桑山(司会進行)
それでは第2分科会を始めます。話題提供者のお一人目は、「環境にやさしい福祉のモデル都市を目指して」と題して、芦別まちづくり研究会 鵜野俊弘さんです。お二人目は、「北海道・花ネットワーク」と題して、潟Zントラルプロモーション北海道代表取締役
三島敬子さんにお願いいたします。また、本分科会のコーディネーターは、潟vランニングワークショップ代表取締役 矢島建先生です。最後に本日の司会・記録を担当します芦別市役所都市計画課
桑山と同水道課の高橋でございます。どうぞよろしくお願いいたします。それではこれ以降の進行については、矢島先生にお願いいたします。
矢島(コーディネーター)
今日の都市問題会議の全体的なテーマについては、都市学会会長から学問的かつ緻密に説明があり、分科会方式でまた明日持ち帰りますが、全体に流れているテーマの1つは人間尺(human
scale)です。もう1つは安定型のまちづくりに帰着しようということです。私どもに与えられているテーマは、「連帯による住みやすい環境の創出」です。第1分科会は「市民文化による『まちおこし』」、第3分科会は「地域を生かした産業の展開」として産業サイドからのまちづくりについて論議されています。まさにサンドイッチされているのが、私たちの環境を創出するというテーマであります。その環境も、連帯による、住みよい環境というところに落ち着かせなければならない思いながら、会長のお話を聞いていました。あとは各コーディネーターに任せるということだったので、ここに入ってしまえば全部忘れてしまって、こちらのもの。私はできる限り、答えを無理に引き出すのではなく、発散させるというか、様々に展開を広げていきたいと思います。
全体会議で求められているのは論点ということですが、それが幾つか出てくればそれにこしたことはないということです。私が思っている論点とは、学会筋の方には論点ですが、我々にしてみればまちに関わる問題点は何かということと、もう1つ大事なのは問題だけでなくいいこともあるはずで、何か可能性が、いいかえると、まちづくりに対する提案が出てくればいいと思っています。それが理路整然と整理された論である必要はないと私は考えておりますので、今日はそのような感じで進めていきたいと思っています。
本日のだいたいの進め方ですが、お二人の話題提供者にそれぞれ15分ほど、それぞれのテーマでお話し頂き、それから皆さんと参加型で進めていきます。私は参加にも大きく2つあると思います。1つは英語でいうとcitizens'
participation(市民の参加)、もう1つはpublic involvement(一般を巻き込む参加)、日本語ではただ参加ですが、前者は参加したい人が参加する。後者は無理やり巻き込んでしまう参加であり、この両方をもって全員参加が達成されるかと考えますので、双方、垣根を払って進めたいと思います。
具体的な進め方は話題提供者からそれぞれ15分お話し頂き、それから皆さん参加型で議論し、最後に何らかの論点、問題点など提示できればと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは鵜野さんから、芦別まちづくり研究会を土台としたお話しをお願いします。
「環境にやさしい福祉のモデル都市を目指して」 |
芦別まちづくり研究会 |
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鵜 野 俊 弘 |
皆さん今日は。
ようこそ芦別にお越しくださいました。私は平成9・10年度、2年間にわたって実施された芦別市まちづくり研究会の概要をお知らせし、今回の話題提供とさせて頂きます。
私は昨年3月定年退職し、19年ぶりに芦別に帰ってきました。帰ってきたというのは、私は芦別で生まれ、芦別で育ち、初めて就職したのも芦別です。また両親も、その親も、芦別で生まれ育ちました。私は芦別4代目ということになりましょうか。しかし、私の息子5代目は芦別に住むことはないと思います。私は教職という職業がら転勤が多く、芦別を振り出しに深川市、妹背牛町、深川市、美瑛町、富良野市と3市2町、計7校を回りました。このことは、芦別以外のいろいろなまちを知ることであり、芦別市を外から眺めるいい機会でした。
深川市は北空知を代表する街であり、米やジャガイモ、果樹などの農業を中心としながら、タングステン工場、パイル工場など工業も盛んです。大学を誘致し、国体を開催しスポーツも盛んです。
妹背牛町は、山が1つもない平坦な町で、水稲、畑を中心とした農業の町であります。
美瑛町は写真家前田真三さんの写真で丘の町として有名になり、全国から平成10年度は146万5,000人以上の観光客が訪れています。それに伴い、町としても特徴的なまちづくりに取り組んでいます。
富良野市はへそとワインとラベンダーの街として売り出し、7月末に行われるへそ祭りは、富良野市人口の3倍近い観光客を呼び込みます。また、タマネギ、ニンジンなどを原料とした製品の開発に努め、2次産業・3次産業を押し上げています。そのことは、1次産業もしっかりとした基盤に築くことであり、人口の流出を防ぐことになると思います。また、脚本家であり作家でもある倉本聰さんの「北の国から」の発信や、スキー場の利用などに訪れる人が平成10年度237万人以上にのぼっています。他に、ごみ処理についても取り組みは特筆すべきであります。美瑛町にしても、富良野市にしても、本州から移り住む人がたくさんいることは、たいへん羨ましい限りです。また、何回となく行ってみたくなるし、住んでみたいなあと思うから不思議であります。
このようなまちに移り住んできたものですから、芦別に帰るとこの街はどうも寂しく、沈滞し、こんなことをいっては失礼でしょうが、消えてなくなってしまうような不安を覚えました。そんな折、まちづくり研究会の募集を「あしべつ」という広報で見ました。さっそく応募し、ワークショップに参加しました。このワークショップは、北海道のリニューアル・マイタウン事業により始まりました。平成9年度は4回のワークショップを行い、問題・課題が整理されました。それは市民生活に密着したものであり、ハードよりソフト重視の問題・課題として挙げられました。さらに、意志・提案というかたちでまちづくりへの意見としてまとめられました。人口の減少については、人口減を前提としたまちづくりであるべきではないか。高齢化の進展については、高齢者の参加、世帯間交流を重視する必要があるだろう。観光の伸び悩みについては、芦別のオリジナルな新しい観光の展開が必要だろう。産業の進展では、既存の資源を活用し仕組みの構築も必要ではないだろうか。また、都市整備の停滞については、目的達成のための布石でありたい。しかし、何といっても市財政の逼迫は無視できないことです。
そのようにワークショップの中で出された方向について、次の3点がまとめられます。1つは、ハード志向からソフト志向への転換です。明確な意志、全体計画の重要性、内容の吟味、目標達成のための手段を考える。2つ目、身の丈に合ったまちづくり。地域資源を手がかりにした展開。地域の実状に合った面での展開。3つ目に、市民主体のまちづくりとして、市民の参加によるワークショップ、それから行政のサポートが大変重要であります。情報公開が徹底的に行われることが、市民主体のまちづくりに帰っていくことではないか。そういうことで方向性が見つけられたわけです。
