第1分科会 「タウンブランドとしての観光都市」

 ☆パネリスト

札幌国際大学観光学部教授  越 塚 宗 孝

北海道大学大学院工学研究科助教授  高 野 伸 栄

ザ・ウィンザーホテルズインターナショナル                
代表取締役社長  窪 山 哲 雄

中井仁実建築研究所代表取締役・環境デザイン室長  中 井 和 子

 ☆コーディネーター

北海道大学大学院経済学研究科教授  内 田 和 男

コーディネーター



北海道大学大学院経済学研究科教授  内 田 和 男



 本日の分科会のテーマは、観光・農業・環境(自然)と三つあります。また、小林先生の基調講演の主題である、パターナリズム(温情干渉主義)は、小泉総理の言うところの「民でできることは民で」という主張に対する逆命題であります。民でできないことは公共で、というご主張であったと理解しております。そこには、行政が数の論理ではなく、市場原理の枠を超えるもの、つまり、金銭的には直接的に各個人の利益にならないが、多くの人々に、間接的に公共的なサービスを提供するという合意があり、公共は、経済学でいう外部性の問題に、積極的に関わる必要があると理解させて頂きました。
 本日の三つのテーマを改めて見てみますと、農業は国民の基本的な生存に関わるものです。自然環境も、広い意味で国民の持続的生存の問題に深く関わっており、フランスなどでは、農業をきちんと保護していますし、これら2つは、公共が個を超えて積極的に関わる必要がある分野であることがわかります。実際、北海道の農業は、これまで国の食糧基地として、環境では、自然遺産である知床に、国あるいは公共が積極的に関わることが言われております。
 これに対して観光は明らかに異なり、市場原理に基づく分野であり、本日のパターナリズムに関連づけることは、極めて難しい部分があると個人的には思っています。観光は、ある面で積極的な商売であり、競争原理を貫かねばならないものだと思います。ところが北海道の観光というとき、何となく公共、市、行政が…というかたちの話題の取り方をすると思います。しかし、先ほど述べた農業や自然環境とは違い、観光産業というかたちで、かなり市場原理において勝たねばならない面があると思います。したがって、それとパターナリズムを関連づけるのは非常に難しいところがあります。もしそれが可能であれば、北海道の大きな持ち味になるとは思っております。
 ただ、この点の議論は非常に難しいとは思いますので、より一般的な意味合いで、北海道観光の持ち味は何か、それを引き出すにはどうすればいいかという視点から、パネリストの先生方が、日頃お考えになっておられる専門分野でご発言願います。その後、補足をお願いした上で、フロアからご質問等をお受けしたいと思います。


パネリスト



札幌国際大学観光学部教授  越 塚 宗 孝



 ただ今、内田先生から分科会のテーマについてご説明いただきました。その趣旨にできるだけ近づくように、発言させていただきたいと思います。
 第1分科会のテーマは「タウンブランドとしての観光都市」で、北海道観光、観光地、観光都市といった一連の流れの中で、この問題をどう考えていくかについて、若干発言させていただきます。
 ブランド価値という言葉が、頻繁に使われるようになりました。例えば、慶応大学の和田教授は製品価値に関して、それは基本価値と便利価値を基盤とした、感覚価値と観念価値であると説明されています。基本価値はご承知のように、製品の基本的な品質、例えば時計であれば、正確に時を刻むここと。あるいは飲み物であれば、安心して飲めることなどであると言われています。一方の便利価値は、消費者が便利に容易に、気分良く購買し使用できる価値である。そして、価格の値ごろ感、あるいは入手の容易さ等をも意味していると言われております。また感覚価値は、楽しさを感じるなど、消費者が五感で感じる価値になります。例えば、商品を包んでいるパッケージや、その商品を売るための広告、あるいはコミュニケーションによって伝達されるものであると思います。観念価値とは、ブランドの使用経験、これから消費者が抱くストーリーやヒストリー、文脈だと言われています。
 以上のような製品価値に関する考え方に準拠して、タウンブランド、いわゆる「まちの価値と観光」の問題について考えてみました。ここであらかじめ、本分科会のキーワードになっている「観光都市」という言葉について、若干定義させて頂きたいと思います。ここでは単純に、“観光者に楽しみを提供できるまち”を観光都市と考えることを前提として聞いていただけたらと思っております。
 最近話題になっているのは、旭川市の旭山動物園です。ありのままの動物の動きを、間近で見られる点が魅力的だとして、全国的評価を受けています。市場は全国に広がったということが言えます。これはまさに、先ほどの製品価値の理論から言うなら、感覚価値が観光者を誘発した例ではなかろうかと思っております。旅行会社はこぞって旭山動物園を組み入れた、札幌・旭川・美瑛・富良野の周遊ツアーなどを販売するに至っております。旭山動物園の全国的な広がりが、周辺の観光地域等へ波及したという例であります。その原点は、この感覚価値にあったのではないかと思っております。
 1967年に旭山動物園は誕生しました。そのとき市役所は市民に、1通の手紙を出したそうです。そこには皆さんの動物園ができました。開園式を行います。たくさんの動物たちがお待ちしています。きっと晴れます。雨なら緑が輝きます、と書かれていたそうです。私は実際に見たわけではなく伝聞ですが、そうした文面の手紙が市民に出されたそうです。これは旭山動物園のヒストリーの一端と理解することができます。そこには、観念価値をうかがうことができるのではないかと思っています。誕生から30年後、1997年に動物園を応援する市民の会が発足しました。市民の会は2005年、NPO法人になりました。こうした市民の支持も、動物園の価値向上に寄与したと考えられます。
 五感の視点では、デイケアセンターからの高齢者の来園が増えているそうです。ここに来ると、気難しいお年寄りも、笑顔になるという評価が見られるそうです。結果として、旭山動物園の存在は、旭川のタウンブランドを構成する要素の一つになったと思っております。
 もう一つ、道東の例を申し上げます。1977年1月の朝日新聞『天声人語』において紹介された、イギリスのナショナルトラスト運動に、当時の斜里町長が目をつけました。その1ヵ月後には、日本のナショナルトラスト運動の原点となる、知床100m2運動の推進が提唱されました。この運動は、国立公園内の民有地を買い取り、保護することを目的として提唱されました。その時使われたキャッチフレーズは、“知床で夢を買いませんか”でした。自然保護に共感する全国の人々の反響を呼んだわけです。
 この当時の考えは、今日、斜里町臨時町議会で可決された、「知床を守り育てるまち宣言」により、広範囲なものとなったわけです。今後、世界自然遺産登録された知床のホストコミュニティの一つである斜里町は、人口1万3,440人ですから、それプラスアルファで、人口63億人の世界自然遺産を、守り育てる段階を目指すことになります。
 ここにも先ほど申しました感覚価値と観念価値の組み合わせによる、タウンブランドの向上が見られると思っています。加えて、知床国立公園内では、交通混雑、排気ガス対策のため、車両規制を現在も行っております。自家用車に代わるバスの中で聞こえた、「お母さん、なぜバスに乗るの」「きれいな空気と緑を守るためよ」という親子の会話、これは大変印象的でありました。ブランドの構築には時間がかかります。このような母から子への伝達も、時間の経過とともに、重みを持つのではなかろうかと思っています。旭川市の旭山動物園、そして道東の斜里と世界自然遺産の例を申し上げました。
 さて、実用主義における真理という問題があろうかと思います。それは人間生活において、有用な結果をもたらす観念を意味していると言われています。構築すべきタウンブランドも、これに準拠しなければ意味がないであろうと思っております。例えば、札幌市は集客交流都市を標榜しております。重点戦略課題のキーワードは、本日の会議のテーマでもある協働を挙げています。そして、この中で道内各市町村と連携した戦略の発掘・アピール、このための具体的な事業は重要であるという位置付けをしております。
 つい最近、フードランド北海道が行われましたが、これを札幌市が支援しています。9月初旬に大通公園で開催された同事業は、延べ35万人の人々が訪れました。数字だけが大事なわけではありませんが、多くの人たちにそうした事業へ理解、反応してもらうことも重要であると思っております。少なくとも延べ35万人の人たちは、数日間に亘って大通公園で楽しい時を過ごしたわけです。特に、協働がテーマであったので、北海道の市町村との連携を事業の中で表現し、特に市町村がブランド化した商品を展示したわけです。例えば厚岸のカキなどが代表的なものですが、こうしたものには、朝早くから列がなされていました。
 歴史を振り返ってみますと、さっぽろ雪まつりは、観光都市札幌、特に札幌の冬の価値を高めました。そして、ローカルな市場から全国市場へと広げ、東南アジアからの評価も高めるという役割を果たしてきました。今後、フードランド北海道に代表されるような秋のイベントは、札幌ならびに北海道観光にとっては、重要なイベントであり、秋の価値を高めるという意味では、大事だと思っております。フードランド北海道の事業の中で個別に挙げるなら、札幌広域圏組合が主催した「札幌大通ふるさと市場」は、なかなかの評判でありました。
 今後、札幌及び北海道は、アジアを含めた国際市場に乗り出していかねばならず、益々、それぞれの季節の価値、あるいはその方向性に向け、一歩ずつ歩まなければならなりません。そのためには、協働は不可欠なキーワードであろうと思います。


