全 体 会 議

◆総合司会
札幌市立高等専門学校助教授
北海道都市学会理事

中 原   宏

北星学園大学教授
北海道都市学会理事
杉 岡 直 人
1.各分科会報告
(各分科会記録担当)
2.論点整理(総合司会)
3.全体討議
・パネリスト 各分科会コーディネーター
各分科会話題提供者

中原(コーディネーター)
それでは総合コーディネーターとして私中原と、杉岡の2人で全体会議を進めさせていただきます。昨日3つの会場に分かれ、分科会において非常に熱心に討議が行われ、たいへん実りの多い会議になったと思っております。その後続いて行われた交流会も大いに盛り上がり、分科会・交流会の余韻の冷めないうちに全体会議につなげていきたいと思います。
 まず、3つの分科会の概要報告をもとに、それぞれの論点を整理しながら、その相互関係を明らかにします。そういう中で議論を深め、今回の都市問題会議のメインテーマである「人間尺のまちづくり−安定型社会へ向けた『まち』の再生手法を考える−」の総括をしたいと思います。
 また、この会場ですが、円形で非常に変わった形の会場です。テーブルも円卓が主体で、パーティ会場としては最適ですが、従来のシンポジウムを行うには向かない会場です。しかし私どもはそれを逆手に取り、全員参加型を実現できる会場ではないかと思います。中央のテーブル、八角形の中に16名の出演者の方が一堂に会する。それを円卓が周りから取り囲み、さらに2階のギャラリー席まで全ての人の目線が合うという、全員参加型の会場づくりを考えました。
ではまず、全体会議を始めるに当たり、出演されている皆さんをご紹介させていただきます。
 まず第1分科会は「市民文化による『まちおこし』」というテーマでしたが、「ヤマが支えるまちづくり」というテーマで話題提供された、芦別健夏山笠振興会の滝澤さんです。もう1人、函館野外劇理事長 フィリップ・グロード神父ですが、今日は急な用事ができ、残念ながら今朝早くお帰りになりました。メッセージを承っておりますので、後ほど代読させていただきます。それから、第1分科会のコーディネーターをされた札幌大学の宮良先生です。第1分科会の記録を担当された芦別市の湯浅さん、関谷さんです。
 続きまして第2分科会は「連帯による住みやすい環境創出」というテーマです。まず、「環境にやさしい福祉のモデル都市を目指して」として、芦別まちづくり研究会の鵜野さんです。続きまして、「北海道・花ネットワーク」で話題提供された潟Zントラルプロモーション代表取締役 三島さんです。第2分科会のコーディネーターは、潟vランニングワークショップ代表取締役 矢島さんです。記録担当は、芦別市の桑山さんと高橋さんです。
 第3分科会は、「地域を活かした新しい産業展開」というテーマでした。「グローバル経済における北海道地方都市の立地条件を考える」というテーマで話題提供されました、北日本精機椛纒\取締役社長 小林さんです。次に、「夢いっぱいの農村を舞台に」というテーマで話題提供された、十勝農村ホリデーネット代表の中野さんです。第3分科会のコーディネーターを務められた立教大学の廣江先生です。記録を担当された江別市の稲場さんと高橋さんです。
 それでは全体会議の進め方について、簡単にご説明します。昨日は分科会がありましたが、本日の全体会議では、出演者の皆さんの役割が少し違ってまいります。各分科会で記録を担当された6名の方は、ここでは報告者として、分科会の概要報告をしていただきます。それから、各分科会でコーディネーター役をされた3名の方は、ここではコメンテーターとして、活発なご発言をお願いいたします。さらに、分科会で話題提供をされた方々には、補足発言のみならず、自由なご発言をお願いいたします。
 まず、15分以内で各分科会の報告をしていただきます。会場の皆さんはどれかの分科会に参加されていますので、その分科会の内容はよく把握されていると思いますが、他の分科会について内容が分かり難いと思いますので、理解を容易にするため、各分科会の概要をスクリーンに放映しながらご説明していただきます。その後、論点整理を行い、ディスカッションを行います。終了時刻はおおむね正午を目途と考えておりますが、議論が白熱した場合若干延長することがありますので、あらかじめご了承ください。それでは第1分科会から、概要を報告していただきます。