そこで、平成10年度のまちづくりについては、メンバーを増やし計8回のワークショップを行いました。第1・2回のテーマは「芦別の将来像−まちづくりのコンセプト」として取り上げました。芦別の将来は、どんなところに着想、発想していかなければならないのか話し合いましたが、たくさん出されました。簡単にまとめると、始めのうちはイベントのPRをすべきとか、人を呼べるイベントをといった話が出ましたが、次第に熟してくると、帰ってきたくなるまちづくり、医療・福祉について環境行政・健康を重視したまちづくり、医療の充実、障害者にやさしいまちづくり。または自然について豊かな自然を生かしたまちづくり。人口増は望めないのだから、住んでいて楽しい街にしたい。また、芦別の地場産業、産物を生かすこと。老人にとっても子供にとってもやさしい住みやすい街。生活基盤の充実、自然を生かした大きな公園のような街。それから個性を出すこと。心の問題も含め高齢化社会に対応したまちづくり。産業をベースにした観光なども考えてよいのではないか。
ワークショップをうまくまとめることはできませんが、その方向性を考えますと、自然を大切にし、福祉を中心としたまちづくりを目指すこと。また、新しい芦別型産業を生み出そう、そういったまとめになるかと思います。
3回目は、芦別市の将来を考え、まさに芦別型の産業を検討しようと話し合われました。これについていろいろ出されましたが、産業の中心である農業を突破口にし、その産物に付加価値をつけた産業が考えられました。ここで特筆できることは、福祉も新しい芦別型産業であるという意見が出されました。具体的には不明ですが、福祉をも産業として考える方向は、注目すべきと考えます。
4・5回目については、芦別の中心市街地をテーマに話し合いました。どんな中心市街地がいいか、時間が潰せるとか、くつろげる市街地とか、オアシスのような市街地。限りなく自然に近いとか、駅裏とどのように連結するか。話がだんだん進んでいくと、待てよ、中心市街地は駅前でいいのか?という話も出てきました。中心市街地がどうあるべきなのか、何が必要か、たくさん意見が出されました。話題の中には、まちづくりの1つの方向として、まちづくり条例的なものが必要という意見もありました。統一された景観によるまちづくりや、今までの異なるかたちの市街地、店ばかりでなく違う付加価値のある市街地、そういったまちづくり条例が必要としてまとめられると思います。
6回目は、テーマを定めず各グループでまちづくりについて話し合いました。ここでは、まちづくり研究会をより発展させるべきという意見や、まちづくりは人づくりからとか、市民が憩える場所に駅があるが、中心市街地を含めたかたちになりました。
7回目は、再び芦別市の中心市街地を具体的に知り抜き繁栄させるという立場から、より具体的に中心地における駐車場問題、駅舎をどうすべきか、行政からも温めていた計画を少し出して頂きましたが、賛成意見より「そんなものが必要か」という反応だったと思います。
最終の8回目は、まちづくりの提案として、1人2提案を紙に明記し、張り出して組み合わせを考えました。そうすると大きく6点にまとめられ、1.福祉、ボランティア、2.交流、3.産業、4.研究会の発展、5.市街地、6.芦別市再発見、これらが福祉・ボランティアに関るものです。OHPをご覧ください。その中に、芦別市に住むことが心優しくかつ誇りと認識ができるようなまちづくりを目指す。本日、開会式で述べられたことがそっくり、皆さんの意見として出されています。そして、全体の活性化とか、いかにして人にやさしい空間を作り出すか、福祉、高齢化についてとことんバリアフリーにという話が出ました。全ての垣根を取り除き、まちづくりを考えていかなければならない。心のバリアフリー、情報のバリアフリーなどいろいろあります。
中心市街地の活性化について、駅舎の計画には市民も参加する。中心市街地の見直しについては駅前開発事業に提案する。また、お店の方々とも充分な話合いを持つ。先日新聞報道がありましたが、官民一体踏ん張れるのか、中心市街地の活性化法案を受け入れ取り組んでいく方向になっています。また、芦別再発見です。芦別の人が、芦別のいいところを分からない。自分で自分のことが分からない。外から見ると悪いところも分かりますが、いいところもよく分かります。そういう面を捜し歩くことが必要だと思います。
結論として、芦別市が目指すまちづくりの概念は、環境にやさしい福祉モデル都市としてまとめることができます。それを支えるのが“とことんバリアフリー”という提案です。この提案は、全ての分野において垣根を取り払おうという考え方のもと、自然環境や生活環境、産業、観光、福祉等に至るまでバリアフリー化しようというものです。芦別のまちづくりのコンセプトに採用したいキーワードであります。さらにこれらのまちづくりを進めるために何をしていくか、市民がどう関わりをもっていくか、仕組みづくりもまた大切であります。特に市民、商工会議所、役所、議会、これらがまちづくり協議会を組織しながら、具体的にどう関わり、どう支えるかを協議しながら条例化していく。また、とことんバリアフリーにはいろいろな面があるので、それをマスタープランとして事業化に取り組んでいく、これは今後の問題になろうかと思います。子供センターについては、既にワークショップを4回開催しております。どんなセンターを作るのか盛んに論議しているところです。
駅前と駅裏通りの一体化ですが、現在は細い跨線橋1本でつながっていますが、もっとしっかりした一体化の方法はないか。また、新しい土地の利用として生ごみを利用して、菜園などを作ってはどうかという案もあります。駅前ゾーンの整備、飲食店・娯楽ゾーン、空き店舗の利用なども大変な問題です。
これらのワークショップを8回、2年続けて12回行いましたが、その中で特筆されることがあります。それは、聴覚に障害がある方もこれに参加したことです。手話を通して交流を図りました。ノーマライゼーションの社会を築くためには当然のことであり、たいへん素晴らしいことであったと思います。本会議にもいらしていますが、健常者も障害者も、子供もお年寄りも全ての人が豊かで楽しく、安らかに暮らせるまちづくりをこれから目指すべきだと思います。まちづくりの方向について研究会があり、1回目は1.ワークショップの輪を広げよう、2.ワークショップは民間の主体で運営しよう、3.情報公開と周知への努力をお願いする、4.未来計画に向けて芦別市の将来像を描く。5.特に総合的、効果的、立体的な提案ができるように。また、6.市民のまちづくり活動に大胆な予算配分をしてほしい。また、まちづくりの提案として約20項目掲げられています。
最後になりますが、私はこのまちづくりワークショップに参加し、たいへん勉強になりました。参加する前は、行政の強いリーダーシップを期待していましたし、ハード優先のまちづくりを考えていました。それはかつての華々しい虚像の姿を追いかけるに等しいことで、時代の流れにそぐわない、いいかえれば、そこに住む人々のために一番必要なことを見失うことではなかったかと気付きました。しかし、生活基盤としての基幹産業をしっかりと位置づけることが必要であり、それをまちぐるみで発展させることではないでしょうか。さもないと人はいなくなり、誰も来てくれません。観点を変えること、いいかえれば概念を打ち破ることが大切です。新しい時代にマッチしたまちづくりを志向していくことであり、そこに住む人たちが心豊かに暮らすことができ、一人ひとりが幸せを実感できるまちづくりを目指すことであります。アメリカ合衆国大統領であったジョン・F・ケネディは、就任の際に国民に演説しました。国が何かをするのではなく、国民が国に何ができるかを考えることが大切だという主旨ですが、まちづくりも市民がどのように関っていくことができるか、問われているのではないでしょうか。自分の住むまちなのですから。
