第2分科会 「食文化を支える農業都市」

 ☆パネリスト

北海道大学大学院農学研究科教授  出 村 克 彦

富良野市長  高 田 忠 尚

フリーキャスター  林   美香子

坂本ビル(株)・坂本商事(株)代表取締役社長  坂 本 和 昭

 ☆コーディネーター

北海道大学大学院農学研究科教授  淺 川 昭一郎

コーディネーター



北海道大学大学院農学研究科教授  淺 川 昭一郎



 先ほど小林先生のお話の中でも、市場原理に様々な問題があると言われましたが、農業はまさにその中の一つであり、グローバル化する中で市場原理に任せておくと、日本の農業、食の安全・安心、食文化がおかしくなる状況にあります。私ども北海道都市地域学会では、昨年、深川市で都市問題会議を共催しましたが、そのテーマが「新農業都市」という概念を織り込んだものであります。農業都市というのはあまり使われない言葉ですが、都市の中に農業が重要な産業として位置付けられている都市と、ごく簡単に定義づけたいと思います。そのことから、北海道の市制が敷かれている都市で、15歳以上の就業人口で、農業従事者がどれくらいかをざっと見ますと、全道平均は6%ですが、それ以上ある都市は3分の1以上になっています。もう一つは、市域の中に農地がどのくらいあるかを見ると、全道では16%ですが、それ以上の農地を持っている都市が半数以上ありました。これらは、歴史的に地域の農業の中心市街地のようなかたちで、いろいろなサービス・機能を持ちながら発展してきたものが多いと思われますが、現在、地域の中でどういう位置付けになっているのか、これをもう一度検証しながら考えて見る必要があると思います。
 これまで、都市と農村が、ややもすると対立する概念として捉えられがちですが、そうではなく、私たちはこの都市・農業が、単に交流するだけでなく、一歩進んで融合することを理想として念頭に置き、進んでいきたいと思っています。ただ、現実を考えますと、人口の減少や高齢化など、農業を維持する環境が非常に悪くなってきているのも事実です。その中で、今回は特に「食文化を支える」というキーワードを設け、それぞれの分野でご活躍のパネリストの方々に発表を頂きます。
 最初は、出村先生に、北海道農業を巡るいろいろな政策課題をベースに活動内容などをお話し頂き、次に高田市長には、北海道における代表的な農業都市として、理想的な展開が見られる富良野市における施策等についてお話し頂きます。林さんには、スローフードの実践活動や農業と景観に関する今後の展開方向等についてお話し頂き、坂本さんには、「北の屋台」を通じて地産地消、空洞化しがちな地方都市の中での中心部のあり方などについて、話題提供して頂きます。