第1分科会の報告

湯浅(記録担当)
それでは第1分科会の概要を報告いたします。第1分科会は、「市民文化による『まちおこし』」というテーマにそって、札幌大学の宮良先生にコーディネーターをお願いし、芦別健夏山笠振興会の滝澤さん、市民創作「函館野外劇」の会のフィリップ・グロードさんからそれぞれ話題を提供していただき、討議を進めてまいりました。
 まず最初にコーディネーターの宮良先生から、第1分科会の説明にあたり、「生活文化とは何か」とのお話をいただき、今回の全体テーマである「人間尺のまちづくり」を基底に、第1分科会「市民文化による『まちおこし』」というテーマにおける、問題整理の視点を幾つか提示していただきました。その後、健夏山笠振興会の滝澤さんから「山笠とまちづくり」と題して話題提供をいただきました。内容については、山笠との出会い、その魅力についてお話いただきました。山笠を始める前に、当時の芦別で健夏まつりのメイン行事であった「纏踊り」というイベントは、参加者のほとんどが当日参加の高校生アルバイトが中心で、祭りそのものの在り方としては行き詰まりを感じていた。これではだめだと、滝澤さんを中心とした仲間数人が頭を突き合わせながら、日常の中でお話を進めていたそうです。たまたま、NHK特集「熱走、博多山笠」という番組を見て、カルチャーショックを受けたそうです。見た瞬間に魅力の虜となり、これが現在の健夏山笠をはじめるきっかけになったと話されました。
 翌年、滝澤さんが所属される中央区町内会でこの部分を取り入れ、スタートすることになったそうです。その後、滝澤さんのほか有志で健夏まつりを楽しくする会を発足し、中央町内会以外の芦別市本町地区にある各町内会を巻き込み、現在の芦別健夏山笠振興会に発展させ、今年で15年継続してきました。滝澤さん自身、7年間にわたり芦別を離れた時期があり、毎年7月上旬には家族からの要望もあり、子供と生活するため毎年芦別に戻られていました。滝澤さん自身の生活の中でも、家族と山笠が芦別に対する望郷が、本州での生活の支えとなったそうです。
 次に、芦別健夏山笠の原点である博多の山笠について、私たちにご紹介頂きました。この中で博多の方がよく使われる言葉に、「山があるから博多ばい」があり、九州大学文学部 竹沢助教授の分析によると、人々が宗教的・社会的な連帯によって結ばれたものがcityであり、人々が単に集中したものはtown であるという定義で区別されています。これを引用され、まさに山笠が博多を生み、支えてきたのであり、歴史の浅い北海道の都市問題を考えるうえで、大きなヒントになるとまとめていただきました。
 次に、山笠が実際に芦別にもたらしたものについて、山笠を通じ世代・職域などを越えた交流が確実に芦別全体に広がっている。その広がりの部分は、山笠をしている者からの一方通行、一方管理ではなく、まさしくやる者と見る者、支える町内の方々との心の通い合う交流であります。芦別には、6つの「流」、これは町内会を単位とし存続している集団ですが、その中で「緑幸流」では、町内会役員から「たまには町内会に恩返しでもしてはどうか」と、山笠の会員にお話がありました。資金的援助は各町内会が行っており、山笠の実施時期以外に何かできないかという問いかけだったようです。それを受け、若手が中心となり、独居老人宅の除雪に励むことでこの提案を受け入れたそうです。このことは、町内に一人暮らしの老人が多く住んでいること、町内会役員はこの方々の除雪に手が回らず悩んでいた現実があり、町内の陰にある問題点も認識することができ、今後の活動を通じて、町内の方々との連携についてもよい道筋ができたということでした。
 山笠は住民参加と住民自治の原点であるとして、山笠は楽をしようとする人ばかりでは山自体が動かなくなる。逆に、一生懸命な人間がたくさんいれば、ぐいぐいと前進していく。また、山が動き出す前にも、多くの下準備があり、一人一人が参加の気持ちをしっかりと持たねば、山は動いていかない。これに関して、住民参加の大切さに通じるものであり、住民自治の根源であると考えておられます。
 最後に、今後の地方分権をきちんと受け止められるのは、住民参加と住民自治の精神がしっかりと根づいたまちであることが必要ではないかと結ばれました。
 次に、「野外劇で町おこし」と題して市民創作「函館野外劇」の会 フィリップ・グロードさんから話題提供をいただきました。はじめにまちおこしは土地にあるオリジナルなものを活かすこと、仲間づくりが町おこしであると定義づけからお話がはじまりました。まちおこしをするという言葉には、かなり行政的なからみもあり、皆さんが受けるのは苦しい、堅い、なかなか壁を破れないという印象かと思いますが、実際にまちおこしをする部分では、皆さんが楽しい雰囲気をつくり、その中から新しいことを生み出すことこそが必要であるというお話でした。
 野外劇の舞台となっている五稜郭は、市民の提案で道南の歴史を語るショーをという気運が盛り上がり、日仏協会と市民有志が協力して取り組んだことから始まったそうです。グロードさんのふるさとであるフランスのジュゴー村は、人口3万人の村ですが、現在100万人が集まる大きな野外劇の会場になっています。その経験を生かし、函館の野外劇は今年で12年間続いてきました。内容は年10回程度公演され、7月中旬から8月中旬にかけて実施しています。出演者は700人規模という非常に大きな催し物で、内容はクラシックバレエやモダンダンス、日本舞踊等、見せ場の函館戦争の場面以外でもいろいろな趣向を取り入れた構成になっているそうです。予算は年間4,000万円で、1回の公演につき約400万円、お金を集める意味では非常に苦労しているが、野外劇を通じての一番いいところは、仲間づくりができるところで、12年前に始めた子供たちが現在成人し、リーダーとなって活躍しています。野外劇をしたいという理由から、函館に残る方も数多いそうです。また、この活動そのものがボランティアスクールとして評価が非常に高いそうです。
 この活動を進めるうえで、五稜郭の一部を常設の野外劇場にという運動を続けておられます。五稜郭は特別史跡のため、行政的にはなるべく近づいてほしくないという雰囲気がありました。しかし、グロードさんが当時の文化庁長官 植木さんと接点があり、直接交渉が可能になり、その結果長官から「活用させた方が保存につながる」と後押しを得て、地元との協議も整い、五稜郭を舞台として使用できるようになりました。グロードさんの考えとして、地方にあるオリジナルなものは、地方で有効に活かすことを進めることこそ大事である。これは地方自治の時代にマッチしたものであり、今年5月には野外劇の会がNPOの認定を受け、今後の活動に取り組みを進めるそうです。
 野外劇には、馬や船、UFOも出るそうです。手法としては、函館戦争に関することだけではなく、あの手この手、何でも取り入れてやっているということでした。そのため大きなファンの広がりを得ているそうです。グロードさんからは、自分の住んでいるところには必ず「宝物」が眠っているという言葉をいただきました。グロードさん自身、昭和29年から函館に住んでおられ、北海道はオリジナル性があるはずなのに、それに欠けていると感じておられるそうです。魅力というものは全て個性から生まれるものであり、アメリカを例にとると、サンフランシスコの人口は当初5,000人、マイアミは500人でした。それから鑑み、芦別も考え方によっては将来100万都市になる可能性が大いにある、と私たちにエールを送ってくださいました。
最終的には、とにかく楽しい雰囲気で、オリジナル性を大事にしましょう。堅苦しい雰囲気はまちおこしに必要ないとしめくくられました。
 その後、意見交換を行いました。内容は、1.まちづくり活動と行政との関わり、その問題点について。2.組織のまとまりと継続の要因について。3.地域とのつながりについて。この3つの部分に分け、説明いたします。
 まず1.まちづくり活動と行政との関わり、その問題点について。函館野外劇の関係で、野外劇を実施するにあたり行政をどのように説得したかという質問がありました。五稜郭は特別史跡として文化庁が所管し、函館市が管理を委託されていることから、使用が大変難しい状況にあったそうです。直接文化庁長官にアプローチする道を持っていたので、長官の理解を得、地元の了解を得たそうです。中央から保存管理を任される立場では、地方自治体に理解を求めることは難しいことだが、途中の煩雑な手続きだけでさじを投げてはいけないというご意見でした。
 また、事業を実施するうえで、挫折はなかったのかという質問には、振興会の滝澤さんからは、道路使用のための警察との折衝に大きな苦労があった。担当の異動によって、理解が全部最初からになってしまう。これを継続するためには、会の取り組みをより全域的なものに進めていくことが必要とされました。組織のまとまりと継続の要因として、山笠を始めるにあたっては端的に、最初は10人程度の仲間しかいなかったが、実際に重い山を動かすには70〜80人の人手が必要である。従って、世代・職域を越えて人集めに励まざるを得なかった。この行動は自主的なもので、山自体大きな広がりを持つことができた。
 地域とのつながりについて、資金手当の問題ですが、山笠関係では滝澤さんから、山笠を始めるにあたり、まず飲食に関することや衣装等の用具に関わる費用は、会員の自己負担とした。その心意気を認められ、町内会の理解につながったそうです。グロードさんからは、一般会員、特別会員、その他市・道・芸術文化財団からの各種補助金、チケット販売等で運営経費4,000万円を捻出していますが、水舞台や観客席の設置、照明・音響設備等でかなりの経費がかかり、その他衣裳代等で収支トントンの状態である。しかし、お金集めは大変だが、皆で手で作り上げる楽しみゆえやっていけるというお話でした。
 私どもの分科会は、「祭り」が話題の中心でしたが、それに関する意見に、祭りは非日常的なものである。まちおこしは市民の活動に根ざしたものであり、例えばレクリエーション活動等の生活文化もそうである。健康を考えたまちづくりが、今後の市民の健康や高齢化に向けての活動につながり、日常的で最適なまちづくりにつながるというものがありました。
 最後に、コーディネーターの宮良先生がまとめとして、導入文化がいかに地域に定着し、広がりをもつことができたか、これはイベントだけでなく、日常・非日常的なものを含め、生活全体に引き付けて考えるべきであろう。その中からまちづくりが進められる。明治以降、価値あるものは日本以外、北海道以外にあるという考え方がこびりついており、現状においても脱皮できていない。技術や文化は進歩したが、精神文化が遅れている面がある。これを克服する努力をしなければならない。生活文化が長い歴史の上で定着することに、今後期待したいとお話いただき、第1分科会を終了しました。