矢島(コーディネーター)
私なりに鵜野さんのお話しをまとめれば、福祉という言葉でいわれる人にも環境にもやさしく、そういうまち、福祉のモデル都市にできないかということが1番大きなテーマだったと思います。
他に私も非常に興味のあるテーマに、中心市街地はいったいどこか、これは芦別だけの問題ではないと思います。また、時間をつぶせる場所がほしいという発言ですが、数年前道内のあるまちで同様の提案がありました。いいかえると、そういう場所がないという問題点ですが、非常に根深いものだと思います。時間をつぶせる中心街がないから、それがあるところに行ってしまうという問題もそうですし、鵜野さんがいわれたように、公共事業としてハードだけを整えればいいのか。暇と時間をつぶせてブラブラ歩きができる中心街、舗装されてきれいきれいな街並みができても、本当にブラブラするのかという問題も投げかけているようです。その辺について後ほど皆さんと意見交換したいと思います。
次に、このテーマをリレーするかたちにならないかもしれませんが、切り口は花ということで三島さんにお願いします。
「北海道・花ネットワーク」 |
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潟Zントラルプロモーション北海道代表取締役 |
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三 島 敬 子 |
ちょうど鵜野さんのお話しの2年間、コーディネーターとしてまちづくりのお手伝いに携わっておりました。市民参加のまちづくりは、昨年あたりから突如、国からどんどんいわれ、皆さん戸惑いを隠せない現状の中で進められました。そんな中で、芦別が素晴らしいと思ったのは、皆さんの話を行政サイドがきちんと聞き取り上げてくれたことと、支援の体制がとてもよかったことです。一番素晴らしいと思ったのは、この2年間でリニューアル・マイタウンの補助金が終了してしまいますが、なおかつテーマとなった中心市街地、住みやすいまちとして芦別はどうなのだろうという疑問に答えるように、また今年から駅前を中心とした中心市街地の在り方について、もう一度考えてみようという動きが芦別市から出されました。
今は私どもの仲間を含め、最大の問題である役所内のワークショップを進めながら、市民のワークショップとうまくコミュニケーションを図りながら、来年度に向け中心市街地活性化の基本計画構築の方向へ進むことになります。やはりトップのリーダーシップの取り方が、芦別の場合とてもよく機能していると感じており、特に、今日の法被姿の市長に感動しました。
環境、福祉のまちの中で、私が行ってきたニュージーランドのクライストチャーチは、花の美しい街といわれています。花のフェスティバルを続けられている背景には、ボランティアの方々の協力が絶大であるというお話をしたいと思います。美しいまちというのは、そこに住んでいる人たちの心が美しくなければそうならないし、奉仕の心を皆が持ち、目標を持って伝承することができないと美しいまちにはならないと、身にしみて体で感じて参りました。
クライストチャーチに行かれた方はおられますか。おられないようですが、今、花をテーマとする女性や農協の方など、お花に関わる方々はよく行かれているようです。ちょうど札幌と真反対、南緯43度に位置しており、人口は約32万人です。岡山県の倉敷市と姉妹提携しており、岡山はソメイヨシノをたくさん寄贈しています。これからスライドに登場するエイボン川の川岸に、9月になると満開になります。というのは季節が逆なので9月が向こうの春になります。それが大変素晴らしいのですが、ここは環境都市宣言をしており、実はカラスとヘビが全くいない街です。ということは、カラスのえさが落ちていないからかしら?と考えながら、街を見てきました。
毎年2月に花のガーデンシティフェスティバルを開催しております。普通、こういうフェスティバルを行うと、北海道もそうですが、それにかかったお金と収支はどうか、損ならばその博覧会は失敗ではないかと評価されますが、約7,000名のボランティアの協力によって、これだけ大々的な世界のフェスティバルにも関らず、市の総予算が約1,700万円程度で終わっています。個人では大金ですが、まちの予算としてはさほど大きな金額ではありません。その中で100年以上も続いているこのフェスティバルが、たいへんな効果を上げているところに感心し、写真を撮ったきたのでご覧ください。
これは街の中心部のシンボルになっている、カテドラル大聖堂というイギリス様式の教会です。北海道でいえば市民会館のような役割も果たしているところで、これがシンボルとなって皆が集まります。教会内の祭壇前まで、生花のカーペットで飾られていることは、非常に有名です。この年のテーマは、シンフォニーカラーでした。
大聖堂の前の広場です。とても美しく、札幌のように人が座っていても汚らしく見えないのは、周りの景色のせいかと感じました。
これは先生がいらして、ここでサークルを開いています。課外授業をしておりました。ここが教室の代わりになっているということです。
これが教会の中の花のカーペットで、28mの長さがあり、すぐ枯れないように下に水を張り、デザインをするプロから花を植えるお手伝いまで全てがボランティアです。この方々の助けがなければ、ここまでできないとおっしゃっていました。特にこの時は、一般家庭の庭も公開される時期で、バスで回ることができます。約2,000件の応募があります。ここで優勝や様々な賞を1,000本ほど用意しいろいろ与えている、つまり張りを持たせています。
この認定書は、カーペット制作のボランティアに手渡される、フェスティバルの成功に貢献してくれて有り難うという証明書で、感謝状のようなものです。これを毎年何回も貰うことが、女性やお年寄りの生きがいになっています。というのは、このフェスティバル開催の目的は、あくまでも栄誉と楽しみであることがきちんと皆に浸透しているからです。
これはモナヴェールというお庭です。ここは昔、貴族の持ち物でしたが、市が当時5,000万円ほどで宅地目的に購入しました。ところが市民の反対があり、邸宅跡を少し残しながら公園のまま存続させています。
これがエイボン川の上流で、ここをずっと奥に向かって歩いていきます。これはバラのお庭です。柵が一つもありませんね。土を自然に削ったままバラが植えられており、これがこちらの花づくりの特徴です。
これもその庭の一角にあります。花づくりがとてもシンプルだと思いませんか。ラベンダーと真っ白い花を組み合わせれば、ここでもすぐできそうです。これはさっきのバラ園の続きで、お庭はまだまだずっと続いており、中に行くと椅子などがある休憩場所があります。ここでコーヒーを飲んだり、お弁当を食べたり、先程お話にあったようにゆったりした時間をつぶせる場所です。この管理は、ケブンさんという市の担当官がされ、お庭のプレイングマネージャーとして他にもう1人ついています。2名でこの広大なお庭を管理していますが、あとは全てボランティアの人たちのお手伝いでまかなっております。
まちの人たちがほんとうにゆったり、たくさんの方々がお散歩していますが、柵が本当にありません。皆さんの自己管理による鑑賞の仕方を、とても学ばせてもらいました。