パネリスト



北海道大学大学院工学研究科助教授  高 野 伸 栄



 越塚先生が旭山動物園に触れられました。私は交通が専門ですが、旭山動物園は冬期になると、開園が非常に時間が短く、しかも渋滞になるそうです。バスで2時間かけても、動物園に辿り着けなかった。大分動物園のブランドを下げてしまっていると危機意識をもって、改善に取り組んでいると聞いています。最近は、民間の駐車場がどんどん出来上がり、良くなったという話を聞きます。一方では、先ほどのパターナリズムのお話ではありませんが、駐車場がたくさんでき、客引きが増えるのは、旭山動物園のブランド価値を下げているのか。あるいは、実用性とブランドの問題があろうかと思います。
 今日は、観光のネットワークについて、お話したいと思います。観光にもいろいろありますが、今回はそのうちでも、分かりやすい思われる温泉を、観光の一つの資源・対象として考えようと思います。温泉の数は数え方によって異なりますが、JAFから出されている「魅力で選ぶ温泉と宿」という、全国を4分冊に分けて温泉宿を紹介したものがあります。これが使いやすいので、この本から数を取っています。北海道は温泉天国と言われるように、東北6県と比較して、非常にたくさんの温泉があります。北海道には110の温泉があります。この温泉の本には、最近自治体で掘り当てている公営の温泉などは、一部入っていないものもありますが、一応多いということになります。次に続くのが福島で53、秋田32です。これは宿ではなく、温泉の数です。
 なるほど、北海道は温泉の数が非常に多いということになりますが、少し見方を変えてみます。工学部出身ですので、数字が出てきますが、何のことはありません。面積で温泉の数を割ってみたという、非常に簡単な話です。これで見ると、北海道は東北6県の中では最下位になります。北海道は広いから、温泉がたくさんある。広さを比較すると、東北に比べて温泉は少ないことになります。つまり、北海道は面積が広大で、それに関わるブランドイメージがいろいろ出てきますが、面積の広さに伴って、温泉や観光スポットがたくさんあるというイメージにつながるわけです。しかし、単に広いからということもあるのではないか。その意味で、北海道の温泉は低密度と言いますか、広い面積の中に分散してあるということになります。
 次に、宿の数を見ます。宿といっても、どこまで温泉宿と考えるかはいろいろだと思います。これも先ほどの本の定義を踏まえております。北海道はこの宿の数が218です。温泉数で割ると、一つの温泉宿の平均が約2ということになります。ご承知のように、こういう平均というのはあまり面白くないといいますか、実は登別、定山渓など大きな温泉地にはたくさん宿があり、それ以外には1軒宿というところもあります。一応、平均してものを見ようとすると、北海道は約2個ということになります。
 他地域では、秋田も温泉の宝庫ですが、意外に宿の数は小さく1.75、岩手1.52、青森1.44で、有名な温泉がたくさんあっても、1軒宿に近いような温泉が北部にあり、平均すると2軒以下になります。それに対して東北南部は非常に多く、平均すると宮城3.16、福島2.77、山形2.74になります。そういう意味で分類すると、北海道は少数グループになります。1軒宿がメインの地域と、大きく二分できるのではないかと考えます。
 つまり、北海道においては、1温泉当たりの宿は少ない。さらに、一つ一つの温泉が遠距離にあり、温泉同士、宿同士の競争が非常に少ない状況にあるのではないかと考えることができます.宮城、福島、山形に温泉宿が多いのは、もともと湯治の文化があり、農閑期になると2週間、1ヵ月と高齢者を中心に湯治に出かけることが年中行事といいますか、一つのスタイルとして残っています。そのため多くの温泉宿が成立しているのだと思います。それに比べると、北海道は宿の数が少ない。つまり、宿同士、あるいは温泉同士の競争があまり多くない状況にあると整理することができます。
 少し話を変えて、そのように遠距離に分散し、競争が少ない状況の中で、今日のテーマであるブランドで考えてみます。たまたま先週末も、東北大学の先生と北海道内を歩きましたが、「北海道はいいですね、広大な大地、おいしい食べ物など、北海道ブランドとして価値が非常に高い。」ですよねといわれました。東北の方がおられたら恐縮ですが、東北ブランドというものをあまり聞いたことがありません。また、青森や岩手のように、各県ごとのブランドもあまり聞いたことがありません。それに比べると北海道は、北海道ブランドとして、海外から見ればまだまだでしょうが、日本の中では大きく位置付けられています。その中で、宿1軒できちんとしたブランド価値を昇華し、一つの価値として高めているところもありますが、1軒1軒が北海道ブランドを自分の宿、観光地にどうやって生かすか。大地、自然の美しさなどを商品化するのはなかなか難しいので、安直な面でカニ、イカ、メロンなどの名産品を、北海道ブランドと称しています。山の中の温泉でも無理にカニを出すなどと言われますが、意外に商売の効率としては、手間暇かけてサービスをするより、物販の方が手っ取り早く儲かる面もあるかもしれません。こういうようなブランドになってしまっていると思います。
 少ないデータと簡単な分析なのでご理解頂くのは難しいかもしれませんが、北海道は観光の宝庫であると思われているが、それは面積が広いということです。1件1件を見てみると分散していて、他の地域に比べると、一人の旅行者が訪ねて歩くには、ネットワーク的に非常にまばらです。そして隣の温泉や観光スポットとの距離が遠いですから、競争が生まれにくいという状況があります。一方で、北海道ブランドという非常に大きなブランドがあるがために、自分の宿、自分の観光スポットでそのブランドによる商売が、安直に流れている面があるのではないかと思います。
 どうすればいいか。一つは、地域連携というか、地域ブランドというかたちで連携を行う。と同時に、機能的連携、例えば池田町、函館、小樽、富良野などのワインが有名になっていますが、果たしてその間に例えばワイナリーをコンセプトにした連携、競争、それらをまとめたかたちで取り組もうとしている動きがあるか。それだけでなく、川下り、登山など、愛好者同士の連携はあるでしょうが、それぞれの自治体、あるいは資源を持っている人たちに、機能的に地域を飛び越えた連携があるのかどうか。これらが複合的になって初めて、北海道ブランド一つ一つの価値を高めることができると思います。
 ここで、一つの例として、「シーニック・バイウェイ北海道」を見て頂きたいと思います。これは、美しいツーリング環境の創造を目指すものであり、行政と活動団体と言われている住民、NPO、企業が一緒にツーリング環境を整えていこうということです。例えば支笏洞爺ニセコルート、大雪・富良野ルート、もう一つ東オホーツクがルートになっていますが、本日のテーマでもある行政との協働、地域間交流で見ますと、シーニック・バイウェイは開発局が主導しているものです。これは地域間連携の、一つの新しいかたちになるわけです。それは、いわゆる自治体間の連携ではなく、国道を中心にした連携の仕方です。これはとりもなおさず、開発局という道路行政がイニシアチブを取れるようなかたちで、シーニック・バイウェイができている。今までの地域間連携というと、地域内もしくは自治体の中、あるいは支庁という枠組みの中で行われてきたわけです。シーニック・バイウェイの非常にユニークな点としては、道路という枠組みの中で連携しようとしていることだと考えます。
 では、果たして地域連携だけでいいのか。地域連携のデメリットも当然あります。地域というのは、ある意味で平等主義といいますか、そこに加わっている人たちは漏れずに連携しなければならない。非戦略性、非選択性と言いますか、そういうことになるわけです。あるいは、競争している企業が一緒に、呉越同舟で加わらなくてはならず、この連携は自ずから限界があると考えられます。地域的連携は、様々なかたちで行うことが必要だと思いますが、良い面と悪い面があると思います。
 これに対して、先ほども述べた機能的連携ですが、地域を飛び越えて連携することをイメージしました。いわゆる地域資源、人、情報を連携すべきものとすれば、相乗効果・連結効果を高めることができる。また一方では、戦略性が非常に必要になります。どこと連携するのか。本日のテーマである行政との協働で言えば、今までは行政は自治体を単位として連携を図ってきた、また支庁という連携は、道庁を主体に行ってきたものだと思います。またシーニック・バイウェイのように、道路を核とした連携があります。行政としてやるべきか否か議論があると思いますが、機能的連携をどうやって実現していくか。 実は、例えば大規模な会社などでは、それぞれの温泉地に宿を持っているなど、機能的連携はなされています。会社としては連携がなされている部分があるが、温泉以外の部分、いろいろな会社が並立している場合、例えばワインなどがそうでしょうし、川下りや登山など、企業間では機能的連携ができない。そういうときには、行政が地域間の機能的な連携を行う必然性があると考えているところです。
 北海道の広さや、競争が起き難い状況の中で、地域間連携とともに、複合的・重層的な
連携が、今後の北海道ブランドの質を高めることになると思います。