中原(コーディネーター)
「自分の住んでいるところには必ず宝物がある」という言葉は、たいへん示唆に富んでいると思います。続いて第2分科会の報告をお願いします。

第2分科会の報告

桑山(記録担当)
第2分科会は、「連帯による住みやすい環境創出」をテーマに行いました。最初に「環境にやさしい福祉のモデル都市を目指して」と題して、鵜野さんから話題提供がありました。鵜野さんは芦別生まれ、芦別育ちで、教育者の職業柄、各地を転々とされ、19年ぶりに芦別に帰ってきたところ、芦別のまちが非常に寂しく、衰退している。まちが消えてしまうのではないかという不安を覚えたそうです。そんな折、ハード優先の再生を期待し、「芦別まちづくり研究会」に加入、ワークショップに参加されました。
 その報告ですが、平成9年度に4回開催し、問題・課題の洗い出しを行いました。結論として、1.ハード志向からソフト志向の変換が必要であろう。2.身の丈にあったまちづくりが必要。3.市民主体のまちづくりの必要性、が挙げられました。平成10年度にはさらに8回のワークショップを開催しました。その結論は、芦別が目指すべきは「環境にやさしい福祉モデル都市」であり、それを支えるのは「とことんバリアフリー」である。つまり、自然環境、生活環境、産業環境、福祉環境など全てから垣根を取り払い、芦別市のまちづくりに採用したいキーワードとされました。このワークショップで特筆すべきことは、聴覚に障害のある方も参加し、手話を通して交流を図りました。これは、ノーマライゼーションの社会を築くために当然のことであり、健常者も障害者も、お年寄りも子供も、豊かで楽しく、安らかに暮らすせるまちづくりを目指すという報告がありました。
 最後に、まちづくりにどのように市民が関わっていけるのか、これが今問われているという提言がありました。
 続いて、「北海道・花ネットワーク」と題して、三島さんより話題提供がありました。三島さんも芦別のワークショップで2年間、コーディネーターとして参加され、前半その感想が述べられました。その後三島さんは、環境と福祉のまち、ニュージーランドのクライストチャーチについて、スライドを交え報告されました。ここはたいへん美しいまちといわれていますが、この美しさを支えているのは行政だけでなく、ボランティアの人々だそうです。その原点は、そこに住んでいる人たちの心が美しくなければ、まちは美しくならない。また、まちの人たちが前向きに前進しようという気持ちがなければ、まちは美しくならないという提言がありました。
 また、クライストチャーチは環境都市宣言をしているためか、街中にカラスやヘビ等が全く見当たらないそうです。それは、まちの中にごみがない環境を維持しているからといわれました。このまちでは、100年以上「花フェスティバル」というイベントを実施していますが、市の予算はわずかでも、7,000人にのぼるボランティア活動によって運営しているそうです。スライドの中で特筆すべきことは、公園の花の管理は全てボランティア活動である。まちは統一された色彩により景観づくりが行われている。まちをきれいにするため、利便性のある車などを排除する事例も紹介されました。また、日本ではなかなか考えられませんが、柵のない公園でも十分管理できるほど市民意識が高い。なぜこのような市民意識を持てるのか、それは子供の時から親あるいは祖母の背中を見ながら、無言で教わっているからだと感じたそうです。
 まとめとして「そのようなことを我々もできないはずがない。1人の1歩が大切で、できないのではなく、できることが何なのか考えていくと、ハードよりソフトにたくさんの材料があるのではないか」という提言をいただきました。また、「お金をかけなくても十分環境を保護していける。つまり自然保護を徹底し、決められたことは必ず守らねばならないという意識を植え、環境宣言をしてしまって、美しいまちにするんだという意識が大切である」と提言されました。
 風間さんからは、クライストチャーチは景観やデザインが統一されているが、果たして日本でそのようなコンセプトが受け入れられるか。環境を大切にするため、自動車を排除することにより不便なところもあるだろうが、本当に日本で可能なのか。また、ワークショップは広く市民の意見を聞く理想的な手法であるが、限度があるのではないか。また、市民の意見を聞く側のレベルが高くなければ、よい結果が得られないのではないか。意見を聞く人は、5年後10年後の計画ができる人のなのか。そのためには小さい時からの教育が大切だと思うが、何かアドバイスをという質問がありました。
 それに対し、話題提供者とコーディネーターからは、北海道では環境や景観を保つことは行政主導になっている。しかし、中心市街地活性化法により市民参加の時代ができつつある。市民は非常に高いレベルを持っており、馬鹿にしたものではないということです。市民は情報公開を受けることにより、「身の丈に合った」まちづくり、考え方ができる。今までは行政に任せきっていたが、これからは環境・福祉を含めて、自分たちのライフワークの中で意識改革をしなくてはならない。今、痛みや不便を強いられていても、次の世代に何を伝えたいのか大きなビジョンを持つことにより、意識も変わっていくのではないか。そしてボランティアについて、それに参加している人は命令されてやっているという意識はない。その人たちはガーデニングに参加することにより、誇りを持っています。そのような意識を自然に持てるのは、小さい時からの教育が大切であると回答されました。
 また、オーストラリアのあるまちでの経験から、市民と行政が意見のキャッチボールをすることが本当の市民参加であり、そのためには行政の情報公開が必要になるとのアドバイスもありました。
 次に会場の中川さんから、まちの中心は、そのまちの歴史などの条件により様々な成り立ちがあるだろうが、まちは道具、まちは使うものとの考え方に立ち、まちの中心を探すのではなく、まちの中心をつくることもできるのではないかとご発言がありました。これに対し、今あるものを充実させるのか、新しい場所に移すのかは購買力、コスト等を考え、情報公開の中でコンセンサスを得ることが大切であると回答されました。
 同じく会場から提言がありました。ボランティアという言葉に引っかかるし好感が持てない。単なる無償労働、タダ働きという意味に受け止められているのではないか。古くはボランティアの語源は戦争の志願兵を指したそうですが、「イベントの際には手伝う、私はそれを誇りに思う」という言葉がキーワードではないかといわれました。
 続いて会場のお二人から、自由なご意見を頂きました。内田さんから「今まで働いて税金を納めることで市民の義務を果たしてきたと思うが、今後はボランティアで貢献しようと思っている。行政は困っているからお金をかけられないではなく、市民は自分のできることで変えていきたいと思っている。11月には当市のまちづくり研究会に参加し、さらに勉強したい」とおっしゃいました。地元芦別の吉岡さんから「芦別で生まれ、結婚してからは赤平におられましたが、また芦別に戻られました。三島さんのスライドを見て大変美しく、興味を持たれ、自らもボランティアに参加したいと思われたそうです。自分が高齢者になったとき、散歩ができ、本を読んで時間をつぶせる空間があればよいと思う。動物と子供が一緒に遊び、市民がくつろげる場所ができることを楽しみにしている」という意見が出ました。
 最後にまとめとして、行政はリーダーシップを発揮し、1.クレーバーなお金の使い方をすべきであろう。住民には、自分のできることからやるという意識が必要である。2.中心市街地の問題では、自分なりにぶらぶらできる場所、時間を過ごすことができる場所には、文化の要素も入っていることが必要である。3.福祉が産業であるなら、福祉的な中心街をつくることが目標となるのではないか。また人口が伸びる、経済が上昇するといった上向きな考えも必要であるが、むしろ住みよい環境をつくることが、まさに人間尺のまちづくりではないか。4.帰ってきたくなるようなまち、住んでいた人が外に出たとき魅力を感じて帰ってきたくなるまち、通りすがりの人が立ち寄ってみたくなるまち、そういうまちをつくるにはどうすればいいのか。そのキーワードは福祉であり、行政だけでなく、自分たちでできることは自分たちで行う気持ちを育む体制が必要である。つまり、まちは中心市街地も全て、時代のニーズによって変わるものであり、まちは“いきもの”であり、“なまもの”であるということで、この分科会を締めくくりました。以上が第2分科会の報告でございます。

中原(コーディネーター)
どうも有り難うございます。最後のまとめの言葉にありましたように、「帰ってきたくなるまちになる方法を考えること」が、これからのまちづくりを解く鍵のひとつになるというご提言をいただきました。それでは第3分科会の報告をお願いします。