パネリスト



北海道大学大学院農学研究科教授  出 村 克 彦



 「食文化を支える農業都市」というテーマに関して、3点ほどお話したいと思います。
 1点目は、農業概況ですが、ご存知のように新しく食料・農業・農村基本法ができ、今日に至っています。その大きな流れは、昭和40年代よりかなり以前からありますが、基本的には1961年にできた農業基本法のもとで、建前上やられてきた。その基本法の大きな狙いは、農民と農村をいかに豊かにするかでしたが、新しい農業基本法は、農業市場も市場原理等に任せていく。その意味では、国内競争は既に進んでいるし、WTOやFTAで外からの自由化が一層進んでいくと思われます。その中で、関税や多面的機能といわれる農業の持つ、食糧生産以外の役割をどのように評価していくのか、その辺の鍔迫り合いがあります。
 その意味では、従来の農業政策に比較して、消費者重視、市場競争が加わってくる方向にあります。そのときに国内での基本的な方策は、多少シェーマ的に言いますと、平場のように条件のいいところは、ある程度規模拡大を図るような認定農家といいますか、専業農家でやっていく。所得面の保証を経営安定化対策、品目横断的経営安定策となっていますが、今までは個別に農産物の価格が決められていましたが、経営全体としての収入で考える。北海道の場合、畑作の場合は畑作4品といわれるように色々な作物を作っていますし、全国的に見ても、稲作農家は米だけでなく、転作作物があります。そういう経営全体として見て行こうということです。
 一方、日本の7割は中山間といわれ、平場以外のところですから、そういう地域には、中山間等地域直接支払制度といいますか、現在は傾斜度と、北海道の場合は気候条件などで草地、つまり酪農しかできない。草地率が高い、積算温度が低いなど、地理的あるいは気象的な条件で、平場に対してハンディを持っているところに直接支払、簡単に言うと、農産物を作ってそれを売り、収入とすることと切り離して、そこで農業をすることに対する一定程度の所得の支払い、収入の保証を与えようというのが大きな方向になると思います。
 その中で、北海道の場合はこれから専業地帯になっていきますし、専業農家の役割が重要になってきますが、一方では市場競争のもとで営農をしていくことになります。しかし、一方では、従来の農村というものが農業者のものではなく、消費者である多くの国民の基本的な財として利用・活用されていくだろうということです。簡単に言いますと、農業の持つ多面的機能を、どう発揮していくかが非常に重要になってきます。
 九州などは、グリーンツーリズムの先進地ですが、中山間であり、地域の兼業家や非農業の人も加わって、地域の観光活動として取り組んでいます。中山間であることがハンディではなく、メリットになっている面があります。ところが北海道の場合は、クリーンツーリズムが大きな方向性として打ち出されていますが、専業地帯でそれを行うのは非常に難しい。どういう役割を農業に持たせ、農業・農村を舞台にして展開される、地域の大きな活動であるグリーンツーリズムを取り入れていくのか。これを我々もいろいろ調査していますが、非常に難しい点です。この中で、北海道の雄大な自然の持つ魅力があるので、それを活かしていく。グリーンツーリズムというとよく、農家民宿、ファーム・インという言葉になり、農家にスポットが当てられますが、農家が存在する農村、あるいは後背地である自然のまとまりとして考えることで、北海道のグリーンツーリズムにおける環境資源は良さを発揮する仕組みが求められます。
 美しい農村が一つのテーマですし、確か美瑛で、日本の美しい村の集まりがありました。美しい村あるいは美しい田園というときに、先ほど小林先生が札幌駅について話されましたが、私も道内をあちこち回りますが美しくありません。農家の後背地や庭などは美しいのですが、一番がっかりするのは駅前です。オーストラリアの大学の先生が日本の大学に短期留学し、日本を回った話を聞く機会がありました。特に北海道の場合は、駅前に降り立って一番がっかりすると言います。“死にゆくまち”と表現しています。活性化できず死にゆくまちは駅前が汚いと言っています。合併で減りましたが、北海道の212市町村は、大都市を除いたほとんどが農村都市です。JRなどで回る場合、北海道の農村の美しさといったとき、やはり駅前から始まります。農村の美しさをデザイン・演出していくなら、農家だけでなく、玄関である駅前から美しい農村をつくってほしいと思います。
 北海道旅行自体が3日で全道を一周して帰るというように、駆け抜けるような観光旅行が多いのですが、その中で、農村での観光を考える場合、利用者もそこをベースキャンプにしてあちこち回るという、滞在型の人たちが多く、駅前を含めた農村全体の美しさを考える必要があります。また、過疎がいわれ、今までは人口の流出が問題視されましたが、農村とは本来人口が少ないところですし、北海道の場合は道路網が非常に発達していますから、車を少し飛ばせばすぐ国道に着きます。あまり過疎を意識する必要はない。むしろ、田舎は人口が少ないのだから、その中でスポットとなるものをつくっていくことが、農村にとって一つのポイントになると思います。
 ただ一方では、日本の農業は高温多雨・多湿の中で行っているので、北海道でも、少し手抜きをすると田舎は荒れてしまいます。耕作放棄地のように手抜きをしたところは、秋口など非常に侘びしい雰囲気になります。ですから、農業の多面的機能を生かし、中山間の制度を生かして、そこで農業を営むことが、美しい農村の一番の財産である自然景観を維持することになります。富良野や美瑛は、観光都市を目指して農業を営んでいたわけではないと思います。ただ、丘陵部というハンディのあるところで、営々と農業を続けてきたことが結果として美しい景観を形成し、重要な観光資源になっています。外国では農家のことを“田園の庭師”という言い方をします。地域が活性化する一つの核は農業です。農業を支えていくことが、北海道の観光にとっても非常に重要です。
 ただ、農業を営むことは、昔のように農家の子弟が跡を継ぐという時代ではなくなりました。農家という言葉は、厳密に言えば消えており、経営体という言い方をしています。多様な担い手という言い方もしています。ですから、農地などを含め地域資源を管理する担い手は、農家を中心としながら、新規参入や法人化、様々なNGP・NPOなど、広がりのある人たちが地域の管理に関わることが求められています。
 最後に、農業はこうあるべきだとか、地域をこうしたいという意識を持つことが、非常に重要だと思います。今の日本社会は、循環型社会といわれています。例えば工業サイドでは、リサイクル、リユースなどを意識しており、技術があります。それに対して、農業はいったい何なのか。私は最近、自然科学の方々とお付合いしていますが、どうも言下にそういう意識を感じざるを得ません。そのときに、農業には多面的機能があるといっても、それは少し弱い。本来、農業は自然循環機能を生かした産業ですが、今はそれを謳い文句にしているような部分がなきにしもあらずで、もっとそれを意識し、美しい自然をつくるために方策を探るという、目的意識を持った取り組みが必要です。それはかつてのように、農村の一部の一部の農業者だけではなく、いわゆる応援団が農外にもたくさんいます。北海道は、意識を持った農村都市づくりをすれば、資源や働き手が充分あると私は楽観視しております。

淺川(コーディネータ−)
 北海道農業の様々な課題を整理していただきました。その中で、専業農家を経営主体として、ある程度の規模拡大もしなければならない。それが全てではなく、中山間地域なり別の方向性もあり、そこでは美しい景観や循環型の農業など、いろいろな取り組みがあるというお話でした。また、都市の顔としての駅前を例に、市街地のあり方がもっと美しくならねばならないという指摘がなされました。地域の目標を明確化し、その地域の景観を含めて全体の方向性を決め、うまくマネジメントする手段を考えなければならないということであると思います。
 次に、高田市長に具体的な取り組みについてお願いいたします