ここがサニタリウムヘルスフードといって、工場の部門で優勝したガーデニングです。この写真で見るよりもっとあでやかで、派手な色のお庭です。ここは工場ですが、健康食品工場で従業員、お客さん全て禁煙です。行政も全部禁煙で、それほど環境に気を配っております。ビールのホップをとったあと、健康食品として再生しているそうです。これが事務所の前にあるお花です。北海道の花の色は濃くてきれいですが、この色にはかないません。ここを管理しているのはシルバーのおじいさまで、とても愛想がよく、私たちに出会うと手を挙げて挨拶をしてくれる、とても笑顔の素敵な方でした。真っ白なつなぎを着ておりました。
ここはハグレー公園です。まちの真ん中に45万坪の公園があります。芦別もいろいろ公園にしたかったという話がありますので、このような自然の中もいいと参考のため撮って来ました。東京ドーム20個は入る大きさです。フェンスその他が全くなく、皆さん自由にジョギングをしたり、本を読んだり、暖かいこともありますが、ゆっくり過ごせる場所の一つです。この中にはカンタベリー博物館、美術館、その前にはカンタベリー大学の跡地を利用したカレッジアートセンターがあります。
インフォメーションとありますが、これがボタニックガーデンの入口看板です。みな木を使いますので、メタリック調ではない温かさを感じます。これはその中のお庭の一つです。いろいろな椅子があって、真ん中はアスファルトではなく石を敷き詰めており、それ以外は全て芝生で飾られています。カットの仕方が本当に自然です。
これもその中のガーデンの1つですが、左の方が市管理のお花を植える1人で、右側はボランティアで草むしりを手伝っているお母さんです。こういうことをいつもしているそうです。これもそちらに行く道です。ちょっと柵があるのは、車が入らないようにするためです。これはその前の三叉路ですが、色の使い方がとてもきれいだと思いませんか。空がとてもきれいに見えるのは、余計な電線や看板が全くないことと、ポールその他の色が全て統一されていること、それに併せて下も黄色いお花がとても効果的です。
これが先程いったアートセンターを含めた街中を走っているトラム、電車です。3ドル払うと要所要所どこでも降りられるようになっており、これは200年前に作られたトラムで博物館に眠っていたのを、環境宣言をしてからまた持ち出し、リフォームして使っています。これはその線路と街路灯ですが、下の花の色と街路灯のデザイン、ポールの色をご覧ください。モスグリーンと赤、黄色がとてもマッチしています。歩道をご覧ください。車が走っているところと歩道、その間にグリーンベルトがあり、さらに歩道があります。ゆったりと安心して車椅子が通れる。先ほどあった“とことんバリアフリー”が、とてもよく実現されているよい歩道の例だと思いました。
ここはオヒネタヒというガーデンですが、1860年に植物学者が作った幾何学的なお庭の一例です。ただこの時、エルニーニョ現象で全部の山が赤茶けてとても大変なときでしたが、庭だけは手入れがきちんとしているらしく、緑が保たれていました。この家は300年経っているもので、毎回直しながら使っているそうです。
なぜかラベンダーがありました。そこから見る海がコバルトブルーでとても美しい光景です。ここは50年以上も入賞を続けている、スチュワート・ワトソン氏のロックガーデンです。それほど大きくないのですが、このお花を植えたり変えたり、50年も続けています。このおじいさんは今年多分89歳くらいになられますが、なかなか色気のある方で、とても素晴らしい紳士でした。右側に小さな池もあります。ここはおじいさんの一家が庭を眺められるように、開きドアになっています。私たちが行くと、家の中に招いてくれて、皆にジュースを出してくれ、「この庭は僕の息子のようなもので、いとおしいな」というようなことをいわれます。それを聞いていると、我々もいとおしくなって、お庭の中で1時間くらい遊ばせて頂きました。
ここがエイボン川です。護岸を見て頂くとわかりますが、コンクリートむき出しの川ではなく、とても自然な川です。環境宣言をして、やさしい川をつくろうということで、30年前から全部改良され、このようになったそうです。お魚も全部見えます。ここで川遊びをすることができ、花のフェスティバルもこの川にオブジェを埋めていきます。
これはバンテーンといって、川下りをする舟です。白い洋服を着て白い帽子をかぶったお兄さんがとてもハンサムで、我々は何を目的に舟に乗ったのかといわれるくらい、本当に素敵なお兄さんが舟を漕いでくださり、回りの景色を見るのを忘れてしまうくらいでした。この川をずっと溯りながら気が付きました。どこへ行ってもごみ一つ落ちていません。空缶一つもありません。これは、きちんと条例でごみや空缶その他を捨てた者に対しては、罰金を科すからです。
これがエイボン川の橋を渡った風景です。とても古くて面白いと思いますが、回りの街灯と電話ボックス、屋根の色がすべて統一されています。緑と映えてとても美しい情景でした。
ここは札幌でいえば狸小路のようなところをトラムが走っています。このおじさんたち2人がお茶を飲んでいますが、車掌さんに「おいどうだい、今晩ちょっと一杯やらないか」というような会話を、電車を走らせながらしている光景はとてもゆったりとしていいムードで、私はこういう街は札幌でも芦別でもできるのではないかと思います。素晴らしいお店の前でしたが、全くお金をかけず、ただテーブルを出して休んでいるだけです。
これがまちの中を走っています。ものすごく狭いのに、事故がありません。電車もあまり速くないですし。こうして町並みをきれいにしていきながら、利便性を高めていく。車を排除しながら、皆さんの足は確保するというところがとてもよかったと思います。
このまちは、庭園のなかに都市があるといわれており、子供たちがおばあさんやお母さんの背中を見ながら、庭づくり・環境づくりをしていく、美しいものをつくっていくことを、小さい頃から無言で教わっているという街です。イギリス教育とはそうらしいのですが、私たちもできないことはないと感じました。1人の1歩がものすごく大事で、できないではなく、できることは何か考えていくと、実はハードよりソフトの方でできることが多いのではないかと考えて帰ってきました。
矢島(コーディネーター)
南半球で気候が逆のニュージーランド、クライストチャーチの説明で、幾つか論点があったかと思います。クライストチャーチはニュージーランドの南の島ですか。ニュージーランドでも寒いところですね。今日のテーマである人間尺に当てはめてみると、三島さんの言われた最後の言葉、できないではなく、できることは何か、できることからやっていく。それも人間尺で見ると、例えば1つの方向としてスライドにあったのは、労働力をボランティアで提供し、お花の部分をつくっていく。あるいは、公共の公園などで花の部分を手伝う。どうしようもないものは公共だが、残りの部分はボランティアで保ち管理するという方法は、まさに人間的なスケールです。
その裏には、花は確かに美しいものの代名詞ですが、まちは花だけでなく建物の形や、店の看板などたくさんあって、それらも美しい方がいい。美しいものでなければならない、美しい物を作りたいという教育を、小さいときからなされているから身についている。従って、それを守っていくことになります。決して他人事でなく、自分でやるということです。その時に我々の言葉でいうボランティアになっている。そしてボランティアのなり手は、シルバーと表現されていましたが、高齢化していく社会の中で事実として受け止める問題です。シルバーのもつ能力を、ボランティアというかたちで組み合わせています。すなわち、住みよいまちの環境を作り出している1つである、ということをお話し頂いた気がします。