第3分科会の報告

稲場(記録担当)
第3分科会は「地域を活かした新しい産業展開」というテーマに副って、立教大学廣江先生にコーディネーターをお願いし、北日本精機鰍フ小林さん、十勝農村ホリデーネットの中野さんからそれぞれ話題提供をいただき、討議を行いました。その概要を簡単に説明し、全体会議への展望を示したいと思います。
 まず、「グローバル経済における北海道地方都市の立地条件を考える」と題して、北日本精機椛纒\取締役社長 小林英一さんから話題提供がありました。北日本精機鰍ヘ、世界に通用する精密機械製造業で、従業員500人、生産高75億円、年間約700万個のベアリングを生産し、世界27カ国に輸出しています。平成8年度にはISO9001、その後世界環境基準であるISO14001を取得するなど、地方都市における優良企業として発展しております。今回は精密機械工業として、その優良企業を芦別に立地した経験をもとに、北海道の地方都市がもっている優位性についてのお話がありました。
 精密機械工業において、北海道では加工度の高い製造業が育ちにくいといわれているが、そのようなことはない。物流、情報通信、土地、気象条件、労働力の5点について推奨されました。まず物流ですが、工場生産のうち約50%を海外に輸出、そのうち50%が航空便で新千歳空港からヨーロッパへ、成田空港からアメリカへ発送している。3日間で到着するし、航空運賃は1kg当り500円、20kg約1万円でアメリカへ届く。芦別から新千歳空港までは2時間で行けるなど、北海道の地方都市としては立地条件のよい、便利なところであるとお客様からの発言も多い。だから、加工度の低い大きなものは別だが、物流面でのハンディは全くない。
 第2に情報通信ですが、インターネットや電子メール、ファクスなどで海外のユーザーと直接図面のやり取りを行うなど、情報通信に関するハンディは全くない。なおこの分野では、本州との格差もない。
 第3に土地、優位性が特に高いのは、土地が安いということ。そのメリットは、従業員が家を持つなど質の高い生涯設計が容易になる。さらに、芦別には市民会館、市立病院、図書館など、地方都市としてのインフラは全て整っている。会社がいいだけではなく、芦別の環境が快適だから、従業員の定着性が高く、離職率が非常に低い。これは年に1・2人だそうです。
 第4気象条件、雪害による道路の封鎖など交通障害もほとんどなく、空調コストも建築資材の進歩により暖房費が軽減されるなど、本州の冷房費と比較しても大差がない状況である。
 第5に労働力、精密機械工業においては、注意力や持久力が要求され質の高い労働力が必要である。その労働力は、当然レベルの高い地域社会から生まれる。
 以上のことから、北海道の地方都市・芦別における生活環境は、高度産業に向いているといえる。特に、今後はインターネットを利用した物流や営業活動の分野において、新たな産業が生まれる可能性があるとされました。
 次に、「夢いっぱいの農村を舞台に」と題して、十勝農村ホリデーネット代表の中野一成さんから話題提供がありました。私は農家の三代目、十勝の大地でファームイン、つまり農業やレストラン、宿泊施設の経営をしている。昭和63年に自分の山から自ら木を切り出しログハウスを手作りし始めた。12年前にはレストラン「大草原の小さな家」も開業した。バブルの時代を経て、華々しく登場したテーマパークが散ったり、大企業がつぶれる中、このファームインには年間30万人が訪れ、しかもお金を使ってくれるので、現在も健全に経営している。
 その秘訣とは、1.すべて自己資金である。2.客のニーズは経営者自らが見つけ出す。そして、自ら最前線に立ち客から感じ取るべきである。やはり、経営経験のないコンサルに頼るのは危険である。3.地場産品にしっかりと手を加えるなど、独自の商品開発に取り組む。またポリシーとして、はやりものは廃れる、だから流行は追わない。オリジナルのものを生み出す努力を常にしている。
また営業活動として、地域づくりやイベントにもいろいろ参画されております。この地域づくりやイベントに対する考え方として、金が儲からなければ地域づくりも何もない。イベントや祭りごとも地域経済がしっかりしている中で生まれる。まず自分の経済の足固めをすることが重要であると持論を展開されました。都会との関係について、都会の人々との出会いの中から、自然や土に触れたい、動物を飼いたいといった希望や、アトピーや登校拒否の問題に関する悩みの多くを農村で解決、また応援してあげたいと考えているそうです。都市との架け橋の場を提供することで、都市と農村を区別する従来の見方を離れ、都会の人がもっと幸せになれるのではないかと思うそうです。
次に話題提供を受けて闊達な討議が行われました。討議の主な内容についてご報告いたします。
 まずコーディネーターの廣江先生から、中野さんの「イベントは儲からなければならない」という提案に対し、大学のゼミでのお話をもとに、企業の目的は社会貢献ではなく、利潤を追求することである。それでこそ社会貢献ができる。イベントにしても、自分たちがどのように富を豊かにするか、地域や社会が考える必要があるとの意見がありました。
 次に、30年から50年先を展望したとき、現在の事業はどうなっているのか、どうしたらいいのか、次世代にどうしてほしいのか、と問いかけがありました。小林さんからは、北海道は素晴らしい郷土であるということを次世代に認識してほしい。芦別市や地域社会に対する愛情を育てることにより、仕事に専念することができ、10年先、20年先の仕事が安定すると考えている。中野さんは、十勝で循環型農業を確立し、自給自足で安心して生活できる農業を進めることにより幸せな将来にしたいと述べられた。
 さらに、郷土を愛するためには、次の世代にどういうことを伝えればいいか、と小林さんに質問され、経営者としては、雇用機会を多くつくり、利益を上げて税金を払うことが使命である。職があり、生活基盤が安定しないと、地域を愛せない、と答えた。また、小林さんはもともと営業出身。通常はエンジニアの方が精度の高い技術へ移行させていくのですが、貴社の場合は営業出身の社長でありながら、逆にしかもプラスになっているのではとの質問に対し、小林さんは、当然営業なのでマーケットを重視している。次の変化を的確に掴めるため、その分野に対する設備投資も思い切ってできる。それが営業出身の社長のとりえである。技術面でハンディを負っても、キャッシュフローを受けて思い切った設備投資をした。そういう面でマイナスをプラスに転じた。
 続いて、フロアからの質問があった。
 「自分も商人であり、商店街が活性化しない理由は後継者不足にある。まずは利益ということで、世界に通用する商品開発や、うける商品の話があればそのためには一流の設備投資が必要。しかし、莫大な投資が必要になり難しい。それができるまでのプロセスを知りたい。」との質問に対し、小林さんは、企業立ち上げの時期には産炭地振興資金を活用し、ある程度の設備を整えた。政府系金融機関は事業の必要性、将来性を十分説明すれば、厳しい時期にも思い切った設備投資に融資してくれるので、次に北海道東北開発公庫から融資を受けた。本格的に利益が上がりだしたのは、12年ほど前からであり、グループ全体で10数億のキャッシュフローの範囲内において設備投資した結果、世界に負けない高度は設備が整った。市中銀行は、新規事業に融資を渋るので、その点では政府系金融機関に対して高く評価していると答えた。
 学会の佐藤教授から「観光客は道内と道外でどちらが多いか。都会の人と出会って悩みを解決することが、この事業にどう結びつくか。」との質問に対し、中野さんは、夏のシーズンは本州が7・8割、残りは札幌圏。現在12年目で、道外から移住したいという人は多い。不動産屋もなく、行政もやってくれないので、希望があっても土地を買えない。それで自分の農地を転用し、賃貸により提供している。というのは、売ってしまうと、10年もすると自分たちの考えとは違った方向に開発が進んでしまう。そのため永年賃貸事業としている。画家、大企業定年退職者等様々な人がおり、いろいろな話を聞くことが出来、知恵を拝借しているとのことであった。
 続いて学会の加賀屋教授から、北海道で他産業とのネットワーク化をどう図るか。これからどうやって仲間づくりのネットワークをやっていくのかとの質問に、小林さんから、道内の取引先は帯広の1軒のみ。99%が海外。生産段階では北海道とのつながりがほとんどない。しかし、生産基地としての北海道は魅力がある。土地が安いし、インフラがしっかりできている。独自の価値観に基づいたプランがしやすい。トータルに考えれば、地方都市は仕事をするうえで最適であると、地方の魅力を評価された。中野さんからは、民間人だけで、農村ホリデーネットワークをやっている。将来的には全道に広げていきたい。農業といえば補助金漬け、自分も汗をかくことが必要である。これからは自分で金を出し、農業技術などの情報交換を行い、ライバルでもある仲間と競争し合うような、挑戦的な仲間づくりをしているとした。
 次に、人づくり、新世代を担う人を育てる役割について、小林さんから、北大大学院を出た中国人が2人いる。人それぞれ持っている器があるが、トップマネージメントとしての器の大きさは、中国で苦労して勉強しにやってきた人間の方があるのではないか。伸びる者は放っておいてもついてくるし、そのような者を支援するようなことはしない。伸びる能力のある者かどうか、その人の能力を見極めるのが経営者の仕事でないか。
 中野さんからは、ファームインによるネットワーク化の将来について述べられた。十勝は農業生産200億円以上の農業王国。今までは、生産者と消費者の間に農協が入っていたので見えないでいた。しかし、農村現場を見て体験してもらうことにより、農業を理解する機会が増える。また、生産に対する姿勢も変わる。十勝農業全体が応援されるようになる。ファームインはまずその第一歩である。収益性はどうやっても国際的な競争には堪えられない。国際的な価格と戦おうとして、日本の農業は失敗した。海外と競争するのでではなく、客をどう活かすか。理解してもらってその上で買ってもらう。産地が解り、いい物であれば買ってもらえる。大手スパーが直接介入、資本の提供をしてくるなど農業が大きく変わってくるだろう。農協や業者などの介在でメジャーになる農業と小さくても光る農業の二極分化が進むと思う。私は小さくても光る農業を目指している旨発言があった。
 最後に、コーディネーターから、「行政も企業も相当大きく変わっていかなければならない条件をもっている。その中で一番必要なのは、自分たちの組織の存在価値をどう評価していくのか。これから何をやっていけばよくなるのか。その中で新しい時代の行政の価値を見つけていかないと新しい産業だってでてこない。このことは大変重要である。
 札幌の人口が増加し、それ以外は人口減という構造になっている。これから先の問題をどうするのか。地域で生きていくためにどう経済をつくっていくのかも重要である。そしてどのように若い人達に伝えていくのかが今後の課題である。そういう中からアンビジョン(野心)のある人たちが現れる条件をつくっていかなければならない。そして、行政が今後、今までと違うやり方を真剣に話し合い、解決していかなければこれからも変わらないと思う。」と締めくくった。

中原(コーディネーター)
第3分科会の流れは、コーディネーターの廣江先生がご存知のことと思います。それでは時間の関係上、各分科会の報告を整理していくようにセッションを急がせて頂きます。