パネリスト



(株)ザ・ウィンザーホテルズインターナショナル
代表取締役社長  窪 山 哲 雄



 今日はウィンザーホテルに関して、できるだけ理論的なお話をしたいと思いますが、今まで実践してきたことに関して、はっきりとしたかたちをお伝えした方が分かりやすいと思います。
 今回、小林先生のお話でなるほどと思ったことがたくさんあり、実践している中にも、先生の理論に関わっていることがあるような気がします。と言うのは、もともとウィンザーホテルは、1998年に拓銀の倒産により閉めることになり、我々が引き受けるまで2年間ほど空白の期間がありました。実際のオペレーションを入れると、4年間ほど空白期間がありますが、その中で、世界中のいろいろなディーラー250件ほどが、いわゆるフィズベリティ・スタディ、開業前の市場調査を行ったところ、ことごとく皆諦めたという極めて特異な性格をもったホテルです。

 

 理由ですが、まず客室数400という規模は、当初会員制度のホテルとして作られた拓銀を背景とした集金メカニズムとしては、極めて妥当なものでした。ところが「ホテル」という視点から見ると、多分、世界最大級の規模だと思います。つまり大き過ぎるということ、極めて難しい環境にあることになるわけです。飛行機で来ても空港から2時間以上かかり、空港から大変遠いという距離の問題もあります。しかもブランドを一度毀損しているうえに、労働市場がほとんど存在しない。高級リゾートホテルの市場も未熟な状態にあった、つまり、高級ホテルを立ち上げるには、三重苦、四重苦の世界にあったわけです。 そこで私が考えたのは、市場に任せないということ。小林先生が言われた、レセ・フェールというかたちは不可能だと考えたわけです。つまり、市場に任せてしまうと、極めて低価格で動員だけを狙い、個性の伝達ができない。即ち、非個性的なホテルを運営せざるを得ないというパターンに陥ってしまう。そこで、市場を「創造する」ことを決意したのです。ここで恐らく、パターナリズムと繋がってくると思いますが、市場の創造ということは、こちらが意識的にそれをつくってしまうということ。つまり、市場の感性によらず、こちらの感性で市場を作り上げる形をとらざるを得ない。
 そこでまず我々が考えたのは、「プロファイリング」という手法でした。それは第一に、「未来の市場」がどうなっていくのかを考え、北海道の中に存在しない、でも世界が期待しているものは何なのかということを考えることから始めました。それは、「国際第一級のリゾートホテルの構築」という局面に入っていくわけです。次に、将来の市場として、どこにフォーカスを当てていくか。これはやはり団塊の世代に考えが及びました。我々がスタートしたのは2000年の時代、高級ホテルはまだまだ認められない環境にありましたから、極めてシニカルな論調がほとんどを占めました。我々は、場合によっては700〜800万人といわれている団塊の世代が、リゾート関係、あるいは観光の主流を占めていくだろうと考えました。それは、自分自身が団塊の世代の人間であることもあり、遊びという観点からすると、ずいぶんフラストレーションが溜まった世代であるということが実感として分かる。その人々がお金を持って出かけた時、大きな市場を成すだろうと考えました。
 次に、30代の女性。これは、感性のマーケットだと思っています。従って、この二つをしっかりと両極で押さえる必要がありました。
 ただ、リゾートホテルとして進めていくためには、極めてセクシーなラインを保っていかければならない。即ち、デカダンス的な夢も追いかける。高単価政策をとっていくためには、それを通過しなければなりません。しかし同時に、客室数400室をカバーするには、それだけを追いかけていればいいわけではない。そこで私は、関東地区のファミリーに 目を向けました。ファミリーを打ち出すことによって、ブランドを維持しながら、且つ市場開拓ができるのではないかと考えたのです。最近は航空会社、特に全日空の機内誌の表3の広告ページにウィンザーがよく載っているのですが、ジュアルはファミリーを意識たものにしています。一見敷居の高いホテルに見えますが、富裕層のファミリーへアプローチすることで、ブランドを下げずに敷居を下げ、マーケットを開拓することができるのです。
 次に、市場に対してウィンザーのブランド戦略を訴求するにはどうすればいいか。開業前、当時の北海道知事の堀氏を訪問した際、「北海道は食材がたくさんあるから、これを活かしてほしい」と言われました。ご自身が北海道大学農学部出身ということもあり極めて広い知識をお持ちで、私も感銘を受けました。
 ただ、私の答えは、「素材だけではどうにもならない」というものでした。我々が最終的な目標としているのは国際第一級であること、インターナショナルに理解されることです。インターナショナルに北海道が理解されるような手法をとるには、北海道の素材を、世界的なレベルに達している技術職の人たちに切り刻んでもらうことが必要だと考えたのです。北海道の本当の素晴らしさを理解してもらうことにより、国内だけでなく、将来的に海外の市場につないでいけるのではないかという考え方に至りました。
 「食」、これに人が絡むとそこには「文化」が生まれます。即ち単なる「食」ではなく「食文化」として落とし込んでいくことが、ウィンザーの活路であろうと考えたのです。 北海道の素材を活かしきる人物として、延べ360人以上の職人を調べました。そこで行き当たったのが、素材に対して極めて力を入れているミシェル・ブラス氏でした。自然と真正面から向き合う素朴さと同時に、一方では合理的にアミノ酸を検出し、アミノ酸度を高めた状態でどうやったら料理を提供できるかだとか、自然をどうやって取り込めばいいのかというようなことを常々考えている人で、私がそれまで出会った職人とは、全く違うコンセプトを持っていました。この人ならば、北海道を表現できるのではないかと思った。 つまり、客がいても表現する踊り手がいなければなりません。能でいえば、舞う人がいなければならないのに、素材だけで止まっているというのが私の北海道観でした。それを活かしきる踊り手、舞い手が必要でした。それがミシェル・ブラス氏だったわけです。
 私が驚いたのは、北海道のジャーナリストの方々にお会いし勝算を問われたとき、「これだけ素晴らしい自然があるではないか」と答えたところ、皆さん非常に怪訝な顔をされ「自然はそんなに金になりますか」という話になったことです。
 私は元々九州の出身で、北海道の自然は本当に羨ましかった。ヨーロッパの自然を突き詰めたくらいの素晴らしさがあり、その自然を全部独り占めしているような場所にあるウィンザーがこれを商品化することは、非常に大きなポイントだと考えています。
 私は、リゾートホテルのポイントは、都会を演出しながら、極限までの自然と両立していくことだと考えています。顧客というものは、「提供されたもの」から徐々に自立し、自分の個性を生かして素材を上手くアレンジしていく傾向がある。ですから、都会的な洗練された空間と、全く汚されていない自然の空間をそれぞれどう扱うかが一番大きなポイントとなるのです。
 ちょうどその中間で、媒体的役割をするのが「スパ」であると考えました。私は、「美・観・遊・創」の観点がホテルの中に埋め込まれるべきと考えていて、ホテルマーケティングのポイントは「リピーターをつくる」こと、つまり高稼動を狙うのではなく「高付加価値」すなわち総合的な消費単価の向上を狙うというところにあると考えています。
 我々はそれをトランザクション・マーケティングと呼びますが、顧客に様々な施設をひとつでも多く使っていただく。使うことによって満足度が増していくのです。それは有料、無料に関わらずです。むしろ、無料のサービスを使っていただきたいくらいの感覚。宿泊客は、泊まるという行為でワン・トランザクション。ところが、宿泊でなくともロビーに座り生演奏を聞くことも、演奏を聴くのは料金は不要ですが、これもトランザクションなのです。自分たちが自然に積み重ねていける、という消費行動を狙ったわけです。
 次に、リピーター戦略として、12ヵ所のレストラン施設を作りました。先ほどのパターナリズムに似てきますが、業界のセオリーでは絶対にしてはいけないことです。しかし、このマーケティングを展開するには、これをしなくてはならないというジレンマがあります。今までのホテル事業の中で、あの場所で12ヵ所、しかも高級化したレストランを持つということは、固定費を膨大に使う結果になります。これをカバーするために、次のプロセスに入っていくわけです。しかし、戦略化するときには、ある一定のことを破っていかないと、新しいマーケットを開拓できない。もう一つ、リゾートホテルの戦略には、囲い込みが加わってきます。それによって次のステップが構成できる。ですから、12ヵ所のレストランは、極めて乱暴なやり方ではありますが、緻密な施策をもって対応し、それを超えていく必要がありました。全てのレストランアウトレットには、最高品質を求めました。パン一つをとってみても、日本で一番です。カイザーというフランスの著名なパン屋で、東京にも「メゾン・ド・カイザー」というパン屋がありますが、これは木村屋というパン屋のご子息がやっておられる。しかし我々は、そことは別の「ホテル・ド・カイザー」というブランドを敢えて自分たちでつくり、カイザーに認めさせた経緯があります。それは、東京ではクオリティを維持できない体制が最終的に出てくると予測したからです。東京で開発する限り、賃料という大きな問題にぶつかってくる。そうすると、その中で付加価値を破壊せざるを得ない環境になってくると思ったので、「メゾン・ド・カイザー」の傘下に加わらず、「ホテル・ド・カイザー」というウィンザー独自の手法をとったわけです。どこが違うかといいますと、粉が違います。「メゾン・ド・カイザー」の方は、日本の粉を使っていますが、「ホテル・ド・カイザー」はフランスのものを使い、フランスの風味を完全に届けています。
 なぜそういうことをやるか。つまり、顧客主義であるということです。その原点に戻り、顧客を獲得していくことが最終目標である。そこに、「ファミリー・ツリー・マーケティング」、つまり何世代にも亘って後退しないマーケティングを展開し、刷り込み効果を得る。それを狙うためには、徹底したクオリティ主義が必要であると考えたわけです。そこで、レストランアウトレットに最高品質を求めた。さらには、ファミリーをターゲットにして、次世代の継承を狙っているというわけです。
 次の戦略としては、サービスからホスピタリティへの転換。即ち、サービスとは不変的に提供されるもので、極論すれば、かつての帝国ホテルが、自分たちが提供しているものを受けろというようなスタンスが主流でした。しかしそれを逆に、ホスピタリティ、即ち各マーケット・セグメンテーション、各市場、例えば子供であるとか、高齢であるといった弱小のマーケットでも、ニーズに応じてサービスを変形させていく。それによって、ホスピタリティを実現することが重要であると考えます。
 コンシェルジュの本格活用も、徹底したホスピタリティの実現のための取組みです。ホスピタリティを目に見える形で理解して頂けるような、メリハリが必要になってくる時、それが人的メディアであるコンシェルジュという存在が不可欠となるのです。誰が、何を聞いても答えられるという存在。つまり、語り部的な存在にコンシェルジェを置いたわけです。我々はコンシェルジェを徹底しおり、ゲレンデにも置いています。予約にも置くなど、非常に細かい体制を組んでいきました。
 今までのサービスの時代から、心のサービスの時代へと転換され、それを付加価値としてお金を払ってくれる、こういう時代に突入していると思います。例えばレクサスは、物を売っているのではなく、サービス、即ちホスピタリティを売ろうとしていると思います。その意味で私は、北海道は極めてやりやすい環境にあると思います。今までのマーケットをもう一度見直し、本格的にブランド作りに入っていけば、他の地方よりはるかに憧れの強い地域特性が出ると思います。私はマーケティング・ビークルと言っていますが、広報、広告、販売促進、営業、運営、顧客管理を連動させ、緻密なマーケティング戦略を行い、それをしっかり管理し、パターナイズすることが大事だと思います。最終的には、スタッフまでブランドに落とし込んでいくことです。
 初年度、たかだか25億円くらいだったものが、今年は50億に達します。3年間で、2倍以上にマーケットが広がり、これからも65億まではコンスタントに伸びていく自信があります。しばらくの間は独走することになります。なぜならば、マーケットを創造することは、マーケティング上、プロダクト・サイクルを、高く長い間維持できる特性があると考えているからです。


