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はじめに 昨年の9月「アメリカ同時多発テロ」のため行政視察は中止となり半ばあきらめていたが、上司の配慮で今回参加することができた。昨年準備は出来ていたので渡航は万全と思っていた矢先に、「右腓腹筋皮下部分断裂」いわば「アキレス腱周囲の肉離れ」を起こし、完治しないままのビッコを引きながらの参加となった。 《オランダ》(10月12日〜14日) 成田空港から11時間半、満席の飛行機の旅を経て、オランダのスキポール国際空港に到着し、約12時間ぶりのタバコを一服 「! う ま い !」 13日は日曜日のため「北のベニス」と呼ばれる運河の街アムステルダム市内視察である。この街は「中世都市」の歴史的形成過程の中で培われてきた「町並み保存の市民意識」と「厳しい規制」の中で、今も歴史の深さと重さがうかがえる。 市内には美術館・博物館が多く「国立美術館」・「ゴッホ美術館」では、絵画鑑賞のあまり興味と経験のなかった私にとっても、実物を目のあたりにし、深い感動を受けた。また、14日のアムステルフェーン市の調査では、質の高い高齢者福祉に感心するとともに、高齢者住宅での満面に笑顔を見せ幸せそうなおばあちゃんの笑顔が特に印象に残っている。 《フィンランド》10月15日〜16日 空路で2時間をかけ、フィンランドの首都で「バルト海の女神」の愛称をももつ街ヘルシンキに到着し、さっそく麻薬犬の歓迎を受けビックリ!さっそく市内視察に。 13の黄金に輝くキューポラを持つ赤レンガの「ウスペンスキー寺院」をはじめ、岩盤をくり貫き岩肌を活かした、総ガラス張りの「テンペリアウキオ教会」や、ツートンカラーのカラスがいる「作曲家シベリウス記念公園」等々、岩盤に覆われた土地を最大に活かした建築物や工法が特に目をひき、オランダよりもゆったりゆとりのある街並みとの感じを受ける。 この国での調査は出発間際になって変更され、ヘルシンキから約2時間のフォルサ市を訪問したが、当日は雪交じりの寒い日で、途中車窓からの景色は、ヨーロッパ赤松・カバの木等、北海道の風景とあまり変わらなく感じた。 調査終了後、急いでスウェーデンに向かう客船に乗るため一路ヘルシンキへ戻る! 《スウェーデン》17日〜19日 ヘルシンキとストックホルムの間を往復する客船「バイキングライン」に乗った 14時間の船旅は、この旅で特に期待していたが余りの乗客の多さに驚く。 船内では、7階の多種多様な食べ物があるバイキング形式のレストランで夕食後、カジノ・免税店など一通り見て廻り、サウナ風呂で旅の疲れを癒すが、船内各階ロビーで若者が朝まで酒を飲みたむろしているのが気にかかる。 同室の吉田氏と早朝のデッキから見えるスウェーデンの島々の景色の美しさと雄大さに感激!!! スカンジナビア半島の東半分を占めるスウェーデンの首都で14もの島々からなり「北のベニス」と呼ばれる街ストックホルムに着き、さっそくの市内視察では、市内を一望し中世の暮しと生活様式を保存してある30万uもの「スカンセン野外博物館」や、木製帆船模型が趣味の私にとって興味ある17世紀に造られ、処女航海で海底に消える運命となり20世紀になって引き上げられた全長68mの壮麗な「ヴァーサ号」などを興味深く視察する。 また、ストックホルムの象徴でノーベル賞授賞会場の「市庁舎」を見学し、今年の日本の受賞者小柴・田中さんに先んじて演台で記念撮影。 視察では、環境保全対策の調査等を対象にウプサラ市を調査したが、施設規模の大きさに驚く。 《スイス》 (10月19日〜22日) 早朝チューリッヒ空港を出発し、海外視察最後の国で、私にとっては一度行ってみたかった待望の「スイス」に向かう。 クローテン国際空港に到着し、19日の目的地「グリンデル・ワルド」に向かう。 途中スイスの発祥の地と言われる人口約6万人のルツェルン市で、フランス革命で戦死したスイス傭兵を記念して自然石に浮き彫りされた「瀕死のライオン像」や、ヨーロッパで最も古い屋根つきの「カペル橋」等を視察。山間部を縫い目的地グリンデルワルドが近づくにつれ、「アイガー北壁を始め巨大な白峰ユングフラウ連山の大自然」が目の前に迫り、「山麓は緑の絨毯に牧歌的家々や放牧された牛」など、スイスに来たとの実感と感動に酔いしれる。 次の日は、氷河の山肌を縫うように登山電車で山頂駅(標高3,454m)へ!! 大自然の雄大さと美しさ、岩盤をくり貫いたトンネルや氷河の洞窟等、空気の薄さと息切れの連続の感動と体験! 下山後3州を通過して、調査地ザンクトガレンに向かうが、日曜日で高速道路は大型トラックが走れないため快適なバスの旅。 21日のザンクトガレンを最後に全調査が終了し、夕食時には団員一同無事終わったことに乾杯。思い出話にも皆安堵が見える。 翌日はヨーロッパ最終日で、チューリッヒ旧市街地等の視察後、一路我日本へ!! ◎おわりに ヨーロッパとの出逢いは初めてで、怪我が完治していない体調での参加であったが、歴史と文化の重さと自然の雄大さに感激と感動の連続の旅であった。 今回の貴重で楽しい体験ができたことは、団長を始め団員・北海道市長会の皆さんや紋別市長を始め上司の皆さんの心づかいがあったればこそと、深く感謝申し上げます。 ありがとうございました。 |
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