杉岡(コーディネーター)
 ただ今かなり詳細にお話を頂いたので、もう少しポイントを絞って、これからどの辺の問題を深めるか私から例を示させて頂き、まとまったものを皆さん方から整理して頂き、まとめに結び付けていきたいと思います。その中で、コメンテーターの方々にそれぞれの立場から、課題を提供して頂きたいと思います。
 私からは4点ほど、問題を提供させて頂きますが、まちづくりの基盤となるのは、人々の地域に対する愛着が一番のベースになるということです。そこから誰もが主役になれる見方が生まれてくる。その延長上に、人間尺あるいは手づくりのまちづくりがあるのではないかと思います。
 4点の視点のまず1点目として、立ち上がるのは誰なのか、ということです。何事も最初に立ち上がる人々が必要ですし、それにはアイディアと企画力を持つ団体、あるいは個人が登場してきますが、その人々が活動していく場が、今やハードからソフトへ変わってきたと思います。その人たちは、地域の魅力を考え、あるいは資源の有効性や活かし方を見据えながら、新しい方向に取り組んでいくわけですが、そのような先駆的な人々こそ自立した考え方、強い意志を持ったアイディアで問題を解決していくことができると思います。オリジナルをあくまで追及していく姿勢が、最終的には地域のためになるあるいは地域に役立つことに結びついていくことになるのだと思います。
 2点目のポイントは、立ち上がる人々につながっていく、同志という存在が必要であるということです。同志が集まり、それをネットワーク化する。やはりアイディアを可能にするのは仲間の存在であり、チームプレー、団体のようなものを想定することができます。そこにつながっていく人たちの中には、地域との関わりを可能にしていく町内会に人々もいますし、農村ホリデーネットのように地域を越えたつながり、あるいは企業活動のように見られるような、インターネットを使用した同志的なつながりが登場してきます。そこにメッセージを伝えることにより(発信するものをもつ必要性が)、新しい情報化時代における活動の在り方を可能にすると考えられます。
 3点目は、こうした活動は、継続を必要とするということです。継続の条件を4つにまとめました。1点は先ほど地域の活動の中に、町内会が非常に重要な位置を占めると述べましたが、そこには世帯的なつながりも必要である。若者から高齢者に至るまで、縦の世代のつながりを考える。そして子供世代への継承をどうしていけばいいかを考えていくことが継続性を助長し、文化の伝達を可能とするのだと思います。2点目は、何事も先立つものはお金ですが、主財源を確保し、会員や町内会のメンバーの協力を得ながら、資金を調達して活動を推進させることです。3点目は、行政や企業の協力が重要になってきます。4点目は、継続させるためには、市民生活の中にこの活動が定着する、あるいは溶け込んでいくことが必要で、1年間のうちある時点だけがその期間というのではなく、関連するいろいろな取り組みが重ねられ、1年間の成果につながる、という仕組みが必要であると思います。
 最後の4点目は、この都市問題会議として提唱する課題となるものですが、行政は何をどのように支援するのか、あるいは行政に何を求めるのかをめぐって、議論が出てくると思います。行政の人材やあらゆる活動の手続きの問題、資金・会場・資材に対する協力の場として考えられていくと思われますので、重要な位置を占めていると思います。また、あくまでも民間の私的な活動と行政が、もたれ合わない、依存しない関係を考えてみたい。これらを通じて地方分権時代に求められる住民と行政それぞれが独立した相互の役割を考えていくことになると思います。
 そうした4点ほどのポイントを意識して頂きながら、皆さんの意見を伺いたいと思います。最初に、第3分科会の話題を整理して頂きましたので、コーディネーターの方から今度はコメンテーターとしてこれらの問題の話題を広げて頂きながら、コメントをお願いします。第1分科会の宮良先生から、総括的なコメントを頂きたいと思います。

宮良(分科会コーディネーター)
私は札幌大学の宮良と申します。皆さんと仲良くディスカッションしたいと思います。まず、私はこういう会議に出席したのは、今日が初めてです。研究者、行政、地域の方々、そして地域の方々が築いてきた事例発表がありました。このような会議は初めてであります。ここに出席してまず感じたのは、第1から第3分科会を通じ、市民への定着、地域への愛着の問題が非常に重要だと思います。北海道だけでみると、よく個の自立、全体の中における個とは何か、全体における個人とは何か、ということです。その認識が必要だと思います。
 例えば、私は石垣島の出身ですので、そこの文化は17歳までしかいなかった私の体に染み付いています。やはり地域文化が根底にあるわけです。ですから、伝統的社会で育った人々は、その文化の意味するところを持っています。地域とは何かということの、共通項があるわけです。今ここで議論されている内容は、未来へ向けてどうすればいいかということが主題だと思います。
 まず私は、例えばこの芦別ならば、そこに生活しておられる市民が、自分の地域のことを本当に知っているのか。自分も含めて知っているのか、これが根底です。伝統的社会の人間は、誰をとってみても知っている。最初から既得しています。その文化の歴史的優先度を、皆さんはどのように考えておられるのかということです。つまり、それらを通した個の自立です。
 実は、北海道新聞の北海道北紀行という記事がありました。私はその最後のまとめをするとき意見を求められたので、そのことを話しました。北海道人を見る場合において、様々な性格を持つ人々がいると思います。それは、背景を異にしている我が国の46都府県からの、移住者によって成り立っているからです。ですから、考え方の根底が違っています。ほぼ統合し、あとから入る文化を利用しながら、未来に向けて展開していくことが、北海道に求められていると思います。伝統的社会で当然なものと考えられていることが、北海道では当然ではないと私は思っています。
 芦別の人間はどういう性格を持っているのか、特にインターネットの時代になってくると、コアカルチャー、確たる文化を認識することから始まると思います。
私は産業も人間のネットワークを含めて全てのことを申し上げますが、個と全体、今は個が地域の中にどのように関係しているのか、芦別市を全体とすると、個はここにおられる方々です。空知管内の中の芦別と考えると、どんどん個の関係が変わっていきます。その展開の中で個のシステムがどうなっているかということを、きちんと踏まえることです。そのことから、地域の産業、小林社長も素晴らしい産業を確立しておられ、幾つかの条件を挙げられましたが、その条件もその中において統合されていくだろうと思います。我々は青森県以南の文化がどうなっているか、北海道の文化をその上に重ねて考えます。
 ですからこだわりのあるものは、定着しています。中野さんの事例にしても、こだわりをもって活動し、コンサルタントに頼るのではなく、自分で考え出さないと意味がないといっておられます。私も同感です。コンサルタントが全部をわかっているはずがありません。やっている人が一番分かっています。職業を否定するわけではありませんが、本当に状況を分かっているのは本人です。1人1人が地域と深く係わるかたちで、ネットワークの事業を行っていくことが必要だと考えております。

杉岡(コーディネーター)
それでは第2分科会、矢島さんお願いします。

矢島(分科会コーディネーター)
第2分科会でなされた話題提供、それから皆さん参加型で行った内容は、桑山さんが報告された通りです。私どものテーマは「連帯による住みやすい環境創出」で、環境、これは市民が感じ取れる、もっといえば触れるものとしての環境にもっていこうという、無言の了解があったと思います。結論的には、帰ってきたくなるまち、帰ってきたくなる環境があるだろうというところです。テーマを狭めていったところ、帰ってきたくなるということは、魅力があるという言い方ができると思います。魅力のあるまちは、例えば何か触れるものとして扱ってみようということですから、魅力の中心はどこだろうとなると、やはり中心街・中心点だろう。
 そうすると中心点というものは、一方ではどこでしょう。中心点が持つべき道具は何でしょう。幸いにも駅がある、そんな議論が出ました。その中心点も変わりうるのではないか。それで交通の要衝とまちの中心点は、関わりが深い。その交通が時間の流れとともに変わっていけば、中心点もずれていく。それは事実として認めざるを得ないのではないか。そのポイントが変化する話から、結局まちは生き物ですという言葉に行き着きました。
 私がここで問いかけたかったのは、そのまちの魅力を入れてある、触れる道具としての中心街を置いたときに、その道具の中に、1つの質問がありました。要するに、文化が中心街の道具となりうるか。福祉が中心街の道具として、どのように展開できるのかを問いかけてみましょう。話題提供者の鵜野さんが、まちづくり委員会で議論されたことで、福祉は基礎となる産業にならないか。その福祉が目に見えるもの、触れるものとして魅力のある中心街の中に、道具としてどのように入ってこれるのかということが、私たちのもっていた1つの疑問符であり、一緒に考えるテーマでした。
 我々の第2分科会で補助案として出たのは、ボランティア、リーダーシップということでした。私は、ボランティアすなわち市民の参加、そして何をするか、在り方の1つにボランティアがある。リーダーシップは行政、あるいは行政の長、この関係が非常に大事であり、財政の逼迫などいろいろな局面でどうすればいいのか。三島さんのお話で、ニュージーランドのクライストチャーチでは、我が街は環境を重視すると、環境都市宣言を世界に向けてしてしまった。そのことにより、住宅街も中心街も、環境に対するこだわりが起きてきた。ですから、自動車の排気ガスより、遅いけれど電力による市電を走らせる。一方では、環境を宣言してしまったのでこうなった。あるいは、川が洪水対策のため護岸整備されていたが、コンクリートではなく自然なものに切り替えていったという報告がなされました。
 では、リーダーシップとして福祉なら福祉を宣言すれば、まちのつくり方がそれにこだわり始め、つくり方の道具が出てくる。福祉にこだわれば絶対に変わってくるだろう。すぐいえるのは、全てバリアフリー、段差を取り払うなどだけでなく、ある段階でリーダーシップを発揮すれば、ボランティアで自分たちが身の丈で、必要以上お金をかけずに努力すべきだ、というストーリー展開がありました。各分科会において、文化と産業、そして福祉、それがまちづくりの道具とならないでしょうか、という結論です。