パネリスト



富良野市長  高 田 忠 尚



 今日は「食文化を支える農業都市」ということで、自己紹介を含め、富良野の取り組みについてお話しさせて頂きます。
 私は農業者であり、昭和52年、32歳のときに農業団体理事に就任し、6期目の途中で富良野市長に就任しました。現在、3期目の終わりに入っております。富良野を紹介する中で、富良野市出身であり、現在も富良野で活躍しておられる藤野貞雄前ホクレン中央会会長と、「北の国から」で有名な倉本聰先生が、17年11月1日に北海道功労賞を授賞されました。このお二人の、これまでの富良野あるいは北海道での足跡が、そのまま富良野の取り組みといっても過言でないと思っております。
 富良野は北海道の中心に位置しており、人間で言えば「ヘソ」の部分に当たります。その意味で、市民と一緒になって、まずヘソに力がなければ活力がわかない、活力を生む取り組みをしようと、「ヘソのまち、スキーのまち」を標榜しました。特に富良野は、現在の観光につながるまでは、冬のスキーだけが観光であり、道内からスキー客を迎え、観光として推進してきました。これまでも国体の開催、FISワールドカップのアルペン大会を10回開催していますし、明年はスノーボードのワールドカップ最終戦を開催することになっており、文字通りスキーのまちとしてスタートしております。
 もう一つは、やはり農業のまちであるので、基幹産業の素材を活かし付加価値を高めていこうということから、素材を活用しながらいろいろな加工、2次加工を進めておりますが、その代表が、行政中心で進めているワインでありますから、「ワインのまち」という切り口を持っているところです。
 農業では、昭和46年に転作がスタートし、それまで5,000haあった水田が、現在は800ha、ほとんどが野菜に大きく転換しています。水稲から野菜にいち早く転換することにより、北海道を代表する野菜産地として、それぞれ画一単位作物の推進によって、農家所得の拡大を行ってきました。現在は、国の自由化の中で、農作物の国境がなくなり、特に労賃の安い東南アジアから多くの野菜が輸入される時代になり、たいへん危機感を持ちながら農業施策を推進しているところです。今後も基幹産業は農業とし、現在では多品目の生産地を目指しながら、国の中山間事業等を特定の地域だけに活用するのではなく、全市の農業者を対象とし、担い手の育成、放棄地の活用を具体的に進めています。
 さらに富良野は、「北の国から」の放映、ラベンダーにより、平成6年からは点としていた観光事業を、富良野から美瑛まで1市4町1村を線でつなぐことにより、広域観光推進を謳っており、それまで200万人足らずであった観光入り込みが、現在では800万人を迎える広域観光が可能になっております。富良野においても、年間200万人、宿泊60万人に上っています。このように、農業と観光のまちとして推進を図っているわけです。
 特に観光のまちとしては、いろいろな切り口を持っていなければ、来て頂いた方が富良野に滞在することにならないだろう。このことから、一つは農村文化、さらに今後の演劇発信を強めていきたい。そこで倉本先生が富良野に富良野塾をつくって、もう20年経ちますので、地元にも演劇をしながら定着した方々がおられます。このことから、間接民営でやっていこうと、市が小さな演劇工場を建て、民間のNPO第一号になった「演劇工房」がその運営にあたっています。現在でも年間200日を超える活動を行い、ここから演劇の発信・制作を行い、観光客にもゆっくり楽しんで頂こうと、演劇のまちとしての取り組みもしています。
 もう一つのまちづくりの大きな切り口としては、富良野は昭和60年から行政と住民が一体となり、一般廃棄物を収集処理するという「富良野方式」を確立し、現在は14種分別、93.3%のリサイクル化を図っています。いわば、産業と環境をマッチさせながら、循環型の社会を市民と一緒につくろうとしているところです。
 次に、今日のテーマである食文化について、市内の取り組みをご紹介します。前段で、農業のまちとして素材を活用する事業について、行政のワイン事業をご紹介しましたが、農業団体と一緒になり、農業公社をつくってチーズ事業を進めております。ワインも、地元で生産した原料のブドウを100%活用することにより、質の高いワインを生産しようと、ワインとチーズは、行政が中心になり進めているところです。さらに農業団体では、ドレッシング、ソース、漬物、タマネギ・ニンジンのピューレなど、たくさんの加工製品を作りながら、農作物の付加価値を高め、少しでも農業者に還元する仕組みを確立しており、札幌にも漬物工場を設け、浅漬けを消費地にすぐ届けられるシステムを確立しています。規格外品については、カット野菜として需要に応じて生産しています。
 特に今日申し上げたいのは、この1・2年、農村の女性からたいへん積極的に、自ら生産したものを、年間を通じて販売する店がほしいとの要望があり、行政も支援を行い、ファーマーズ・マーケットを毎週日曜日開設しています。また、空き店舗を活用し、年間を通じて農村女性が作ったものを消費者、観光客に選択頂けるような取り組みもしております。代表的なのは、メロンの摘果したものを福神漬けにし、付加価値を高めて販売していますし、山菜も醤油漬け、わさび漬けなど家庭の味をビン詰めにし、商品化を図っています。
 もう一つ、富良野にはアンパンマンショップがあります。旭川や深川などから多くのお客がお越しになりますが、なぜ富良野にやなせ先生のアンパンマンショップがあるのか。また、物語にないジャムおばさんもショップの中にいますが、これも富良野の無農薬で生産された素材を、ビン詰めにすることから始まり、現在では30数品種のジャムを道内の飛行場でも販売しています。特にこの関係については、ジャムおばさんになっている大久保さんが、熱心にやなせ先生を口説かれ、2号館ができました。富良野にとって、大きな宝だと思っております。
 富良野では各学校に、学校農園を持っております。ここで生産されたもの、あるいは地元の生産素材を生かし、「ふるさと給食」として、子供たちにも自分で作ったもの、富良野で生産されたものを消費する給食を提供し、地産地消を積極的に進めています。富良野はスパイスを除きカレーの具について全て賄えますので、地元の高校生がカレンジャーとして活躍し、カレーによるまちおこしも大きなグループとなっています。ホテルでカレーパーティを開催したり、イベントの折には高校生がカレーを作り、食材として消費者・観光客にお届けしています。このように、地元の素材をいろいろな切り口で拡大しようという取り組みが、積極的に進んでおります。JAにおいても、これまでスーパーにおいては近隣のまち、他府県の野菜が多かったのですが、地元野菜を年間を通して置くコーナーを定着させており、地元の食文化、さらに素材を使った種々の試みが展開しており、今後も、食育、地産地消に積極的に取り組み、まちづくりに役立てていきたいと思います。
 最後に、これからの農業都市として一番の問題と考えているのは、担い手の問題、地域の特性を生かした農作物の振興であり、これまでにない営農指導体制の確立が必要であります。これまでは、国の普及事業の中で、北海道の均一な農業指導体制しかなかった。もう一歩脱皮し、独自の営農指導体制を確立しないと、その地域の特性を生かしていけないだろう。併せて、独自の品質保証制度を確立することにより、消費者に富良野の農作物の安全性、履歴をより明らかにし、期待に応えていく。そうすることで、地域づくりや、担い手が定着するようなまちづくりに、積極的に取り組んでいきたいと考えております。営農の指導体制、品質の認証制度については蓄積段階ですが、現在の市の取り組みの一端をお話し申し上げ、報告にかえさせて頂きます。