もう1つ感じたのが、クライストチャーチは環境都市宣言をしていますが、いろいろな事情からなされたと思います。それとは別に、環境都市宣言をしてしまったから、環境を常に考えながらまちづくりをしていくことになってしまったのではないか、と感じました。それは何かといえば、環境にもいろいろありますが、例えば車が排気ガスを出し環境問題を起す側面もあります。この街は環境宣言をしたから、車の排気ガスよりは環境にやさしい電車を採用しよう。私が感じたのは、環境のまちとしたからには、環境向きの道具を選び始めたというイメージです。道を広げて車がどんどん走るまちづくりではなく、狭くてもいいからとろとろと市電が走る。まさに人間スケールです。結局は電車と人とがぶつかることのない環境になってきたということを、スライドで見ることができました。
護岸の話もありました。環境といったから、コンクリートの堤防は止めようという話になったのだろうと思います。コンクリートでなくしたから環境宣言をした、という順序ではないと思いますし、非常に興味のあるところです。ですから、我がまちは何のまちであるという宣言を公式にしてしまうと、それでまちづくりが始まるという1つの例だと思いました。
先にお話し頂いた鵜野さんから補足はありますか。三島さんに対する質問でも結構です。今日お集りの皆さんからも質問を受けたいと思います。
宍戸(フロア)
お二人のお話は大変素晴らしいと思います。最初に鵜野先生にお伺いしますが、ボランティアで努力され、多くの方々の知恵をもってまちづくりの活動をされており、大変素晴らしいと思います。ただあの中で、文化の面が不足しているような気がします。人々の心には優しく、生きがいがあり、住んでいたいという気持ちが十分あると思いますが、その中に心の安らかさ、安心、希望がなければ、そのまちは楽しくないと思います。子供たちも含めて発展的で希望のある文化、貧しい暮らしでもその中に含まれている。ですから、たまに文化講演会など様々なイベントがあると、芦別では2,000人近く集まり、文化会館が満席になることがよくあります。文化を好み、望む心を上手に取り入れたまちづくりは時間もかかりますが、そこに投資されたエネルギーは必ず花開くと思います。
三島先生のお話で、ニュージーランドの都市は素晴らしい環境ですが、日本の場合、国や地方自治体の予算の関係もあり、クライストチャーチでは国も含め公共事業費や福祉関係予算・事業費はどのくらいか調べると、日本は公共事業費5に対して福祉関係は2です。諸外国の先進国では全部逆で、福祉5で公共事業は2です。ですから、ニュージーランドも本当に整備されており、相当力が入っていると思います。従ってボランティアも熱心に行って値があるという気がします。私どもの地域にもボランティア活動があり、私も参加しています。町内、地域様々な場で支援を行っていますが、自分の体も時間も全て犠牲にしてあり得る。息が詰まったらもう終わり、そんなことではだめなので、その点も十分考えたまちづくりであってほしいと考えます。
そういう面では、私の経験からすると、今の芦別はやや少ないのではないかと考えます。このワークショップの中では、カナディアンワールドの件が重くのしかかっているといいましょうか、これもひもといていけば、アンの世界など文学にも結び付けることができました。その辺の努力がなかったように思います。ただ箱物を作り、人を入れればいい。一度行けばもういい、感動もなにも湧いてこない。でも、本当にアンの世界を知っている人たちは、何回行っても感動して帰ってきます。その面での取り組みが、やはり足りなかった。
しかし、本市には映画学校があります。これもボランティアの人たちが寄り集まってやっていますが、先生である映画監督の大林氏は、文明と文化の違いをいっておられました。文化を育てなければならない。その文化とは、今いわれたようなことです。心に帰るものでなければならない。まちを活性化することは、リピーターとして訪れる人たちが、芦別へ行くと心が温まるというホスピタリティの精神が必要です。しかし、現実はそうではなかったと思います。表現が悪いですが、行けば田舎商売で肩透かしがあったり、物産館の会館期間も市民の側に立った運営をしてほしいと思いました。10時ごろになってやっと開けるようでは、旅行者は皆通り過ぎてしまいます。そこの1億円トイレには入りますが、お土産でも見ようと思っても閉まっていたら、皆帰っていきます。これは、こちら側の都合であって、訪れる人の都合を考えていないのではないか。ワークショップでは、そういう話も様々な場面で出されていました。
矢島(コーディネーター)
三島さんも、美しい心の人が住んでいれば、まちも美しいという例を、クライストチャーチで見てしまったようですが、公共事業費との関係はどうなっているのでしょうか。
三島(話題提供者)
実は公共の方の対話はしてきませんでした。来年度、もう1度あちらの公共・行政の方とアポをとり、訪問の計画中です。私どもが行った際、建設部を株式会社として独立採算にし、民間に委託し、部を役所から切り離しました。その陰で、ものすごい停電が起きたのをご存知かと思います。街の周辺一体が停電になり、その管理が全くできない状況になり、その時にある意味での行政のリストラを大胆に行いすぎたために、少々計画性の甘さが指摘されていたその時期でした。予算については聞いてこれませんでした。ただ、お金のかけ方については、行政予算の中でまかなえるだけの環境つくり、ものづくり、箱つくりではないがゆえに、やむを得ずリストラをせざるを得なかったのだろうと思います。実は緊迫した予算の立て方であったのではないかと想像しています。
ただ、環境について宣言したこともありますが、お金をさほどかけなくとも、環境を存続させていくことができることは、私もずいぶん見て感じました。数字的な話はできませんが、自然保護を徹底することについて、そのためのマークがあります。例えば自分の庭のすぐそばや、道路、残すべき木に、丸印に木のマークがついた看板のような物が貼ってあります。それが貼られると、家を建てる際にその木が邪魔でも、切ることができません。ですから、木を囲んでおもしろい家を作るなどの例がたくさんあります。そのくらい決めたことが守られる、守らねばならないと徹底しています。多分いろいろな問題があったと思いますが、環境宣言をしてしまって美しいまちにするのだということで、市民を引っ張っていった何10年間がこの成果だと思います。ただ、お花のまちづくり、ガーデンシティを標榜する花のフェスティバルは、100年以上も続いており、さらに増えています。ですから、美しいまちをつくろうという人たちがたくさんいたことは事実だと思います。お金をかけ、造園屋さんに任せ放しということはほとんどないと聞いています。
矢島(コーディネーター)
質問だけでなく、スライドなどをご覧になってご意見はありませんか。
風間(フロア)
いろいろ面白い話を聞かせて頂きましたが、教えて頂きたいことが3点ほどあります。三島さんからクライストチャーチの造園による環境づくりが紹介されました。デザインが英国式で統一されていると見ていましたが、このような理想的なデザインが日本で可能なのか非常に疑問です。英国式なら英国式であるというコンセンサスは、ある地区またはまち全体において可能なのか疑問です。好みの問題もあり、限界もあって、日本的なものから英国式のものといろいろな要素で、このような外見的な美しさが保てるのか。非常に美しい半面、理想を追って実践可能なのか、という気がします。