パネリスト



(有)中井仁実建築研究所
代表取締役・環境デザイン室長  中 井 和 子



 私は「景観」についてお話しいたします。皆さんが観光地を旅行されるとき、どの様に旅行先の場所を選択するのかを考えた場合、当然、日程として都合の良いところ、交通の利便性、快適な宿泊施設、美味しい料理などについて検討することは、どの場所を目的地として選ぶにしても、選択条件として挙げられる内容だと思います。また、経済力として自分が支払える範囲内で、一番満足感を得られるところが選ばれると思います。しかし、何処に行こうか迷ったときに、旅行の目的地としてもっと大事な選定要件は「景観」です。景観は場所によってさまざまに異なると思います。ですから、今までに掲げた幾つかの条件は、良い場所であれば何処へ行ってもいいわけです。でも、それが北海道なのか九州なのか、あるいは外国なのかという具体的場所の選択においては、頭に浮かぶのはやはり、おのおのの場所が保持している地域性ある景観の魅力です。景観が旅行先の選定において、どれだけ大きい割合を占めているのか、意外と気付いていない場合が多いと思います。そこで、どのように観光と景観を結びつけて考えれば良いのか、「魅力ある景観形成」についてお話したいと思います。
 景観というのは漠然としていて、どう考えれば良いのかということがあると思います。風景と景観の違いですが、「風景」とは、自然の営みがあって、人々が生活していて、生産活動が行われていれば、時間の流れの中で自然と出来上がってくるものであると思います。そして、「景観」には、そこに「観る」という視点が入りますから、どのような風景を前にしても、見る側の人間の価値観や立場の違いによって、景観に対する評価は変わってきます。景観とは「風景の総合的見え方」と言うことができると思います。ですから、どこを旅行先に選ぶのかということは、まさにどの様な目線で、どの様な価値観で風景を見るのかに関わってくると思います。
 そこで私は、景観を評価するのに大きく二つの立場の違いがあると考えます。観光客の目線と、地元住民の目線の二つ視点からの景観評価が考えられます。地元住民の目線だけで観ていると、地元の地域エゴといいますか自分たち都合の良いことだけを考えてしまい、観光に対して過剰に演出された景観づくりに走りがちです。しかし、観光客の視点から見ると、北海道には自然がたくさんあり雄大な風景の拡がりがあるのに、何故おかしな施設をあちこちに建てるのだろうと思う場面も多々あります。北海道の住民から見ると、何もないところだから何か造らねば、ということになるわけです。ですから、地元の方々も場合によっては、観光客の目線で地域を見なくてはならない。あるいは、両者の二つの視点から、自分たちの住んでいる地域の観光資源、景観的魅力を考えないとならないわけです。ある日気がついてみると、観光という目的でおかしな構築物がたくさん建ってしまい、本来地域が持っていた素地の景観の魅力を破壊してしまっていることもあると思います。また、地域住民が快適に暮らせる生活空間そのものも魅力ある景観です。この様なことから景観形成を考える場合には、必ず旅行者的な目線、そして地元住民の目線の両方の視点で、考えることが必要です。
 旅行者的視点とは、まったく先入観のない第一印象で地域の景観を見ることだと思います。しかも、総合的・客観的に地域景観を評価することになります。文句なしに美しい景観、地域性が豊かに反映された景観を前にしたとき、また、自分が住んでいる所とは違った景観を見たときに、旅行の目的地としてその場所を選んで良かったと思うではないでしょうか。一方、地元の人々の目線とは、日常的にその景観を見慣れていることから、美しさや地域性などに対して、もはや気付かなくなってしまっています。地元の人々の地域景観への思いは、快適に暮らしたい景観、あるいは長く住んでいる人にとっては、愛着の抱ける景観に親しみを感じます。町のなかに自分の小さな頃の思い出が甦ってくる風景、自分が小中学校の頃から馴染んだ場所、まちの川で泳いだとか、小学校の入学式の時に母親と写真を撮った桜並木など、心の記憶が甦ってくる風景が存在していれば高い評価を下すと思います。
 そういった視点のあり方に応じて見る側の価値観が異なりますから、景観への評価はいろいろと変わります。ですから、地域の景観を魅力あるものにしようと考えるならば、地域の視点と観光客の視点との二面性において、景観を共有化していかなければならないと思います。地域に住んでいる方々が、自分たちの持っている景観の価値をしっかり見極めていく。行政も市民も同様だと思いますが、地域の景観形成を考える「風景へのまなざし」を共有化していく、その様な景観への取り組み姿勢がとても重要です。
 それでは景観形成を具体的にどう考えていけば良いのでしょうか。景観を整備したり、創ったり、保全したり、いろいろなかたちで地域景観は手を加えられ形成されていきます。まず一つ目は、景観は「総合性」を有しているということです。道路の事業者は、道路のことばかり考えていてはだめです。河川事業者も、河川のことばかり考えていてはだめです。周辺の環境のなかでその事業の役割を考えていく、もっと広い視野から考えるべきだと言えます。その様な意味では、先ほど小林先生の基調講演のお話にもあましたが、地域の住民も、自分の家と周辺との関わりなどからトータルに居住環境を見なければなりません。また景観は、都市空間だけを考えるのではなく、遠くの山や海がどのように街の眺望景観のなかに取り込まれているのかも考えなければなりません。遠景・中景・近景という捉え方からトータルに検討する必要があります。その様な試みの蓄積が文化的アイデンティティとして、地域らしさの形成につながっていくのではないかと思います。
 二つ目に景観は「連続性」を持っています。「シーニック・バイウェイ」は、まさに景観の連続性を有効に活用する試みであります。先ほど、景観には見る側の人間がいると申しましたが、道路を通行していく人間が移動しながら観るわけです。車あるいは自転車、徒歩などの移動スピードの違いによって、景観の見え方が異なってきます。どの様な状態で、どんな移動スピードで見るのか、連続性に配慮しながら景観を整備しなければなりません。