淺川(コーディネータ−)
 多面的でいろいろな活動を通し、まちの活性化が図られているという事例を紹介していただきました。農村と比べると都市は、人口が集中し、人口密度が高いことに加えて、そこには多様な人材がいるということがあります。もちろん農業者の間にも種々の組織があると思いますが、都市の人達と農村の人々との連携あるいは協業によって相乗的な効果が期待されることが示唆されました。
 次に林さんに報告をお願いします。


パネリスト



フリーキャスター  林   美香子



 私は今、FM北海道「ミカコマガジン」で放送の仕事をしながら、食と農の取材を中心に活動しています。北大農学部出身ということも多分関係しているでしょうが、食と農にとても興味を感じています。今日は、「食文化を支える農業・農村」という切り口で、お話ししたいと思っています。
 今、農林水産省の「食と農の応援団」としても、いろいろな活動をしています。また、「スローフード&フェアトレード研究会」の代表でもあります。出村先生のお話の中にありました、グリーンツーリズムも大好きで、先週、美瑛等で開かれた全国のグリーンツーリズムネットワーク大会に、アドバイザーとして参加しました。
 まず、スローフードのお話をしたいと思います。最近この言葉は、いろいろなところで言われていますが、「スローフードな人生」という本が、日本にこの言葉を紹介する大きなきっかけとなりました。イタリア・ブラで始まったもので、50ヵ国で広まっていますが、このスローフード運動には三つの柱があります。「消えつつある郷土料理や質の高い食品を守る。」「小さな生産者を守る。」「味の教育など食育を進める」というものですが、つきつめていくと、郷土や地域を愛する運動だと思います。

写真1 写真2
写真1 写真2

 道内には二つの支部がありますが、私は北海道スローフード協会に参加しています。設立大会の際に、写真1のようにイタリアから副会長が来て下さいました。また先日、イタリアから会長もお越しになり、帯広で大きなシンポジウムを開催しました。スローフードのイベントとして、フレンチの三国シェフと、フランスでとても有名なシェフ、ポール・モーキューズ氏を招いてのシンポジウムです(写真2)。北海道の食材を使った、美味しいフレンチメニューを頂くパーティもありましたが、プロ中のプロの料理人に、北海道の食材を知ってもらう素晴らしい機会でもあると思いました。北海道の場合、例えば洞爺のウィンザーホテルのミッシェル・ブラス氏や、モリエールの中道博氏など、フレンチのシェフはたくさんおられますが、和食の一流のプロが少ない点は、食文化を考えるとちょっと弱点のような気がします。
 スローフードのイベントやフォーラムの際、楽しみなのはやはり実際に食べることです。写真3のように農産物などを使った美味しいメニューが並びますが、北海道の場合どうしてもカニやホタテといった魚介類がスター的な存在で、野菜を中心にした名物料理が少ないことを残念に思います。写真4のスライドは、「クジラを食べる会」で出されたクジラ汁です。