もう1点は、環境に大切にして電車や歩道などが整備されている事例ですが、それゆえ不便を強いている面もあると思います。環境を守るがゆえに不便さを共有できる、寛容な心を本当に植え付けられるのか。日本の中で皆が我慢できるか、ということが非常に気になります。効率的な社会においては、時間や物、情報もなるべく速く飛びつき、道路が狭ければ広くしたい、新幹線が通ればそのスピードと同じ物流体系を望むなど、日本では常に即物的な面を要求しがちです。その面で、日本では非常に難しいという気がします。
3点目に第1の話題提供で、広く一般の意見を聞くということはたいへん理想的な気がしますが、反面、聞かれる側のレベルが高くなければ、いい結果が得られないのではという気がします。例えば公園を作るにしても、どんなものにするか地域住民に聞いた場合、あれもこれも欲しいと、結局まとまりのないどこにでもあるものになりがちです。広い意味でまち全体のレベルを考えたとき、この場所でこの機能を果たす公園がほしいということを本当に理解し、50年100年後まで見据えて計画できる人々なのだろうか。私も含めてですが、この点から広く聞くことは理想的であっても、限界があるのではないかと考えます。
やはり小さいときからの教育が非常に大切であると漠然と思っていますが、これらの点についてアドバイスやご意見があればお聞かせください。
矢島(コーディネーター)
質問点が3つありました。あのような体系的な美しさを創生したニュージーランドでの、コンセンサスはどうだったのか。三島さん、お願いします。
三島(話題提供者)
景観の美しさを保つことは、北海道の場合、どうしても行政主導型で進められています。そこで2年前から、国が急に中心市街地活性化法ができ、市民の合意のうえにまちづくりを考えよといいだし、皆ばたばたとその方向に向かいつつあるところです。今までは行政が縦割りであったため、隣の課が公園を作っているのに、隣の課で道路工事をしていても分からないといった現状があったと思います。町内でもそういうことをなくしながら、皆さんに問うことは、市民のレベルを踏まえると、市民はものすごいレベルの持ち主だと思います。ワークショップを体験して一番感じるのは、最も現実的で身の丈に合った考えを持っているのは市民だということです。
それを育てていく、一緒に育っていくために何をすべきか、限りある予算や、市が何年計画で何を考えているか、的確な情報公開を行えば、市民はそのレベルの中で物を考えることができると思います。今までは、突然福祉センターができた、ということが多かったのですが、市民にも若干責任があります。私どもも今までは任せ放し、あれは行政がやることだと思っていましたが、これからは、環境も福祉も含め、自分たちのライフワークの中できちんと捉えねばならないと考えていくべきです。行政も市民も、そういう意識改革を行っていかなければならない。この環境問題について、不便を強いられる痛みや苦しさも、次の世代に何を伝えていくか大きく確固たるビジョンがあれば、今こそ私たちが取り組んでいかねばならないのではないでしょうか。
芦別でワークショップを行っても同じでした。市民の方がカナディアンワールドのことも、芦別五重塔のことも、とてもよく分かっています。失敗は失敗として、カナディアンワールドの名は良くも悪くも日本中に広まっている。それをむしろ逆手に取ってやり直し、このように生まれ変わったとアピールすることができないか、と考えたのが市民でした。情報公開の中で現状を報告することにより、市民は自分たちのまちを把握し、ある程度結論へ向けて進んでいくことができると信じて行動していきたいと思います。行政の方も、できるだけ意思疎通を図り、どうせ工事費をかけるなら、公園も駐車場も周りの全体計画を立てたうえで、できるだけ経費を削減しようという動きになれば、無駄なお金、無駄な労力が少しずつ減っていくのではと感じています。
矢島(コーディネーター)
環境を守るため、市民は不便を強いられているが、日本ではどうかということですね。あちらでどういう印象を持たれたかがヒントになると思います。
三島(話題提供者)
全ての人に会ったわけではないですが、少なくともガーデニングやオーガニック系、クライストチャーチに3ヶ所ほどあるごみリサイクルセンター、そう人たちにしか聞いていません。しかし、強いられているとか命令されている、あるいはやらされているという感覚がありません。ボランティアの方々に聞くと、面白い答えだったのが、私はこういうことに参加する誇りを感じていますということです。これはやらされているという感覚とは違い、親の背を見て子は育つといいますが、風間さんのいわれた教育はたいへん大事だと思います。また、これから北海道も含めた日本は、不便を強いられている、やらされている、強制されている感覚から、少しずつ脱皮すべきことを感じなければならない。不便ということの便利さも、考える時代になっていると私は感じています。
矢島(コーディネーター)
結論としては子供の頃からの教育ではなかろうか、環境についての教育ですね。明瞭に市民が計画に参加する、あるいは参加させるという点は、三島さんのお話の中に既に入っていたと思います。
一つ私の経験を紹介します。私はニュージーランドではなくオーストラリアの港町での経験ですが、昭和40年くらいにたまたま小樽とそっくりな話がありました。車の方が快適ですし、車社会からすると街のど真ん中を抜けていった方が、街中の混雑を解決できる。その街は15・16万ほどでまさに小樽と同じですが、外を迂回すると街の人にとって何の役にも立たない。費用対効果で考えると、都心部にタッチしながら通過した方が絶対いい。ちょうど街の歴史の中で、本当の旧市街地と当時の住宅地の間に広い道がある。道路はつぶされずにいつまでも残っています。これは小樽運河周辺と同じで、空いている場所があり、交通計画的にそこを通す計画になりました。
ところが、その道に関して大騒ぎになりました。建築家も百何十年も経った建物がたくさんある、市民もとんでもないと大騒ぎでした。それで何をしたかというと、一旦白紙に戻し、そこを通せば市民にとってどれだけの利益、あるいは損失があるかスタディをしました。そこを通した場合、外を通した場合、他に1案を加え3案を示しました。中心街商店街の空きビルの1階を役所が借り、そこにそのようなスタディを行っているというパネルを並べ、こうすればこれだけの交通量をさばける、しかしこれだけの建物を壊すことになる、と提示したわけです。そうすると、小学校の先生が子供たちを連れて学習に来ます。もちろん商店街の真ん中ですから、買い物に来たお母さんや主婦も寄っていきます。一方では、購読料が無料で全ての家庭に配布されるミニコミを作ります。中には、専門用語を子供や家庭の奥さんの言葉に通訳する人が1人います。これは情報公開であり、専門用語で分からないだろうではなく、しっかり教えます。どういう意味であるか、どれだけ損失がありメリットがあるか教えます。一方では、一般用語でいったことを専門用語に置き換えコンサルタントに戻し、そこでまた運営委員会や審議会を行い、また戻すというキャッチボールを行いながら、ある答えを引き出します。