 それから三番目は「公共性」です。公共施設や公共空間ばかりが景観の公共性ではありません。公共空間を形成している建物には、個人の住宅や商店もあるわけです。そのことから、どの様な施設であっても公共的な場を形成しているものは、「公共的視点」で考え検討することが重要です。景観は公共性を有しているということです。
 次に、四つ目は地域特性です。地域性が反映され継承されている景観は、地域の“らしさ”に繋がって行くと思います。また、その様な景観は、過去からの蓄積を背景として現況の景観があるわけですから、この景観を未来につなげて行く持続性という役割、すなわちエイジング、可変しながら蓄積していく景観の存在があるわけです。この可変性が五つめの考え方です。
 これら景観を考える五つの基本姿勢を念頭に、住民と行政とがパートナーシップを組み協働で景観形成を行っていく過程において、地域のコミュニティが再生されていきます。地域コミュニティが希薄なところでは、良好な景観を守る仕組みが存在しないわけです。景観の良し悪しは、まさに地域のコミュニティが健在かどうかの物差しになってくると思います。まちづくりを通して地域の人材が育成され、地域づくり・まちづくりを担って行く次世代が育っていくと言えます。このような景観形成を考え実践する行動があり、地域で共有化される「風景へのまなざし」があって初めて、北海道あるいは札幌らしさを反映する美しい景観が形成されていくのだと考えます。
 それでは、ここで具体的事例の写真を踏まえて、これまでの私が話しました景観に関す内容を、画像を用いてご説明いたします。このJR札幌駅前の広場は新しく整備されましたが、一部に以前からの広告物がたくさん掲出された景観が残っています。札幌の街の軸線を形成する駅前通りにも、屋上広告塔や突き出し看板などの広告物がたくさん掲出されています。一方、パリのシャンゼリゼ通りと比較してみると、街並景観の大きな違いに気づかれると思います。市民や企業が街の景観形成に対して無関心であるのがわかると思います。こういう光景が当たり前になってしまっています。広告・看板のあり方、建物の高さとファサード、緑のボリュームなどが、総合的に街並景観の“らしさ”を形成していることがよく分かると思います。

札幌駅前通りの景観 シャンゼリゼ通りの景観
札幌駅前通りの景観 シャンゼリゼ通りの景観

 札幌が観光都市としてタウンブランド化しようとしても、パリには現況ではかないません。集客に対する景観の国際的ブランド化が足りないと思います。このような都市の沿道景観のシークエンス(連続性)の魅力は、まさに都市文化の熟成を意味する景観形成であり、それらが地域景観の“らしさ”、つまり文化的アイデンティティにつながっていくわけです。
 都市の郊外に出てもヨーロッパの田園景観はたいへん素晴らしいのですが、北海道の場合には、廃車置場やゴミ捨場、違法に放置された看板類がたくさん立っています。北海道の自然は一級品ですし、農村景観もたいへん美しく素晴らしいのですが、その景観を我々の生活文化に付随する諸活動が乱雑でおかしな方向にむけて、景観を破壊している場合が多くあります。河川景観もまちなかでは非常に重要な存在です。都市の河川にかかる橋や河川敷からは、まちの風景が遠景まで良く見えますから、都市の眺望景観を確認する上でも旅行者にとって行ってみたい景観スポットです。豊平川沿いには高いビルが建ちつつあるので、今後の河川の沿川景観のあり方が心配です。ストラスブルグやストックホルム、フランクフルトなどの都市河川では、河川敷に沿って思わず散策したくなるほど、たいへん美しく魅力的な河川景観の拡がりがあります。

ヨーロッパの河川景観 ヨーロッパの農村景観
ヨーロッパの河川景観 ヨーロッパの農村景観

 北海道の場合は196市町村(平成17年10月)ありますが、集落景観としてのまとまりや街の色彩環境がバラバラで、地域景観として見ると美しく魅力的でありません。ところが、ヨーロッパを車で移動しますと、通過する集落を見るのがとても楽しみになります。都市景観を遠景から眺めてもまとまりある集落景観が美しく、次に通過する街に入っていくのが楽しみです。北海道の「三角屋根の家」の屋根の色だけを変えてみました。これだけでも周辺景観に馴染む建物群になりました。私たちが家を建てる場合に景観的配慮として何を心がければいいのか、身近な居住環境から少しずつ考え整備して行くと、まちの景色がだんだん変わってきます。そんなに高額な費用をかける必要はありません、人々の心がけ次第でまちの風景が変わっていきます。それが「まちづくり文化」だと思います。
 北海道の農地・農村景観は、農業の営みが持続しているおかげで文句なく美しいです。しかしそれは、生産性ある農業が存在しなければ守られないわけです。現況は農産物輸入の規制緩和の厳しい条件下にありますが、都市と農村との交流を機会に、農業の成立があってはじめて農村景観が持続できことを都会の人々に知ってもらいたい。農村空間の多面的価値を人々が共有すること、それが都市と農村との交流の重要な役割を担っていると考えます。

北海道の農村景観 南フランスの街路空間
北海道の農村景観 南フランスの街路空間

 南フランスの中世の小さな都市は、車社会になる以前の都市空間を保持していますから、街路空間の構造がヒューマンスケールで魅力ある街並景観を形成していて、思わず町なかを歩いてみたくなります。歩いて楽しい街づくりの原点ではないでしょうか。
 世界遺産のなかの文化遺産であるモンサンミッシェルは、遠景から見ても美しいですが、街なかを歩くと歴史を感じる街並景観が存在します。北海道の観光関係者なら美しい風景が見えるところに、「世界遺産モンサミッシェル」歓迎○○ホテル、○○商店という看板をすぐに建てるかもしれません。このたび世界遺産に登録された知床には、何かその様な危うさがあります。何もない風景、何もつくらないことで景観の価値が高まるということを、考えねばなりません。同じく世界遺産の文化遺産に指定されています白川郷です。世界遺産の景観を守るためにいろいろと努力しています。何処を撮っても絵になる風景があります。しかし、残念ながら北海道の場合は、写真を撮るときに民家を被写体からはずして写します。北海道では建物が入ると風景が俗っぽくなってしまいます。ヨーロッパや日本の歴史がある地域の場合、民家や建物を入れないとその場所の地域らしさが撮れません。この様に北海道の景観には、地域らしさが危うい形でしか存在していません。