杉岡(コーディネーター)
有り難うございます。それでは、第3分科会のコーディネーターを務められた廣江先生からお願いします。

廣江(分科会コーディネーター)
第3分科会についてコメントをお話します。その前に記録者もご苦労されておりましたが、コーディネーターとして適切なまとめを行わなかったので、話題提供者、記録者の方にたいへんご負担をおかけし、会場の皆さんにもうまく情報を伝えられず申し訳なかったと思います。お詫び申し上げます。
 非常に様々な面から議論され、その1つ1つは時間内で収まることではありません。今後皆さんに継続して議論して頂きたいと思いますが、私がコメントすることは非常に簡単で、要は、産業であっても他のものでも、地域の主役は自分たちだということです。先ほどボランティアという言葉が出てきましたが、志願兵という使い方がされる場合で、それは徴集されるのではなく、自分で決めて参加するということです。自分で決める、そういう覚悟をもつ必要がまちづくり、地域づくりはある。産業全体についてもそれはある。ただし産業の場合にはインフラが必要だったり、社会が生み出す技術がありますから、産業の主体だけの問題ではない。その外側の大きな条件も重要だが、第3分科会で話したかったことは、産業を担う、地域に産業を発展させていくのは、主体の問題であろうということです。先ほど申し上げたように、地域の主役は自分であるということです。
企業あるいは産業は、当然市場原理で動いていますから、必ずしも地域ということにはなじまないものです。ご承知のように、グローバル化というのは国境を越えるわけですから、国家ともなじまないところがあります。そういういい方をすると、企業は、どこにいてもいいという言い方もできます。その一方で、地域と密接に結びつくという積極的な意見もありました。ちょうどお二人の話題提供はそうであったと思います。小林さんのお話は、地域の資源を活かして、どうやって世界企業になっていったのか。成功すれば他に行ってもいいかもしれない。でも、なぜここにいるのかという問題と、芦別にいることによって、どういう結果をもたらしているのか、地域という資源が実際どう使われているのかというお話でした。中野さんの場合には、地域からどういう産業を生み出していくか。結果として産業になっていくわけですが、やりたいという明確な目的があり、それをどのようにつくっていくか、それが今どこまで来ているのかというお話でした。
 中野さんの言葉を借りれば、経営者は汗をかくことが必要である。これは経営者だけではありませんが、汗をかいて自分で行動していくことが必要だ。要は自分でやるんだということです。どういうことをしたいのかがあり、それを実践していく。また、その結果責任は自分で負うという理解です。そういう意味で他に頼るわけでなく、その中から行政に対する厳しい批判も出てきたのだと思います。
 一方で他を頼らないということは、仲間をつくらないということかといえば、そうではない。つまり、個人として自立した産業活動、企業活動になっている。そういう人たちがつながっていくことにより、もっと豊かなものになる。それが地域に豊かさをもたらしているというお話であったと思います。
 従って、言葉として非常に抽象的になりますが、産業家としての個の自立があり、同時に地域の中での連携がある。その中には、事業を行っている仲間同士だけではなく、行政や我々研究者がどうかかわるかという点も含まれます。その関わり方がどうなっていくかが、地域の発展にとって重要である。そういう意味で、中野さんの言葉が非常に過激で、私もどうまとめるか困っている面がありますが、行政は要らないといったことでした。逆にいえば、助成ではなくて支援という言葉は、今までの使われ方からすれば、行政がかなり柔軟になっている証拠ですが、やはり支援といってみてもやはり高いところから見ている。そうではなく、行政も地域の主体の1つとして、自分たちの存在価値をどこに見つけ出していくか、私はそれをもう一度新たに考えていく必要があると思います。
 そういう意味でいえば、行政が支援し、よくいわれるように地域を引き上げていくということではなく、連携していく1つの構成要素として、行政はその地域をどうしたいのかをリアルに考えるべきです。
 お話しして頂いた内容は、そういうことになろうかと思いますので、繰り返しますが、地域の主役は自分たちである、自分たちで何をしたいのかというビジョンを自分で考える、それを自分で行動に移していく。そういうものがあって初めて、仲間づくりもあるだろう、地域づくりもあるだろうと考えました。先ほど記録者が困っていた話の内容を、私なりの考えを含めまとめてみました。全体を通じていえることは、そのことではないかと思います。

杉岡(コーディネーター)
有り難うございました。あと30分ほどで終了へ向かいたいと思いますが、今までの流れの中で、どういう仕組みあるいは問題を考えればいいか、会場の皆さんからご質問・ご意見を自由に出して頂きたいと思います。

西館(フロア)
第3分科会に出席しましたが、中野さんのお話は非常に面白いというか、注目しました。役所の方の「役所はつぶれない」という発言に対し、中野さんから役所もつぶれるとはいわないが、危機的なものがあるというご指摘がありました。部分的なことですが、中野さんの考え方をもう少しお聞きしたいと思います。

杉岡(コーディネーター)
一番インパクトのある発言をして頂いたという印象があります。行政もつぶれる、要らないという中野さんの本音をご紹介頂きます。

中野(話題提供者)
峠を越えてくるとしゃべりやすくなって、何でもしゃべって困っています。行政は要らないとは思っていませんが、私なりにこの「人間尺のまちづくり」を考え、今はまちづくりとよくいわれますが、イベント、名物、名所をつくることにずいぶん一生懸命になってしまった。否定論者ではないけれど、この間に、ものすごい金を使ってしまったと町民として反省しています。幸せなまちというのは、イベントがなくてはならないのか。名物がないとだめなのか。名所がなければ幸せでないのかと思ったときに、小林社長が、芦別は素晴らしい街だ。病院も学校も、その他の施設もちゃんと整っている。私はこれだけで十分だ。これはバブルのせいだと思いますが、欲をいえばきりはなく、非常に間違った幸せを問い続けた結果、大変大きな借金を作ってしまった。もっと近くに幸せがあるのではないか、というところに戻らなければらない時代に来ている。それが人間尺ではないかという気がして、それを含めていったことです。

杉岡(コーディネーター)
かなりソフトな感じになっていましたが。行政の方から、反論も含め、行政のイベント、名物・名所づくりにおいて、実際に効果を考えて進めているというご発言があればお願いします。 ここで、まず宮良先生、いかがですか。

宮良(分科会コーディネーター)
今の中野さんの発言は、私もよく分かります。つまり、北海道の場合、何か目新しいものがあればそれに飛びついていく。今回のリゾート開発などは、まさにそれだと思います。構造的ということがいわれていますが、それは考え方を押さえるということです。私はそのように受け止めていますが、今北海道で繰り広げられている、例えば市町村会が出しているイベント集などがありますが、それをつぶさに眺めてみると、本当にそれでいいのか。バブル時代におけるリゾート開発と同じだと思います。本当の意味で、名所を作ったりイベントをすることがいいのか、というのが中野さんの意見です。そうではなく、人間尺とは地域住民が連帯するということをいっていると思います。
 第1分科会で議論された道南の野外劇にしても、それは五稜郭、歴史を中心として様々なイベントを掲げています。コアは五稜郭という歴史が残した史跡ですが、その地域にふさわしいものを急がず進めることが大事です。中野さんはそのことを否定していないと思います。例えば健夏山笠も、テレビを見て感動し導入したそうです。導入したものによって、町内会を結合せしめる要素となった人間性の結合が行われた。つまり、連帯性の基礎は、私の生活文化の研究から、人間結合といえばまず家族です。家族は親族をつくり、ネットワークを広げていく。 ただ北海道は、明治からこのかた、人間の自然的結合、伝統的社会における人間の自然的結合は地域的結合へと発展しています。ところが北海道は反対です。移住してきた人はどこの人か分からない。生活をしていく中で結婚する。結婚したのはどこの人ですか、多くの場合は東北の出身です。その現状、我々の隣近所の現状、それを全部分かっているのかどうか。だから、農村といっても都市的社会です。ですから第2分科会でも、中核は市街地の中心である。すぐつなぐのが文化だといいますが、すぐ足を運ぶということは、そことのネットワークが必要ではないでしょうか。そういうことで客が買うニーズ、何が欲しいかを捉えること。様々なネットワークの積み重ねの上に地域文化があるのであって、私は地域文化の中心は、人間の結びつき、社会構造だと思います。社会構造の上に、生活文化、芸能にしても、生活に密着しています。健夏山笠にしても、生活に密着させようとしています。その持続性が地域の文化になくてはならないと思います。たまたまそれは導入型ですが、導入しない前の地域文化の中から、地域おこしのヒーローが出てこないかということです。実際、中野さんはしているわけです。それらを創出しようとする努力が問題になってきます。そうすれば逆に、こちらが有名になり、人が集まってきます。そういう地域住民からの文化の形成が、第2、第3全てをつなぎます。ですから人間です。決して急がず、歴史的にそれを重ねることです。恐らく皆さんも分かっておられると思います。

