考までにお願いします。

グロード(話題提供者)
NPOは非営利事業です。ただし、補助金を申請するには第2次団体だけでは弱いです。NPOは一番レベルの低い法人格です。日本でも最近、NPOを認めるようになり、私たちは道と市にお願いし、道から細かく条件等の指導を受けました。毎年4,000万以上の予算を動かしているグループですから、定着すれば広まる可能性もあり、文化庁との関係もありました。文化庁など上の方は、NPOになってもらいたい雰囲気でした。それで申請し、今までの借金は業者が表に出しません、心配するなということでゼロにし、スタートしたわけです。今年5月に認定されたばかりです。今まで我々は、もう少し安定したら法人になれるように組織していました。理事会や監査などきちんとしていたので、細かいところを少し変えるだけですぐNPOを認められました。
 それで私たちは立場がはっきりし、補助金を毎年道や市から、あるいは文化庁を通してもらっていますが、何も形のない団体でした。文化庁も相手として財団法人などの形をとったほうがいい。高岡市は財団法人です。函館の野外劇は、何もそういうポジションがなかったので、益々変だぞといわれていました。それで去年からようやくNPOになり、函館で2番目の指定です。渡島支庁の人たちも指導し、手伝ってくれて認められました。日本のような緊密な組織のうえで成り立っている社会では、何らかの形、ポジションもなく、あまりぱっとしないボランティアでは継続しません。すんなりいきました。ある意味では有り難かったし、うるさい人もいましたが。私はきちんとしたかたちでなければ、逆に危ないと思います。理事会も年何回開催、コンサートも何回するか全部役所に報告せねばならず、煩雑な面もあります。でもそれはむしろ、継続性に結びつくと思います。事務局長を早くやりましょうと急がせ、今年こそと思ったところ、すんなり認められました。

宮良(コーディネーター)
どうも有り難うございました。そろそろ時間ですのでこれで終わりたいと思います。今日の山笠にしても、五稜郭のイベントにしても導入型ですが、それはいかに地域に密着してきたかということです。そしてどういう効果を及ぼしたかという問題が、細かく語られたと思います。例えば、山笠の場合は町内会の団結が非常に役立っているとか、五稜郭の場合は仲間づくりとか、もう1人の自分を発見することができたなど、社会的な団結への貢献がかなり果たされてきていると思います。語られた細かい点は後にまとめるとして、そうした流れが掴めていると思います。今後定着していく方向にあるということです。同時に、イベントだけではなく、生活全体の中において位置づけ、それを捉えるべきであろうということです。その中においてこそ、初めて活性化の問題が達成できるということです。
 今の北海道は経済的にもかなり疲弊してきている状況ですが、北海道においていわれる官依存の性格は、北海道だけの問題ではないと私は思っています。つまり、我が国の明治以降の西洋化に問題があります。その中で価値あるものは外にある、よそから来た目新しい文化が全て素晴らしく、我々の日常生活に対してはほとんど価値を見出せないという習慣が明治以降ずっとこびりついてきている、刷り込み現象となって存在していると思います。それからの脱皮がなかなかできない。掛け声ばかりはあってもなかなかできないのが現状です。
 北海道においては特に開拓期があります。ですから私は、明治以降の西洋化の中における本州の二重構造に対して、北海道は三重構造だといっていますが、技術・文化は確かに発達しました。ところが精神文化がついていっていないのが現状だろうと思います。私は北海道は渚の社会だと思います。波打ち寄せる渚のように、北海道はさまざまな問題が顕著に表れるところと考えています。今まさに非常に苦しい状況に置かれているところだと思います。そういう社会の中において我々は努力すべきだと思うわけです。
 そのことは他面においては可能性を秘めています。グロード神父がいわれるように、北海道は可能性を持っています。伝統文化のしがらみがありませんから、自分の頭で整理ができることが北海道の特徴だと思います。私は民族学会、民俗学会、ethnologyとfolklo-reの学会に属していますが、見事な発想をするのが北海道人なんです。私が参加した先日のシンポジウムでも、北海道で育った人は自由な発想をします。しかし、北海道に現在住んでいる人は、そのことを意識していない。私はそこに非常に問題があると思っています。北海道外に行っている人は、結構そのことを意識していますが、北海道内で生活している人は悪いところだけ目について、いいところを取り上げていない。私も30年間にわたって北海道を研究してきましたから、偽らざる印象であります。
 今回の導入型のイベントにしても、これが定着するか。どんな民俗芸能でも何であっても、最初は新しいものです。それが長い過程において定着してきているわけですから、山笠が芦別にとって良いものであれば、多分定着してきていると私は思います。今後に期待したいと思います。本当につたない司会でしたが、ご勘弁願いたいと思います。どうも有り難うございました。最期にPRがあります。

滝澤(話題提供者)
先ほどの話では十分語り尽くしていない部分が多々あります。私ども振興会から、昨年の10周年記念誌を60冊用意しております。ご希望の方はどうぞお持ちになり、暇なときにでもお読み頂きたいと思います。今日はどうも有り難うございました。

湯浅(司会進行)
本日は熱心な論議を頂き有り難うございました。若干時間がオーバーしたようです。以上をもちまして第1分科会を終了させて頂きます。このあと午後5時から北の京芦別宮殿の広間において交流会を開催いたします。


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