モンサンミッシェル(世界文化遺産) 白川郷(世界文化遺産)
モンサンミッシェル(世界文化遺産) 白川郷(世界文化遺産)

 ではどうしたら良いのでしょうか。都市景観の場合を考えてみましょう。都市空間において景観を形成している構成要素はたくさんあります。中間領域と呼ばれる公道と私道の境界部分の空間と建物ファサードをどう形成するかによって、街路空間の街並景観はずいぶん変わってきます。江戸時代の町の場合、個々の建物デザインは同じような表現でそれほど個性がないのですが、各個店のセンスを表現する場として建物ファサードと店舗前を利用することで、街並景観の連続性として活気や賑わいが演出されています。公共的視点から考える共通部分と、個性を発揮する部分をしっかりわきまえています。都市空間においても、中間領域の部分での景観的配慮が必要とされます。
 一昨年、札幌の都市景観賞に選ばれたベネトンですが、ここはかつて銀行だったので少し殺風景な街角でした。角地の一階部分がブティックとなり、四季折々のファッションがショーウインドウに飾られることによって、駅前通りの都市空間に賑わいを形成しました。札幌のシンボル的軸線となる駅前通りや大通公園では、店舗の1階部分の使い方がとても大事であるということです。
 都市景観のなかでもたいへん重要な役割を担うのが色彩です。建物や道路など都市景観の大きな面積を占める部分の色使いに関しては、彩度や明度を下げて自然素材の色使いが望ましいと考えます。色相を強調せず自然素材の色調に近づけてほしい。例えば、不動産と呼ばれる長期的に同じ場所に存在し動かないもの、ランドスケープレベル、タウンスケープレベルの構築物などは、あまり色相を感じさせない地域の自然景観に馴染む色使いを検討したいものです。季節感ある花や認識しやすいサイン類、小さな面積の看板や旗などに関しては、少し賑やかな色合いがあっても良いと思います。景観にふさわしい色彩の使い方の作法を考えることにより、景観もよくなっていくと思います。量販店などの大きく派手な看板が、北海道の郊外の景観を類似な光景にしてしまい、地域の景観形成の阻害要因にもなっています。
 また、最近の都市空間には広告で包まれたラッピングバスや市電が走り回っています。派手な色彩の広告・看板は、やはり魅力ある都市景観のマイナス要素です。広告・看板のデザインは、できれば規制して大きさや色彩など秩序ある掲出をお願いしたいですが、デザイン力によっては芸術作品に変わることもあります。お洒落な看板の掲出によって場所の存在価値が高まった事例もありますが、やはり、安易なデザインの広告・看板が多いことから、小さく控えめにして掲出するルール化が欲しいと思います。広告・看板の表現内容は、企業センスのあり方を示し企業イメージを左右するものだと考えます。さらに、広告景観のあり方で、都市の文化的レベルも測られていると考えます。
 まちの中の「ストリート・ファニチャー」です。サイン・案内板類、街路灯、バス停、電話ボックス、ベンチなどは、都市空間において人間が行動する場合に必要とされる街なかのいろいろな機能的家具です。それらの各デザインにおいては、現況では都市空間内で各事業主体がバラバラにデザインや色彩等を決める場合が多いです。しかし、街路空間を利用する人間にとっては、各事業主体の違いを際だたせるのではなく、わかりやすく機能的であることが重要で、街路景観としての美しさと魅力を散策する者に提供してくれるデザインの方が望ましい。魅力ある美しい街を歩くのは快適で楽しいし、旅行者にとっても地域らしさのある美しい街並景観への期待は大きいと考えます。
 都市空間内には、最近さまざまな環境彫刻やアートが存在しつつあります。それら彫刻やアートが存在することで、都市景観に今まで感じなかった地域の磁力となる緊張感ある磁場を形成する様に、その場所の雰囲気を形成するシンボルとなるアートであれば好ましいのですが、ただ有名な人物の作品を置けば文化都市になるという発想は、アートの活用の仕方としてもう少し考えてほしいと思います。

江戸時代の街並み景観 まちのストリートファニチャー
江戸時代の街並み景観 まちのストリートファニチャー

 花も季節感や彩りを演出しますから、使い方次第です。街路空間の魅力を演出する統一感やボリューム感ある花づくりが考慮されれば美しいのですが、家庭菜園や御仏前の花などを植えている花壇もあります。家の前の道路花壇を手入れしているのだから、何を植えてもいいだろうと、まさに公共的視点で街路空間を見ていない場合もあります。そうではなく、花づくりも公共的まちづくりの連続性の一環として考えるような地域づくり、人材育成、まちづくり文化を育ててほしいと思います。観光としての花づくりは、線的・面的に考えて行くことで、北海道の大地をたいへん魅力あるものにしてくれると思います。最も取り組みやすい「花づくり」をきっかけに、地域の景観形成やまちづくりが活発になり、地域の人材育成はかられている市町村が除々に増えています。さらに、優しさのあるまちづくりという観点からは、高齢者も障害のある方も快適に行動でき、憩えるような都市空間が、普通に提供されなければいけません。
 快適で魅力ある街並景観を形成する、美しい自然景観・農村景観を形成することが、歩いて楽しいフットパスづくりに繋がっていきます。地域や都市の魅力的景観に触れると、人々はゆっくりと散策したくなります。イギリスの「フットパス」は、まさにその様な発想から生まれてきたわけです。一方、東京の下町ですが、街路空間がたいへん狭くごみごみしていますが、地域住民に良く手入れされている清潔感のある街並みです。これが今、外国の方々にも好評で、日本の江戸時代の下町を散策する観光客が多いといいます。観光客目当てに飾り立てるわけではなく、住民が快適に暮らしている自然体の生活風景が、旅行の目的地として評価されているのです。何も豪華なものをつくらなくても、住民の目線できちん生活している、そこにあるべきものを、あるべき姿のまま表現した街並景観が存在しているということです。「アメニティ」の本来の意味に通じる生活文化が存在します。

厚床のフットパス イギリスのフットパス案内
厚床のフットパス イギリスのフットパス案内

 最近話題になっている厚床のAB−MOBIT(エービーモビット)は、根室近郊の5人の酪農家が、自分たちの生活・生産活動の場を活用して、北海道版フットパスを実践しました。フットパス用の地図を作り、牧場の何もない場所を都会の人々に歩いてもらうことで、観光価値を見出そうとしています。私が昨年歩いた経験から報告しますと、まさに何もない、空と牧草地の雄大な拡がりに牛の集団しかいません。でも、これが東京から来た人々にはとても好評で、何も無いところにものすごく憧れているわけです。ですから、北海道にはあちこちに旅や観光の資源となる宝物が転がっていると思います。歩く速度は景観の質を高めていきます。車のスピードで考えると、大雑把でより強調された見え方の景観形成が要求されて来ます。しかし、歩く速度で考えることにより、道ばたの草花や昆虫、小動物などの身近な自然生態系への保全にも関心が向かいますし、沿道の古い建造物の存在や保存にも気づき、フットパスから眺める眺望景観に感嘆する、歩いて楽しい景観の創造が期待できます。五感で感じる道づくり、ヒューマンスケールの街や農村の景観形成がはかられる仕組みづくりが期待できます。それは、スローライフの実現を求める現況の旅行や観光のあり方に連携するのではないかと思います。
 魅力ある美しい景観形成は、暮らしと観光の文化の融合を目ざすものだと考えます。

内田(コーディネータ−)
 どうも有り難うございました。私はいつも非常に厳しい質問をするので、同じ場所で再度司会をさせてもらったことがありません。少しコメントをさせて頂いた上で、お一人ずつお話頂きたいと思います。
 まず、越塚先生の内容ですが、具体的な事例を挙げられて非常に分かりやすかったと思います。少し厳しい言い方ですが、日本人の観光のパターンは、情報を与えられたあとに、確認に行く旅です。自分で発見する旅ではなく、確認のために出かける。これは、昔の伊勢参りもそうですし、自分で確認に行くわけです。ですから、旭山動物園の情報がある程度流れると、確認しに行く。そこで拍手をして、ああすごかった、という確認が終わってしまうと、もう一度確認に行く必要はありません。つまり、楽しみに行くのではなく、情報を確認に行くと私は理解しています。そうすると、持続させるためにはどうするかを問われてくると思います。その点はどのようにお考えでしょうか。