写真3 写真4
写真3 写真4

 東北が元々ですが、道南、積丹、留萌でもお正月にはよく食べられています。クジラの本皮の塩漬けを使い、野菜や山菜を入れた郷土料理です。この他にも北海道の食文化といえば、三平汁や石狩鍋、ちゃんちゃん焼きなどがありますが、やはり魚介類が主役で、野菜がメインの名物料理がもっと生まれてもいいのでは、と私は思っています。  グリーンツーリズムの代表例として、中標津の写真を持参しました(写真5)。先日の全国グリーンツーリズム大会は、道内八つの分科会に600人が集まりました。美瑛の全体会には400人が集まりましたが、グリーンツーリズムというのは、農村でゆったりとした休暇を過ごそうというものです。北海道は広大な大地、美しい景観がありますから、グリーンツーリズムで頑張れる土地柄であると私は思います。

写真5 写真6
写真5 写真6

 そのグリーンツーリズムはとても多様なもので、写真6のように産直で買物をすることもグリーンツーリズムの一つです。札幌は大都会ですが、実は農業も盛んに行われており、特に葉物野菜の生産が盛んです。ホウレンソウ、レタス、トマトなどが生産されています。これらを「札幌とれたて便」として、産直のスタイルで販売し、人気を集めています。グリーンツーリズムの大きな楽しみは、食べ物だと思います(写真7や写真8)。農畜産物を利用した美味しい料理は、まさに地産地消のメニューです。先日行われたグリーンツーリズム全国大会では、地元農家のお母さんたちの手作り料理が並びました。また、高田市長からお話があった富良野のカレンジャー娘も登場し、大人気でした。

写真7 写真8
写真7 写真8

 ジャガイモ、玉ネギ、小豆、乳製品のメニューが並びますが、北海道は日本一の米の生産地です。私は、もっとご飯ものがメインに出てきてもいいと思っています。もちろん、美唄の中村の「鳥めし」や、十勝の「豚丼」、オホーツクの「鱒鮨」、最近では佐藤水産の「海鮮お握り」などのヒット商品がありますが、私は、お米を使った名物料理がもっとできていいと思っています。

写真9 写真10
写真9 写真10

 写真9は農家民宿、ファーム・インの一例、鹿追の「大草原の小さな家」ですが、この農家民宿にもいろいろなタイプがあります。こうしたロッジ風のものもあれば、和風の農家もあります。また最近では、美しい農家の庭先にキャンプをする、農家キャンプも注目されています。写真10は新得の湯浅優子さんの、「つっちゃんと優子の牧場の部屋」というファームインです。十勝の大草原にあって、遠くには山脈が見え、美味しい空気、生き物たちがいて、本当にゆったりとした休暇を過ごすことができます。またここは、普通に酪農をしているお宅なので、1組しか泊めてくれないのですが、そこがまた人気を呼んでいると思います。湯浅さんのところでは、酪農教育ファームといって、子供たちの修学旅行、体験学習にも多く利用されています。先ほど出村先生から、多面的な機能のお話がありましたが、農村地帯が持つ教育力はものすごく重要なものだと思います。

写真11 写真12
写真11 写真12

 次に坂本さんが運営されている、帯広「北の屋台」の話をいたします(写真11)。私はこうした農業系のシンポジウムの際は、いつも力を込めて「北の屋台」の話をしていますが、今日は坂本さんがおられるので、少しだけ紹介いたします。中心地の賑わいを作り出したシステムとして、総理大臣賞などにも輝いていますが、実は、地産地消や十勝らしい食文化といった、都市と農村の連携も考えた素晴らしいシステムです。美味しいメニューがいろいろありますが、私が一番びっくりしたのがトマトサラダです(写真12)。縄手さんという農家が作っているトマトを薄切りにしたものですが、とてもカラフルなトマトが並んでいて、産地に近いからこその、とれたての美味しさだと思いました。本当に感激したので、写真を撮らせて頂きました。  写真13の真狩村の「マッカリーナ」というフレンチレストランは、中道シェフと真狩の人たち、東京の一流デザイナーが一緒になって、第三セクターとして経営しています。

写真13 写真14
写真13 写真14

 奇蹟の第三セクターの一つだと思います。非常に人気が高く、シェフの料理道場として、レストランとして、また宿泊することもできます。真狩のジャガイモやアスパラを利用した本当に素晴らしい野菜料理です。季節ごとの美味しいメニューが魅力で、リピーターもどんどん増えています。これほどまでに野菜が主役のメニューは、少ないと思います。ここは宿泊が4部屋しかないのですが、写真14のように朝食には、村の搾りたての牛乳が出たり、村の農家の卵を使った料理、手作りジャムなど、質の高い本物のフレンチということで、道外客からも高い支持を得ているお店です。