実は、30数棟の歴史的建造物は全部救われました。今から20数年前ですが、私もそれに関っていました。それを今簡単にいってのければ、市民に対し情報公開するということです。そうすればレベルの高いまともな返答が返ってきます。市民は全て文句をいうか、問題点を指摘する人ばかりではありません。こちらの方がいいはずだという提案をする人が必ずいます。また、あなたの指摘している問題は度が過ぎていますと、市民が市民にいってくれます。そういうかたちで計画を練り直し、次へ進めていく。これに私が参加したので、3つ目のご質問に私が答えましたが、今様の言葉でいえば情報公開と参加とは背中合わせの、全く同じ意味だと思います。情報公開を行わなければ、本当の参加は得られません。
他に何か、このストーリーの続きでなくても結構です。気になっていたことなどありませんか。それでは私から、芦別の市民の方にお伺いします。先程鵜野さんの発表の中に、芦別の中心はどこなんだろうという話がありました。どこでしょうか。
高田(フロア)
中心市街地活性化法を導入し計画中ですが、会議所として今日も役員会等でも決定していますが、企画決定の時期を見る段階にきています。商店街の近代化については何10年も前から手がけています。とりわけて遅いのが実施ではなく計画の段階で、今回の駅前も点の部分です。中心商店街駅前地区という名称で取り組んでいますが、改めて中心市街地がどこかと問われれば、私どもは芦別駅を中心に商店街通りをメインと考えます。ただ中心点が決まれば、全市でも構わないと思っています。
矢島(コーディネーター)
有り難うございます。商工会議所としての意見では、駅を中心とした周辺が中心であろうとの見解がありました。いかがですか、違う意見をお持ちの方はおられませんか。
須磨(フロア)
漠然とした表現かもしれませんが、中心といえば、そのまちの歴史上中心地といわれた場所という考え方もあると思います。やはりまちは道具の一つであり、使う物であるという考え方を持っています。これから何10年という単位でまちを考える場合、「中心地をつくる」という考え方は、お金ばかりかける考え方でおかしいでしょうか。
矢島(コーディネーター)
芦別の場合はJRがありますが、道内では結構ないところがあります。いろいろなまちで調査を行い、全国的にも様々な方が調査してレポートが出されるなどしますが、今の中心、中心街、あるいは自分のまちの顔となるのがどこか、そうしたかたちで調べていくと出てくるのが市街地といういい方が出てきます。ところが、まちというのは生き物ですから、10年20年、もっと100年以内でも相当成長し、あるものは廃れてしまいます。それは産業でもそうであるように、他のまちでは主たる交通機関が鉄道であった時代は、全国的、全世界的に鉄道であり、停車場を降りた場所がその街の顔でしたが、国鉄からJRになったとき鉄道がなくなったまちはたくさんあります。そうしたところでも気持ちの中では駅なんです。
次の駅は何かといえば、「道の駅」のように車の駅といいましょうか、人が交通機関で集まり、そこから歩き始める場所が駅です。いいかえると、交通機関と中心街、中心点は密接に関係しています。ですから、鉄道がなくなったり、あったとしても役割のレベルが下がり、他のレベルが上がってきた場合、例えばバスターミナルのように人をたくさん集めて運び、あちらからも連れてくるというものがあれば、それが駅になっていくことも考えられますし、事実いろいろなところでそういうことが起きています。ですから、交通と中心街、中心商店街との関係で捉えても、絶対そこでなければならないものではないし、ずれていくことが起きます。それを拒否すると、多分辛いと思います。絶対ここだと思い続けて10年20年経つと、世の中の事情はそうなっていない。
どうしてそうかといえば、大規模なスーパーなどができるようになり、それは徒歩で行くような店ではありません。車で来てたくさん購入し、車に積んで帰るということは、車に便利な駐車場があり、郊外に大型店ができます。それも一つの駅、中心地です。もともとの汽車が来なくなった駅は、繁盛しなくなって当然です。その在り方を待つのではなく、交通のネットワーク、鉄道ではなく車なり何なり、計画をどこに置くか、そしてどこに中心を作るかを議論しなくてはならないと思います。
鵜野(話題提供者)
今矢島先生がいわれたことですが、ワークショップの中ではまさにその通りの話が出ました。私も駅が中心というのが常に頭にあり、店がたくさんあり賑やかなところ、これがまちの中心であると考えてしまいます。しかしワークショップには若い人も呼びますから、そういう概念をどんどん崩されます。「道の駅」も中心なるという話も出ましたし、今行っている斜張橋工事は来年度に完成します。そうすれば北の京都にも、芦別温泉にもすぐ行けるし、もっと早ければカナディアンワールドにも行けたのですが、遅いために終わってしまったという状況があります。インフラの整備も大事なことだと思います。タイムリーな整備についてお金のかけ方も考える必要があります。
私自身は中心街が変わっていってもいいのではと感じていますが、ただ店がたくさんあり飲み屋もあってぶらつきたい、そこも捨て難い思いもあります。今後もワークショップをどんどん広げながら、何が一番大事なのかを見極めていく必要があります。
矢島(コーディネーター)
小樽市の方からのご質問でしたが、例えば小樽市に10年か20年後新幹線の駅ができるかも知れません。その時は今の小樽駅には止まらないようです。そうすると私には、駅前が2つできて大丈夫かという心配があります。また、遠軽町では、特急が旭川を通り北見・網走に行くとき真っ直ぐ行けず、遠軽町に入ってスイッチバックします。入った道は昔、湧別を通りオホーツクを回って名寄へ行ったり、サロマ湖を回って行ったりしていましたが、チョンと切られてしまいました。特急はスイッチバックなので遠軽町に必ず止まります。ところが真っ直ぐ行けば、駅の位置が変わってきます。それは大変ですが、その方が面白いかもしれない。いっそのこと皆で移転しようという議論も起き始めています。
一般論としてはご質問にあったように、元々ある駅がいつまでも駅であると考え使っていく。駅がなくてもいい、作っていくという話ももちろんあります。ただそれを作るときに、今ある場所を充実して作るか、違う場所に作るかという違いがあります。そうするとベネフィットとコストがあり、その取り合いをしなければならない。もし行うなら、どんどん情報公開し、様々な関係の人が意見を述べて行ったり来たりしながら、コンセンサスを得なければ絶対できません。
中川(フロア)
先ほどからのお話を聞き、雑多な感想になるかと思いますが、ボランティアという言葉は、戦争の志願兵が語源と聞いたことがあります。志願兵というのはもちろん義勇軍であり、任意によって戦争に赴き命を落としても構わないというものです。その意味ですから、ボランティアとは志がありそれに向かって進んでいくという意味合いだと思います。自分に志があり何かをしてみたい、報酬や必要経費を誰かに貰ってもボランティアと呼んで構わないと思います。この辺、いろいろなところでお話を聞くと、単なるただ働きと誤解されている気がします。そうした意味で本日、三島さんのお話では、近所の公園の掃除をする、ごみを自ら進んで集める、何かのイベントの際には手伝えばアプリケーションを貰い、それを誇りに思う心、それがこれからのキーワードだと感じました。またこれらの習慣は、長い時間をかけて育まれていくものだと思います。
まちづくりの話になると、よく官民一体とか、官民を挙げて取り組むといいますが、官が金を出し、と聞こえるケースが非常に多く、若干うんざりしております。
矢島(コーディネーター)