越塚(パネリスト)
 旭山動物園は一事例として挙げたわけですが、確かに内田先生が言われるように、確認の観光は歴史的な過程の中で確かにあったと思います。いわゆるオープニング効果とともに、メディアを通じて情報が大量に流されることにより、誘発・誘導されて動くというのが一つの現象であると思います。しかしながら一方で、観光の個性化が言われて久しく、自分探し、あるいは自分のために観光に出かけるという人たちが増えてきたことも確かです。そうした全体の流れに対して、私は追従しないという層もいると思っています。ただ、変化が著しいわけで、一時期、万博時代は終わったと言われていましたが、今年の愛知万博の状況をみると、再び復活した面も見られる印象があります。
 今後の北海道観光並びに観光都市のあり方として重要なのは、観光者と観光地、あるいは観光都市との間の信頼関係であろうと思っています。1回限りで終わるということから、次へのステップは、やはり信頼関係を築き、それが持続していく。このシナリオを具体的にどう描くかが大事だと思っています。そのためには、それぞれのまちがどのような価値に重点を置くのか。最後のプレゼンの中で中井氏がユニバーサル・デザイン、人にやさしい歩行者スケールというようなお話をされましたが、どこの価値に焦点を当て、まちづくりを行っていくか。あるいは、観光者に対して、どのようにアピールするのかという部分が大事になってきます。全て同じ方向性を向いて、同じ位置付け、同じ価値付けでやっていくならば、なかなか上手くいかないかと思っています。
 今日は小林先生の基調講演、また内田先生の各地でのご発言等を伺っていますと、特に内田先生は、地域の自立のためには、最適な経済構造が必要であると主張してこられ、それは産業間の連携・バランスだというお話を常日頃されております。ゆえに、観光が地域経済自立の牽引役となる、つまり、100%なると言い切れないということになります。観光に全面的に依存した都市、あるいは観光地域が、果たしてそこに住む人々にとって、また訪れた人々にとって幸せかどうかという価値判断で言えば、そうでもないと思っています。確かに、観光経済に依存している地域は多く、その割合が5割、6割、7割というところもあるかもしれません。しかしそういう地域は、そういう地域だからこそ、周辺の他の産業を上手く有機的に連携させ、新しいシナリオを描かなくてはいけないだろうという感じを抱いているわけです。

内田(コーディネータ−)
 次に、高野先生は、重層的な連携が必要であるとお話になりました。交通ネットワークとともに、情報ネットワーク等を念頭に置かれてお話になったと思います。今日も連携の話がたくさん出ますが、連携の音頭取りといいますか、連携をオーガナイズするため、どういうかたちが良いでしょうか。道内でこういうシンポジウムを行うと、行政と市民とNPOの連携でいきましょうと言います。そうは言っても、本当に手をつながなくてはならないのに、口は出るが手足が出ない。手を強くつながせるには、どうすればいいかお聞かせください。

高野(パネリスト)
 たいへん難しい問題です。利己的な利益だけを考えていた連携では、誰も連携しない。会社の中で地区に支店を作り、様々な資源と連携することはあるでしょうが、地域の連携や人々が連携するとき、その人が利己主義ではないと思わなければ、誰もついてこないと思います。今日お話を聞いていて強く思ったのは、窪山さんは、自分のホテルの企業ノウハウをかなり述べられました。普通の考えでは、自分が今まで築き上げたノウハウをもとに、どういう戦略を打ち出すかを隠さず出しているわけです。これは、先ほどの経済学者の考えからは、とてもあり得ない。ところが窪山さんは、北海道の資源を生かし、経験やノウハウを注ぎ込んで、一つ戦略を打ち出したということを話されました。であるなら、ウィンザーに一区切りついたなら、窪山さんに音頭をとってもらい、今度は別のところと連携をお願いしますとなるわけです。
 やはり無私といいますか、利己的でない、ある意味で温情的な干渉主義、そういう気持ちがあればこそ連携が進むわけで、まさに人柄であったり、人となりであったりすると思います。非利己的な方こそ、連携のリーダーたり得るという感じがします。

内田(コーディネータ−)
 高野先生が言われたように、窪山さんには、たぶん企業秘密以外洗いざらい、我々にとって非常に興味深いお話を頂きました。基本的には、多様な視点で、多様なサービスを展開していかざるを得ないというお話だったと思います。私が頭の中で、お話を聞いてまとめ上げるときに、個別な要素をお話しになりましたが、全体的を掌握するイメージが見えてこなかったので、その点を補足して頂ければと思います。

窪山(パネリスト)
 確かに非常に多様で、枝葉の部分でインパクトが強いものを扱っているので、そういう内容になったと思います。先ほど触れたパンの部分で、説明が足りなかったかと思います。それは、なぜコストのかかる方法を選んだか。パターナリズムに似てくる理由として、そこで儲けようとしていないということです。付加価値を加えることによって生存していこうという概念ですから、付加価値を生む部分は、どういう役割であろうが入れていくというパターンです。すぐに役割を果たす、お金を稼ぐセクションもあれば、イメージを作り出すセクションもある。また、すぐに取り込めるマーケットもあります。それは、ウィンザーに泊まるだけの経済力のない方でも、パンなら買いに行けるわけです。
 全体像が見えないというご質問ですが、私は常日頃言っているのは、人間の体の中に全てのヒントがある。例えば頭は物を考える本部機能です。心臓はオペレーションのCOO的な、運営を司る部分です。血管は血液という栄養分を体全体に流しますから、コミュニケーションシステムだと思います。血液には血液型があり、これは企業の思考パターンだと思います。つまり、質を共有する。そういうものをパターナイズしないと、一人一人の価値観によって蹴られてしまいます。そうすると、手足の部分に別の血液型の血液が流れることになる。それでは本当の意味での価値創造ができません。白血球は企業内の浄化作用で、すべてファンクションを持っていなくてはならない。また、骨や細胞の部分は、企業哲学だと思います。よく笑顔のサービスと言いますが、これは顔の表情でしかありません。本来、内臓機能がしっかりして、そこから出てくる健康美こそが大切だと思います。 このような状況下では、トップの考え方をいろいろな形で徹底しなければなりません。ウィンザーホテルでは、自分が仕切らねばならないミーティングが膨大にあります。これはパターナリズムそのものだと思います。私が難しく感じたのは、いろいろな人の血液型、価値観を押し込めなければならないという作業の中で、様々な衝突が発生することでした。パターン化したときに、受け入れるというある種の努力が必要で、さもなければ逃げられてしまいます。ここに本当の作り手の難しさがあります。パターナイズするということは、極めて精神力と技術が必要であると思います。逆に、非常に大きな成果を呼ぶことも確かですが、我々のホテルの目標を100とすると、未だ20%くらいの達成率ではないかと思います。

内田(コーディネータ−)
 中井さんに伺います。美しいまちの価値観は多様であり、ある意味、中井さんの考えを押し付けている部分があると思います。猥雑なまちが好きな人もおります。景観にしても、良しとする判断基準はどこにあるのでしょうか。プロに聞いてそれを良しとすべきなのか、私のように景観に対して非プロが面白いというのは、否定されていいのか。どういうふうに考えればいいでしょう。

中井(パネリスト)
 私のタイトルには「美しい」ではなく、「魅力ある」と書いてあります。私は美しいという言葉は使っていません。何故かというと「美しい」という表現は主観的なものだからです。しかし、「魅力ある」という表現には、幅広い価値観が内包されていますから、煩雑なまちも魅力的ですし、美しいまちも魅力的です。ですから、人間の心を惹きつける魅力あるまちを形成していくということです。

内田(コーディネータ−)
 経済学で非常に効率がいいということは、ある意味、無駄がないのでものすごく美しい。非常に効率のいいまちをつくると、美しくなるのではないかと思いますが。