写真15 写真16
写真15 写真16

 続いて、食文化と景観についてお話します。食べ物はただ美味しければいいのではなく、美しい景観、美しい場所で食べるからこそ美味しいのだと思います。「中札内・美術村」の例ですが(写真15、16)、柏林を巧みに利用したノスタルジックな建物で本当に素敵なところです。広尾線の枕木を小径に使っており、歴史を感じさせます。景観と食文化に関しては、ソルボンヌ大学総長のピット氏が素晴らしいお話をされています。『美しい景観と美味しい食べ物には、密接な関係がある』と言っています。例えばフランスのボルドーやブルゴーニュが、その代表例だと思います。北海道では富良野、美瑛、十勝、オホーツクがその例だと思います。先日、シャンパーニュ地方の、ルイ・ロデレールというシャンパン会社の副社長が来られて、ワイン会がありました。その時に、とても自慢げに『うちの美しい畑でとれたおいしいブドウで作った、おいしいシャンパンです』と強調されました。そういう意識を北海道の農業人ももっと持っていいのではないかと思います。
 食文化を支える農業・農村に期待することを、幾つかお話しします。高田市長のお話にもありましたが、北海道でも、農村女性のアグリビジネスをもっと頑張ってほしいと思います。岩手県遠野市の「夢咲茶屋」という事例ですが(写真17)、道の駅のまえに、小さなお店を経営しています。お握りや餅菓子だけで、年商5,000万円になっています。農家のお母さんと、地元の主婦の皆さんたちがグループを作り、経営だけでなく、地域づくりにも一生懸命取り組んでいます。愛媛県の道の駅「フレッシュ・からり」(写真18)でも、農村女性の皆さんが産直や加工品で頑張っています。ここは、知的農村塾というものを20年も続けており、その成果として「からり」を出したそうです。またここの女性は、観光カリスマにも選ばれています。

写真17 写真18
写真17 写真18

 取材に行って驚いたのが、栽培履歴がよくわかるシステムです。北海道は最近、安全、安心を非常にアピールしていますが、私はこれに、美味しさとか高品質を加えないと、他府県との競争に負けてしまうと心配しています。
 アグリビジネスの点では、北海道の女性の皆さんも頑張っています。道北の遠別での例ですが、農家のお母さんたちが作っている「花餅」というものです(写真19)。味はべこ餅のようなお菓子です。中に花の形が見えるように工夫したもので、農村女性のグループが起業化をし、道の駅で売っています。農村女性の皆さんが、単に売るだけでなく、例えば講習会を開くとか、体験メニューを設けることで、生産地としての北海道の魅力が増していくと思います。北海道は食糧生産地ですが、そこにいろいろな魅力をプラスすることで、食文化の大地・北海道としてもっとアピールできると思います。それには、より付加価値をつけていく必要があると思います。

写真19 写真20
写真19 写真20

 これからの時代、環境というキーワードを忘れてはいけません。札幌の「アラエール」という名前の車(写真20)ですが、ミュンヘンに行った札幌市の職員が、これは素晴らしいと持ち帰ったアイディアを実現したものです。イベントのときに、使い捨てのお茶椀やお箸ではなく、食器やお箸を持参し、そこで繰り返し使い続けるという、環境を考えたものです。こうしたものが、もっと増えればいいと思います。これは農業本体にも言えることで、例えば循環型の農業をより進めたり、有畜農業を進めるなど、環境の時代にふさわしい農業をアピールし、実践していくべきだと思っています。もしお時間がありましたら、これからの北海道の農業で一番大切なのは、都市と農村の連携であると思いますので、そのお話をしたいと思います。

淺川(コーディネータ−)
 林さんからは、たくさんの大切なキーワードが出されました。美しい景観と美味しい食べ物には密接な関係があるということや、安全・安心に加え、美味しさが必要である。また、食文化は北海道にももちろんあるわけですが、さらに新しい文化を加えて高めていくことの必要性も挙げられました。スローフードの運動はその意味で、非常に大きな意義を持つと思いますが、昨年の都市問題会議では、スローライフという言葉もキーワードに挙げられており、私たちの生活の考え方自体を、大きく変えていく必要性を感じました。
 もう一つは、以前、私共の大学に、アメリカのマサチューセッツ大学から果樹の先生が来られ、クランベリーはアメリカ東部で大きな産業になっており、北海道は気候も似ており、湿地も多いので、普及させたいということでした。それでいろいろ活動されましたが、あまり普及しませんでした。アメリカの場合、クランベリーには特別な意味があります。それは、サンクスギビング・デーの日に、七面鳥にかけるクランベリーソースの需要がたいへん大きく、開拓の歴史に遡る非常に重要な意味があり、特別な物語性をもっているわけです。高田市長や林さんのお話にもあったように、何か物語につながるような食べ物のありかたも必要ではないかと思います。