ボランティアの言葉は私もその通りだと思っていますが、三島さんが肌で感じたボランティア像はいかがですか。
三島(話題提供者)
まさにそのとおりで、私どもは札幌市から委託され美術館の運営を行っています。その場合、近代美術館もそうですが、13丁目の資料館に「おおば比呂志記念室」があります。私はおおば先生にずっとお世話になり、亡くなるまで先生と一緒に働いてきました。その時4年間、記念室を設けるため、私はほとんど無償で行動しました。しかし、それはボランティアで動かされているという感じではなく、この先生の持っている財産をよそに取られたくない。札幌に置きたいという気持ちで4年間建設運動をしました。それは先ほどいった与えられたボランティアではなく、自ら進んで、札幌で生まれた先生の財産をよそにやりたくないという一心でしたことです。
もう一つは、オープン後お手伝いをしてくれる方は、札幌市で選んでくれたボランティアで、その方には交通費を出します。無償ではあるが、交通費はお出しします。最低限払いますが、最初戸惑ったのは、1時間ほど来られて急に帰りたいというんです。私は、でも今日は4時までいてもらわないと困ります、あと2時間ほどお願いしますというと、「あなた、私はボランティアで来ているのよ。息子が学校に用事があるので迎えに行かなくてはならない。ボランティアだから返らせて頂きたい」といわれました。このときに、まだまだ頑張らねばならないと自覚した一瞬でした。
ですから、ボランティアの原点、要するに志願してでも戦争に行く、それは国を守りたいという愛国心、自分がやらなければという責任感、そういうものがボランティアに通じていると思います。そういう気持ちこそがボランティアで大切なことで、言葉だけが一人歩きしている風潮がままあるので、これを機会に我々も考え直しながら、原点に戻ることがたいへん大事であると思っている一人です。
矢島(コーディネーター)
芦別市民で、女性の方のお話を聞きたいと思います。感想でも結構ですし、普段思っていることがあればお願いします。
内田(フロア)
私は芦別出身で、結婚してから子育ての間ずっと昨年3月まで働いており、3月に仕事を辞め、これからどうしよう、カナディアンもなくなったしというときに、今までは働いて税金を払うことで義務を果たしていたが、今度はボランティアなどで何かしなければならないと思っていました。今回もこのように大きな会議とは知らず、まちを考えるということで、どういうことが話されているかと来てみました。私も皆さんがいうように、お金はかけられない、どうしようどうしようといっているのではなく、自分ができることで参加し、何とか変えていくという時期に来ていると思います。4月にあった芦別市のまちづくり委員会にも今年から申し込みました。またこれを機会に積極的に参加したいと思うので、よろしくお願いします。
矢島(コーディネーター)
有り難うございました。一つの側面としては内田さんのお話によって、私の役割の半分が果たされたようです。このような世の中で、行政と市民の在り方について、行政がやるべきことは将来的にもあると思います。何から何までやれといっても、そう多くはできない。例えば税金などの面で辛い部分が何となく見える。しかし、なけなしなりにリーダーシップを発揮し、最も有効で利口なお金の使い方をし、公共が行うべきことはきちんとよいタイミングで行ってもらう。一方では、市民は自分たちがこの時世の中でもできること、自分ができることから実践する。それは本来の意味のボランティアといってもいいのですが、かかるものはかかるが、労働奉仕できる部分はするということです。何から何まで、材料まで家から持ってきてという話にはならないでしょう。
花の例では、花はきれいに咲くが、季節が来ると枯れて醜くなります。枯れた花が落ちて汚いとすぐ市役所に電話するのではなく、その管理を自分たちで最低限行ない、いつも瑞々しく青々としようということだと思います。そういう意味で、市民は自分のできることを実践し、自分たちのまちを自分たちで管理しようということが、「人間尺のまちづくり」への提言のような気がします。
もう一方では、中心街の話にも関連して、ぶらぶら歩きができ、冬でも自分たちの時間潰しができるような場所が中心街ではないかということを、暗に示してくれた気がします。時間をつぶせるという中に、1本の柱として、福祉的な中心街という目標が挙げられます。安定主体といいますか、多少のプラスは必要でも経済がどんどん伸びるという想定はせず、すぐクレーンやブルドーザーがないと始末に終えない事業をするのではなく、人間のスケールにおける住みよい環境ということでしょうか。そのような議論がなされたと思います。これらを明日の全体会議で投げかけ、他の分科会で産業の話にも刺激を与えつつ。文化の話も出ました。時間をつぶせるということには、文化も缶詰になっているまちがイメージされたと思います。それらを他分科会にも投げかけ、接点を求めつつ明日につなげたいと思います。何か最後にございますか。手話通訳をお願いします。
吉岡(フロア)
私が生まれたところは神戸というところです。私の父も一緒に桜を植樹し、久しぶりにそれを見に行きますと、木が倒れるなどして枯れていました。新芽も出ていましたが、前はすごく順調だったので、そこが公園になればいいと昔父と話していました。私が結婚して赤平に引っ越し、芦別の環境がいいからと芦別に戻りました。実際に三島さんのスライド等を見ながら、とても素晴らしいきれいな街だと思いました。また、大変この街に興味を覚えました。私も花が大好きなので、すごく感動しましたし、ボランティアの人が管理しているそうですが、私もそういうことをしております。福祉のお金をただ注ぎ込むのではなく、先ほどの街はとてもレベルが高いので、例えば私が高齢になったときに散歩ができる環境、楽しいところを見たいです。実際は、本を読んで時間をつぶすようなところがなく、寝て起きての生活の繰り返しで寂しい気がしますから、市民がくつろげる場所を私も楽しみにしていますし、期待しています。例えば動物と子供が一緒に遊べる公園なども必要だと思います。
矢島(コーディネーター)
有り難うございました。時間をつぶせる中心街の内容、そしてもう一つは、福祉をもってまちをつくっていきたいという部分を補足して頂いたと思います。また、帰って来たくなるまちにという言葉がありましたが、この言葉もキーワードであると思われます。それはどんなまちかといえば、中心地がどこで、時間をつぶせる何か、そして人々が美しいからまちも美しくなる、気持ちが優しいとか、そういうことになるかと思います。それら全部を含めて、帰って来たくなるまちでありましょう。私は札幌の人間ですから、やって来たくなるまちになってほしいと思います。いいかえれば魅力があるということで、住んでいた人が外から魅力を感じれば帰って来ます。通りすがりの人も、魅力があれば寄ってみたくなりますし、もっと魅力があれば住んでみたくなります。そういう魅力あるまちをつくるにはどうするか、キーワードとしては福祉と人の心、小さいときからいいもの、美しいものを愛する、あるいは行政だけが行うのではなく自分も手伝う、そういう教育も挙げられます。まちは生き物だという言葉は合っていますね、生物なんです。
今日はご協力頂き、本当に有り難うございました。
桑山(司会進行)
ご熱心な議論を頂き誠に有り難うございました。これをもちまして第2分科会を終了します。本日の日程は、この後交流会となっております。おおいに親睦を深めて頂き、ここでは発表できなかった意見など交換して頂きたく、多数のご参加をお待ちしております。 |