中井(パネリスト)
 それはまさに価値観です。簡素化されたまちが美しいと思う人には美しい。

内田(コーディネータ−)
 効率というのは、単層化されているのではありません。

中井(パネリスト)
 ヨーロッパの中世の街は車社会ではないですから、非効率的な街を美しいと思えば、美しいと評価できるわけです。まちづくや景観形成において、今までの都市計画では、効率性を優先してきました。車が走りやすく、いかに価値を生むかという数値で評価されたわけです。それが、「人間が歩きたくなる街」の魅力をなくしてしまったとも言えます。今、その揺り戻しで「歩く道」、「スローライフ」、「ヒューマンスケール」などと言われて、「人間が歩いて楽しいまちづくり」が求められているのではないでしょうか。都市空間の全部をその様なまちづくりにする必要はないですが、都市の中心市街地の歩行者空間とか、農村のフットパスなどの形で実現されています。効率一辺倒できたこれまでのまちづくりが見直されています。効率の良い機能的な都市の単純(シンプル)な美しさも理解できますが、今日では、もっとヒューマンなスケールのまちの魅力が求められているのであって、旅行者として効率良く車で走り抜けられる街が良いのか、ゆっくり散策して楽しみを見つけられる街が良いのかです。
 旅行の価値観なかで、「まち歩き」はまちの発見でもあるわけです。今までの旅行は「確認の旅行」だと言われてきましたが、それはパック旅行の考え方です。でも、個人的なレベルでの旅行は、「発見の旅行」でもあります。旅とは、芭蕉の時代から発見の旅行だったものが、いつの時代からか「旅=観光」になってしまいました。「観光」は確認でいいのですが、「旅」は発見です。今、人々が求めているのは、まちの中を歩いていろいろ発見したい、旅を楽しみたいと言うことだと思います。別の尺度から観光の提供の仕方が求められていると思います。

フロアからの質問
 それぞれの先生方が選ぶ優れた観光都市はどこですか?北海道の中で観光都市と呼べる所を一つ挙げてください。

越塚(パネリスト)
 観光都市の考え方によりますが、少なくとも観光者が訪れ、そこでお金を使い、何等かの観光事業が営まれているというところは、狭義でいえば観光都市であるということになります。もう一つは、もう少し積極的に自分のまちをPRし、観光客をもっと集めようとか、新しい市場に乗り出していこうと、積極的な姿勢を示しているところは、観光都市あるいは観光地域ということになると思います。観光都市については、先ほどの発言の中で申し上げたように、単純に観光者に楽しみを提供できるまちを前提に、お話しさせて頂いています。ですから一つ選ぶのは無理です。

高野(パネリスト)
 良し悪しではなく、私が興味深く注目しているのが小樽です。理由は自分の生まれたまちで、運河のそばにずっと住んでいたので、本当に何もない状態から運河の論争が起き、全国に広まり、400万人の人が来るようになるのを目の当たりにしました。その意味では、大金がもたらされるのと同時に、おかしなものがたくさん建ち、一つの典型として小樽に興味を持っています。あまりきれいでない、艀が浮かんでいる頃の運河が原風景です。

窪山(パネリスト)
 北海道全体を考えると、私は北海道の原形というものはないような気がします。というのは、北海道自体が環境的に極めて恵まれている。例えば、自然や食がそうですが、将来のマーケットである中国や台湾、韓国、インドの人たちが、一番憧れるアジアの地域だと思います。そういうかたちで、新しく観光立国化したところは、過去にないと思います。日本には高温多湿であったり、気象的に恵まれていないところがたくさんあるわけです。そこで、北海道のポテンシャリティをもう一度見直したい。また、先ほどのお話にあったように、街並みは極めて有意義性が高いと思います。日本だからといって、何も日本の街並みをつくる必要はないと思います。ヨーロッパ的なものをつくっても、少しもおかしくない。ある程度、和魂洋才でいいと思います。美しく見えるのなら、どんどん適用していけばいい。そこで絶対に崩してはいけないのは、和魂だと思います。私は、日本人のホスピタリティ精神は、世界一だと思っています。
 さらに、北海道は日本だと思う必要はないのではないか。極論で申し訳ないですが、完全に切り離し、特区化して、北海道の自立を見直す。その特長を生かして手を打っていけば、とても楽しい建国ができると思います。今まであったような観光立国化ではなく、景観も含めてフラットに考え、もう一度作り直す。どこかの真似をするのでは、もったいないと思います。独自の、新しい北海道を作り上げるくらいの方が、世界中から注目されるのではないか。世界中のカルチャーを持ち込んで、北海道自体が万博になっていいと思います。雑多にならないようにするのもいいし、雑多なセクションを作るのもいい。そのように総合的に捉えると、北海道はものすごくポテンシャリティがあって、楽しいところだと思います。

中井(パネリスト)
 私は、ブランドとは後からついて来るものだと思います。まず、評価されるようなことをしなければ、評価されないわけです。現況で北海道の何処かと問われても、一長一短で、どこにもないと思います。見方を変えれば、歴史的景観の街があるかもしれないし、農村景観が素晴らしいまちがあるかもしれません。しかし、今のところブランドと呼べるかどうか疑問です。ブランドと言われるように育てていかないと、ブランドにはならない。先にブランド名があるわけではないと思います。日本人にはブランド嗜好があって、価値もわからないうちにブランド名だけを求めてしまうところが危険です。「北海道」の名前がつけばブランドとなるとするなら、観光客にすぐに飽きられてしまうと思います。ですから、ブランドとして評価できるようなものを考え、形成して行かねばなりません。北海道ブランドとして本当に評価されるには、もっと時間が必要な気がします。どれだけ多くの人々が来道し、評価されて普及して行くのか。その結果によって、ブランドとして認められていることが認識できるのではないでしょうか。

まとめ


内田(コーディネータ−)
 基本的に、北海道はブランド戦略そのものが、これまでなかった。高野先生が言われたように、北海道というかたちで売ってはいましたが、戦略として意識していたか。ブランド戦略というものがあって、私はいいと思います。それを意識してやっていくかどうかで、今の段階でブランド力を持っているところは、私も基本的にないと思います。
 企業が戦略を作るときと同じですから、観光都市というかたちの商品をつくるのであれば、そうすべきだと思います。商品でないかたちであれば、また別な取り方があると思います。
 本日のお話は私もたいへん興味がありました。私が少し視点を変えて問うたのは、北海道が本当に観光で生きていくのなら、きれいごとで済まない部分がたくさんあります。それを掘り下げて議論したいという意識があって、少しきついコメントになりました。
 私は2点、観光について補足したいと思っていることがあります。1点目、観光の経済効果は、10年くらい前に私が委員長をつとめた委員会で推計し、その発表が新聞に掲載され、それが一人歩きしましたが、それが1兆2千億円でした。現在は1兆4千億くらいだと思いますが、実はその6・7割が道民が北海道内を回るというもので、観光というときに、道外客だけで考えればもっと小さい金額になります。道民が道内のまちや景観、観光地を回る、つまりレジャーする気運を高め、その効果が大きいことを我々も意識する必要があると思います。つまり、自分たちが自ら知らなかったら何も言えないし、地元住民が誉めてくれなければ、外の人が誉めることはあり得ないという考え方をとるべきではないか。いつも道外客ばかりで議論しますが、私たち自身が本当に楽しいと思っている道内のスポットが、本当にあるのかを問わねばならない。
 2点目は、日本全体の経済の話ですが、1985年、プラザ合意から日本が狂ったのですが、その後すぐバブルになり崩壊していきます。ポイントは、政治的な圧力でドル安と激しい円高になり、そのお陰で日本からの海外旅行客がどんどん増加したことです。つまり、円高になるということは、海外旅行の方が国内旅行より安くなる。競争力では、国内の客に対しても、北海道は価格の面で負けてしまっています。北海道に来るより、ハワイに行く方が安いわけです。グローバル化ということは、国際協調の話ではなく、値段において外の観光地とかなり過酷な競争をしなければならない。それを強く意識して、それでも外国から客が来てくれるということを、どう考えるかということです。
 また、もう少し時間が経てば、元が上がるので、中国は相対的に来やすくなる。それを念頭に置いて、戦略を練る必要があります。つまり、道内や国内だけの客を当てにしていては、もうすでに負けているわけですから、国際的なかたちで魅力を考える必要があります。言い尽くされたことですが、ニセコのオーストラリアも、豪州の為替レートが高くなっていることが大きい。ニセコの魅力をもっと確実につくらないと、為替レートが少し変わっただけで、引いてしまう可能性があります。大量の客を呼ぶには、価格が大きい問題になります。少しでもいいから良質の客をというのなら、クオリティを保証するかたちになると思います。これらをグローバル化の中で、考えていく必要があるということです。

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