パネリスト



坂本ビル(株)・坂本商事(株)代表取締役社長  坂 本 和 昭



 私はプロのマジシャンになりたくて、ずっとマジックをやっていたのですが、“民度が高かった”ものですから、父のパターナリズムを受け入れ、父の会社に入り、現在に至っております。
 ご紹介頂いている「北の屋台」は、ボランティアの活動です。現在、北の屋台ばかりがクローズアップされていますが、実は私共の活動は、地球環境問題に貢献しようということで、「十勝場所と環境ラボラトリー」という組織で、96年3月から九つの事業を同時に展開しております。北の屋台はその中の一つで、地方都市における中心街のあり方を考えようという、都市構想プロジェクトがあり、これが発展して独立したのが北の屋台です。その他に八つの事業を展開していますが、時間の都合で割愛いたします。
 私たちがなぜ屋台をやろうとしたのかというと、改装するなどで、全国のまちが非常にきれいになっていますが、無機質化してしまっているのではないか。本来まちというのは、大通りもあれば裏通りもあり、路地もある。いろいろなものがあって、初めてまちなのではないか。つまり、生活の場がまちの良さであって、きれいなだけではいけないのではないか。屋台のように、猥雑なものがあってもいいのではないか、という考えが一つありました。
 もう一つは、大企業と我々のような零細企業が同じ土俵で闘っても、これは絶対勝てないことがわかってきました。大型の企業は、中小企業の事業でいいものがあれば、平気で真似をします。そうすると、資本力では絶対に勝てない。結局、零細・中小企業は、乾いた雑巾を搾るがごとく懸命に経営努力をしますが、最後には資本力で負けてしまうパターンが、これまで非常に多かった。我々は、大手資本が絶対に参加しない、かついい商売はないか模索した中で、屋台は面白いとなったわけです。
 屋台に大手資本が参加しない理由ですが、大手資本の商売は人を人でなくしてしまい、ロボット化してしまう。働き手は全部マニュアルで動く人間ばかりで、個性のある働き方をされると困るわけです。結局、働く人間の個性を殺すということが、大手の商売である。つまり、その人間が風邪で休もうが、辞めたいと言おうが、代わりの人間はいくらでもいるというのが、大手の商売です。それに対抗して我々がやろうとしているのは、人を中心とした、人の個性が輝く商売であり、それはマニュアル化することは不可能であろう。そうであれば、全国展開など無理なので、例え屋台がどんなに儲かっていようが、大手資本は参画しないと考え、屋台を選んだわけです。
 当時、屋台は、この世の中で一番簡単にできる商売だと考えていました。商売の原点ですし、世界中にあります。日本でも、江戸時代から非常に盛んに行われていた商売です。ところがよくよく調べていくと、日本で新しくやるには一番難しい商売であることが判明しました。というのは、屋台といえば福岡が非常に有名ですが、これは現在営業されている方一代限りの既得権であり、その方々が辞めてしまうと、跡を継ぐことができない。新規参入ができない商売が屋台です。ですから屋台は、今後日本全国、年を経るごとに減ってゆき、正式な許可を貰っている屋台は、いずれなくなると言われている、いわゆる絶滅種の商売なわけです。我々は当初、福岡の屋台の真似をしようと視察に行ったり、世界中を回って調べましたが、結局そういう法律上の問題があり、現在の屋台という方式ではできないことがわかりました。
 では、適正に法律をクリアする方法で、なおかつ新規参入できるような屋台の方法を考え出してやろう。そうすれば、帯広が21世紀型の屋台の発祥の地になる。これを全国に広めることにより、帯広という場所を活性化してやろうと考えたわけです。我々の調査では昨日現在、全国に44ヵ所、我々をモデルにした屋台村ができていたり、企画の途中であり、全国各地に北の屋台をモデルにした屋台村が、少しずつできてきつつあります。
 屋台のよさは、先ほど言ったように人の個性です。個性とは何かというと、コミュニケーションであります。最近のまちの中で失われているのは、コミュニケーションだろう。我々が、大手が真似のできない商売として、人を考えてきた中で、もっとコミュニケーションを重視した商売の仕方を考えていきたい。「便利さが殺すコミュニケーション」、これは私の造語ですが、どうも便利にすればするほどコミュニケーションを必要としないのではないか。むしろ、「不便さが生み出すコミュニケーション」があるのではないか。我々が屋台を考えていく中で、日本において屋台が300年以上続いたのはなぜか。先人の方々の知恵、ノウハウが非常に凝縮されているのが、屋台であると分かってきました。
 たった3坪くらいですが、これはほとんど世界共通の大きさです。1人の人間が相手にできるのは、最大10名だろうと考えています。3坪くらいの大きさの中に、10名を並べるところで商売ができますが、コの字型のカウンターにすることにより、放射状にコミュニケーションが発生します。寿司屋のカウンター形式にすると、店主とお客が常に対峙していないとできませんが、コの字型にすると、お客同士が勝手に会話をしてくれる。その間に店主が物を作ったり、洗い物をする時間が生まれるので、1人でも対応できます。直線の形にしてしまうと、これがなかなかできないなど、経験上積み重ねた知恵がいろいろあります。私共はそれらを研究し、北の屋台は、わざと不便に設計し、わざと不便に作っているわけです。