杉岡(コーディネーター)
その他にございますか。

宍戸(フロア)
私も今回初めてこの会議に参加しましたが、先だって全国都市研にも行ってきました。取り上げられたことには、住民参加に重点を置いた会議の内容でした。住民参加は、もともと日本では、お祭りでも結婚式など冠婚葬祭でも、たくさんの方が自由にその地域に合った方法で住民参加していました。それが札幌などではホテルで40・50人クラスの結婚式会場で、本当に田舎であればあるほど、歴史的なことやその地域の習慣を大事にし、住民参加でまちにふさわしい行事を行ってきました。それがいろいろな社会的要因で、人々の移動が始まり、合理化してきている。しかし今になって、住民参加。住民参加のいろいろなイベントは、その地にかなった方法だと私は考えます。
 私も町内会などもやってきましたが、その地域では住民参加の、一人の意見を十分尊重する。時間をかけてどうやっていくか、その地域の伝統や習慣を大事にしながらまちづくりをしていく。そういうことが一番大事であり、これを粘り強くこつこつと作り上げていくことが大切で、そのためのリーダーも、途中で投げ出さないように頑張ってほしい。いろんな面でありますが、途中で投げ出したり、名前だけだったりではなく、地域の未来を考え、その時代に合わせながらまちづくりをこつこつやっていくことが大事だと思います。この会議に出席して、益々地域づくり、まちづくりに展望をもちながら、真剣に考えていきたいと思います。
 お盆になると地方から孫が来ます。孫のためにここに住む祖父母は寄付をし、イベントを賑やかにするために参加したいといいます。こうした子供からお年寄りまでを基点とする、住民参加の場所づくりが大事で、これからも展望を持ってやっていきたいと思います。今回参加させて頂き感謝申し上げます。どうも有り難うございました。

森(フロア)
まちづくりに関して、9月26日・日曜日、NHK特集でアメリカ・アリゾナ州のサンシティという、人口約4万人の街が放映されていました。その都市は1960年、全米で最初にできたシルバーエースの街で、55位歳以上でなければ住めません。私はそれに素晴らしいものを感じました。街の運営はすべて、有償ボランティアで行っており、ユニークな街でした。その素晴らしさを掴むためには、自分のまちに応用するには、自分の資金でその街へ行き、この目で確かめ、実際に触れてみることが一番ベーシックの1つになると思いました。それを掴んで、まちづくりに応用していきたいと思います。

杉岡(コーディネーター)
自前で出かけられるということで、職務に意欲的であることが判明したように思います(笑)。芦別市には、たくさん立ち上がる人が増えているようで、行政の評価は高まっていると思います。

矢口(フロア)
昨日と今日の総括の中でお話を聞いていますと、各分科会とも共通の思いを持ちながらなされたと思っております。私は最近、非常に国の施策の中で疑問に思うことがあります。今お願いすることは、今回のテーマに共通する内容であると思うので、ご出席の権威の方々にお答えを頂ければと思います。テレビ・新聞など大半のマスコミで、これからは地方の時代である。地方分権が大きく扱われるようになりました。昏迷する政策の中で、国は自分たちの荷物を地方に押し付けようとしているのではないか。これは少しひねくれた考えかもしれませんが、そんな印象を持っています。真の地方分権、地方の時代はどうあるべきなのか。行政の人たちにアドバイスをお願いします。

杉岡(コーディネーター)
行政関係者から、地方分権の決意を明らかにして頂きたいということですが、どなたか責任のあるお話をお願いできればと思いますが?
 中央に一番近い廣江先生、いかがですか。

廣江(分科会コーディネーター)
私は一介の大学に雇われている人間ですから、行政の代弁をすることはできませんが、今のご質問にきちんとしたお話をしようとすると、すごく時間がかかります。簡単にいうとすれば、要は原点に戻るということです。地方分権という言葉はきれいですが、もともと地方が財源や権限を持っているのは当たり前のことです。それが色々の経緯から、日本ではそうなっていなかった。それをもう一度元に戻そうというのは、積極的な意味でも消極的な意味でも、その方向に行かざるを得ない。公共投資もそうです。道内の建設業の方々は、少し前のバブルの時には千歳と札幌をリニアモーターカーで結べとずいぶん勢いのいいことをいっていました。私はあんなのはすぐ忘れてしまうといっていたら、その通りになりました。つまり、もっと自分の身の丈で考えていかなければならないということです。
 自分たちがどう生きていくかという原点は、地域がそれぞれ抱えています。例えばチェコのボヘミアングラスの技術は地域で守っており、よそには伝えようとしませんでした。要は、自分たちが食べて生きていく手段を、自分たちの地域の中につくっている。だから戦争があって人々が移動すると、その技術が伝わっていくわけです。
 北海道は北欧三国と仲良くしています。北欧三国は、大国ロシアと隣接していましたから、自分たちの町や村を守るために、ロシアと同じ口径の銃を作ったそうです。好ましいことではありませんが、いざ戦争になった場合、自分たちを守るためには、武器がなくなったら相手の弾を撃って戦おう、そういうところで産業が芽生え、守ってきました。今まで我々日本人は幸せな世界で生きてきましたが、経済的な意味にいうとこれからはそうではない。ただし、マイナスだけを考えず、先ほど述べたように、「人間尺」は幸せであるということに返ることです。
 そういう点から見ると、社会にはいろいろおかしいことがたくさんあります。経営者の方は、地域のこれはおかしいというかも知れない。行政の方はこうあった方がいいのではないかというかもしれない。そういうことをぶつけ合って、よりよい方向を目指していく。先ほど、行政の存在価値がどこにあるかと申し上げましたが、地域の人たちと同じレベルで議論し合うことが必要であって、専門的な知識をもって、例えば産業であれば外的なインフラを含めた環境条件をどうするか、そういうことに知識と政策が生かされなければならない。私はその点をこれから大いに勉強してほしいと思います。
 行政の方が、例えばNHKのテレビ番組を見て興味を持つ。それはNHKの番組だけでなく、実は他にもたくさんあります。これは中野さんが一番いいたいことだと思いますが、もし本当に自分のお金で行かれるのなら、アメリカには他にも見るべき、学ぶべき場所やことがらはたくさんある。いろいろな例があることは、本当は行政が情報を持っているべきです。あるいは専門家に相談してもいいでしょう。そういうことを当たり前のようにしてきたらいいわけです。
 本当はきちんと専門的に議論しようとすると、たくさんのことをいわなければなりませんが、原点はやはり地域にあります。その地域を愛し、どのようにいいものにしていこうか、豊かにしようか。豊かにしなければできることも少なくなりますから、そういうことを考える必要があると思います。行政側も有権者も、われわれ研究者も頭を絞る必要があると思います。
 それに少し付け加えさせてください。先ほど私は地域の主役は自分だと申しましたが、それをくり返しいっても抽象的です。どうしたらいいかという時に、やはり何をしたいのか、ということが重要だと思います。小林社長は自分の会社をこうしたいといわれます。中野さんは、土地を売らずに貸すという考え方は、自分の地域に対する愛着と、こうありたいという考えがあり、それを守るために望ましい方向を考えているわけです。それに、間違いを犯してもやってみようという気持ちが必要です。何をしたいのかというだけでは、いろいろ出てきませんから。一人一人がそういうことを考えることこそが、私はボランタリーだと考えます。
 ボランタリーあるいはボランティアというのは、無償奉仕とイコールで考えてしまいますが、それは全くの間違いです。自分が何をやるかを自分で決める。そのことが原点のひとつであり、それが大切であると思います。言葉にこだわるようですが、環境について、「決められた」ことを必ず守るという表現がありましたが、私はそれは違うと思います。「決めた」ことを守るのです。「決められた」ことではない。産業では何ができる、福祉では何ができる、そういうことを1つ1つランニングし、それで全てであるかどうかは地域の皆で議論する。皆で議論し、実践していくのは当たり前のこと、ということです。

杉岡(コーディネーター)
そろそろ最終段階に入りたいと思いますが、皆様もかなり熱気のある分科会の発言内容に関心を持たれいると思います。小林社長、何かご発言はありますか。

小林(話題提供者)
地方分権、地方自治というお話の中で、頭の中で少し考えたことがあります。やはり地方自治には競争原理が働いている。他市町村との競争原理を導入することが、行政の効率化など様々な意味において、プラス要素があるのではないかと思います。

杉岡(コーディネーター)
三島さん、いかがでしょう。

三島(話題提供者)
私も今回参加して、たいへんいい勉強をさせていただき、有り難うございました。この人間尺を考えた時に、私がふと思ったのは、そこに住んでいる人たちの幸せの尺度であって、それがまちづくりにとって非常に大事であると思います。全部が同じ幸せを望まないと思うし、ボランティアの在り方も変わってきます。ボランティアとして自分自ら立ち上がっていく、それに対して有償か無償かは結果としてあることで、そこに住んでいる人たちがやる気にならなければ、どんなことも飾り物で終わってしまう。自ら動くことを怖がっていたら、まちは前に進まないと私は考えています。道内をずっと回ってみて、一番辛いと思うのは、計画づくりをすると、行政はなぜかつくってしまったとたん止まってしまう。住民はそれに対して文句をいって終わってしまう。そこから何かが生まれなければならないのに、そこが終着点になってしまいます。それを今とても残念に思いつつ、これではだめだ、何とかいいコミュニケーションをとっていきたいと思って動いているところです。
 イベントも同じことで、やさられているのではなく、自らが楽しむためのものでありながら、なおかつ子供たちに伝える文化の1つだという考えが大事だと思います。商業者の方々から、イベントを終えて、疲れたわりに物は売れないしという言葉をよく聞きます。売る仕組みを自ら考えていかないと、これからのイベントは疲労だけで終わってしまいます。もっとしたたかに利益を追求するかたち、まちづくりの基盤となるかたちとして考えるべきだと思います。
 中野さんのお話にありましたが、行政もコンサルもイベントも要らないではなく、一緒になって、どのように幸せを掴んでいくか、手を取り合って求める時代が来ていると思います。今まではどこかが誰かがリードして、それについていくということが多く、その方が楽でした。ところがそういう落差はもう許されず、コンサルも行政も勉強し、市民と一緒になって、何かを興すことを考えていく土俵を持つことが大事だと思っております。
 私はこれを機会に、さらに、住民と女性が楽しめるまちづくりに、何とかお手伝いしていきたいと考えます。有り難うございます。

鵜野(話題提供者)
私は芦別に19年ぶりに帰って来て、本当にショックを受けました。私は最初、行政に強いリーダーシップを求めていました。いろいろなものがあっても上手に使われていない、ハード志向でしたが、まちづくり研究会に加わって話し合ううちに、それではだめだと気付いていき、そこに住んでいる人が本当に生き生きと、豊かに暮らすことが大切だと強く感じました。いろいろなまちを見て来て振り返ると、住みたくなるまちはどうだったか。やはり話題が豊富です。たくさんの人が生き生きしています。中野さんの「大草原の小さな家」へも、2回くらいお邪魔しています。旅行者が通り過ぎた時、「お!このまちは」とか、「あっ!これは」というものが、やはり魅力だと感じています。
 私も帰って来て1年半が過ぎました。4月からいろいろな市の仕事をしながら、催し物があるときには、なるべく参加してきました。そのたびに思いますが、芦別は底力があるな、と感じはじめています。しかし、参加する人や一生懸命やる方がその範疇だけで終わっている気もしますので、皆がそういう気持ちになっていくような、一丸となったまちづくりにしていかなければならない。そうしないと、いろいろな催し物もだんだん廃れていくと感じています。郷土芸能などの話もありましたが、獅子舞を取り上げますと、中身もどんどん時代に合わせて柔らかい感覚で考えなければ、もたないだろうと考えています。
 これからのまちづくり研究会は、11月2日に今年も始まります。ただ夢を語るだけでなく、どのように第一歩を踏み出していくか、具体化に期待と同時に不安を感じております。

杉岡(コーディネーター)
それでは滝澤さん、よろしくお願いします。

滝澤(話題提供者)
 やはり自立することが大事です。自立とは何かというと、自分の足2本で立つということです。やはりここから始まらねばなりません。自分でやる、そこに戻ると思います。次に、何かしたいことがあったら、諦めては駄目だと思います。小林社長には以前もお会いして、お話を聞いたことがありますが、豊かな発想を持ち、諦めずにやり続けたという内容でした。中野さんもそうですが、自立すること、自分でやること。ただ、その中でやはり仲間はつくっていかなければならない。全市的にこのお祭りが行われていると思う方もおられるかもしれませんが、まだまだ全市的ではありません。これからです。今まで15年間やってきても、まだまだこれからなんです。理解してくる仲間を、1年に1人でも増やしていこうということです。理解してもらうためにも、途中で諦めない。今年誘ってもだめだったら、また来年も誘ってみる。再来年も誘ってみる。そういうことで仲間を増やしていこうと実行しております。
 何か新しいことをしようとすると、理解を得なければなりませんが、やはり議論上手にならなければなりません。けんかでもいいと思います。何でもいいですが、ゼロの人間関係はまずい。ゼロはゼロで、いつまでたってもゼロです。マイナスでもいいから、けんかしていてもいいから、人間関係があればいい。その中で議論すればいい。ただ、議論しても後腐れなくしなければいけない。我々はどうしているかというと、ビール1箱を持って来て手を一本入れます。あれを入れると、もうそこで決まったことは覆さない、皆で守る、そのために一生懸命しましょう、ということです。その辺のところが、これからのまちづくりにとっても、重要なことのひとつになるのではないかと思います。
 まだまだしゃべりたいことはいっぱいあります。一晩でもでも二晩でもしゃべれます。我々山笠の参加者は、500人から毎年徐々に増えています。山の話になれば、いくらでも話せます。one for all, all for oneです。博多の山笠は7月1日から15日間です。この15日間があるから、あとの350日があり、その中で付き合いができます。この350日があるから、この15日間があるということです。すごい言葉だと思います。何かのヒントにしていただけると思います。よろしくお願いします。

杉岡(コーディネーター)
どうも有り難うございます。最後にまとめをしていただきます。

中原(コーディネーター)
その前に、グロード神父のメッセージを紹介いたします。グロード神父がいろいろな福祉活動を通じて感じられたことは、北海道は行政の力が強すぎるきらいがあるそうです。従って、もっと行政サイドから市民の方に歩み寄るような姿勢がほしい。市民も行政に歩み寄ることが必要です。それによって、パートナーシップを確立していくことが、これからのまちづくりに必要であるというメッセージでした。
 全体会議のまとめに入りますが、戦後日本のまちづくりや地域開発は、非常に力と金をかけ、しかも短期間に実施していた経緯があります。ヨーロッパのまちですと、数百年かけてじっくり創ってきたことが、わずか40・50年で創ってしまったわけです。従って、そのひずみがあちこちで現われているわけで、リゾートの破綻や中心市街地の空洞化の問題、地方分権、参加型のまちづくりの考え方は別々ではなく、同じものから出て来ていると思います。今までのまちづくりの方法そのものが行き詰まってきているため、これに代わる新しいまちづくりの方法が求められているということだと思います。
 そこで今回のメインテーマである「人間尺のまちづくり」ですが、全体会議でいろいろご意見を賜わったように、自分自身を見つめ直す、足元を見つめるということだと思います。これまでは、成長型の計画ばかりを追い求めていたので、どのまちでも花を咲かせることばかり考えていました。大事なのは、花を咲かせるため、根をいかにつけていくかということが、十分に検討されていなかったのではないでしょうか。本当に初心に返ることが必要であります。いいかえると、自分自身、自分の住んでいる地域を見つめ直す。そのことによって地域に眠っている資源、あるいは資質、魅力を再発見する。それを活かして伸ばしていくということです。
 ですから、3つの分科会に共通するキーワードとして、地域への愛着、ネットワークの形成、継続性、そして行政との関わり方という点で後半議論を進めましたが、一番のポイントは地域への愛着の大切である「自立のまち」です。自分自身、あるいは自分のまちの存在を十分認識する。そして、自分たちがどうありたいのか、何をしたいのかをきちんと再認識していくことが原点であると思います。そのことによって、一種の独立心といいますか、本当の大人になることができる。そうした大人同士が連携して、初めて真の連携になるということです。今までの連携は、ややもすると行政が自分たちに何をしてくれるか、甘える部分があったと思います。これからの真の連携は、一人一人が独立した人間になるということが非常に重要です。そういう連携を持つことにより、初めて地域全体の自立が生まれるということを、全体会議を通して皆さんも確認できたかと思います。
 今回のシンポジウムでは、これからのまちづくりについて、非常に数多くのご発言、考え方があったように感じます。こうしたたくさんの考え方が、会議に参加された皆様の住んでいるまち、皆様のこれからの生き方を考えるヒントになれば幸いでございます。そしてまちづくりが、小さな行動を起し、それがやがて大きなうねりになり、地域が活性化することを願ってやみません。出演者の皆様方、そして長時間熱心にこのディスカッションに参加してくださいました会場の皆様方、本当に有り難うございました。


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