 ところが、これからつくろうとしている44ヵ所の方々が、帯広の北の屋台を見に来て、「ここは不便だし非効率だから直した方がいい」と、お帰りになってから直してしまいます。これは改悪です。我々が意図していること、なぜ屋台なのかという意味合いをさっぱり理解していない。屋台という形式だけで儲かると思い、方式だけを真似し、効率化しようとして直してしまう。効率化するのなら、何も屋台にする必要はないわけで、きちんとした店にすればいい。効率化ばかりが商売ではないだろう、という印象がありました。
 美味しいものを集めるだけなら、これも資本に勝てないので、美味しく食べる術を考えました。美味しく食べるということは、会話をしながら食べるということです。1人で黙々と食べるのではなく、いろいろな人たちと会話することがまた楽しいわけです。
 もう一つは、場所性を考えてもらいたいということです。建物の中に屋台風のものを入れても、すぐに飽きてしまうと思います。現実に、我々の前に建物の中にある屋台村が全国各地にできましたが、ほとんどが駄目になってしまいました。それは、せっかくその地域の四季などを感じられる場所を、わざわざ室内に作ってしまうと、北海道であろうが沖縄であろうが、全部同じ気候になってしまうわけです。それはつまらない。むしろ、北海道の寒さは寒さとして受け入れよう。夏の清々しい時期は、開放的な空間で食べよう。寒くなってきたら、囲って暖を取ろう、というように四季折々にかたちが変わっていく。また、例えば同じメニューであっても、晴れの日に食べるのと、雨の日に食べるのでは、感じ方が変わってきます。屋台に毎日のようにお客さんが来てくれるのは、毎日同じものを食べても飽きないからです。だから、地元の人たちが、毎日のようにリピーターとして来てくれることが、我々の商売が繁昌している大きな要因であるわけです。
 我々は最初から、地元の人たちに支持して頂ける屋台を作ろうと、地産地消事業に非常に力を入れました。なぜかというと、大農業地帯である十勝地方、帯広市内に住んでいる住民は、十勝で何が作られているか、それがどこに行き、どう食べられているのかすら分からなかった。食べたこともなかった。下手をすると、東京の築地に一旦送って、逆にこちらに戻ってきてから食べる、そんな変な現象も起きていることがわかってきました。地元農家の方々も、地元の消費者を、最初から相手にしていなかった部分があります。
 ところが、地元の農家4軒の方々が、「農屋」という屋台を作ってくれ、そこと関わり合いを持つようになったとき、色々な農家の方々が、「実はこんなものを作っている」と、今まで十勝の市場に卸していなかった珍しく、美味しいものをどんどん提供してくれるようになりました。地元の人間がそれを食べて、「これは何? 食べたことがない」「こんなに美味しいものだと知らなかった」という感想を、屋台の中でどんどん言うようになってきました。また、それを持ち込んできた農家の方々が、横でその話を聞いているわけです。そうすると、これまでエンドユーザーの感想など必要としていなかった農家ですから、自分で作ったものは、そのままトラックに載せて運んでしまう流通の仕方だから、何処に運ばれているのか?どう調理されているのか?知らなかったのです。それが、北の屋台では、自分の作った作物の評価がエンドユーザーから直接聞けるわけです。嬉しくなった農家はお客に、土づくりのこだわり等の薀蓄話をします。このお客さんが今度は他の地域から来た人にその薀蓄を披露する現象がおこりました。何のことはない、自分が暮らすまちの「自慢」をしているのです。「自慢」が「誇り」に昇華したので北の屋台は上手くいっているのです。また、有機野菜農家が自分の作った作物を自分で売るということを、北の屋台の広場で行っています。これらの作物を、北の屋台の店主たちが買い、自分たちの店で調理して出していました。今では、周りの飲食店経営者や主婦の方々が買いに来てくれ、非常に大きな売り上げをあげるようになってきました。
 我々が北の屋台をやってきた中で、一番の経済効果ですが、北の屋台を作る前は、駐車場でした。その前は、連売の屋根のかかった真ん中に通路を設け、小分けして食料品の販売店が並んでいる市場でした。98年に火災で焼けてしまい、その後駐車場として使っていましたが、19台しか止まれないような場所でした。ですから、せっかくの市場が、年間を通して19人しか使っていない場所になってしまったわけです。ところが我々がそこを借り受け、北の屋台にしたところ、去年1年間で18万人のお客さんに来て頂ける場所になりました。9,000倍以上、1万倍に近い人が活用してくれる場所になったわけです。年間2万円×19台×12ヵ月、456万円の駐車場料金収入しかなかった場所が、3億3,000万円を売り上げる場所になった。しかもそこで20数名の人たちが、生活できる場所になってきた。非常に大きな成果が上がっていると思っています。
 つい先日、帯広の商工会議所が実施した通行量調査の中で、北の屋台周辺だけ歩行者数が増えているというデータもあります。よく、夜だけお客を呼んでも仕方がないと言う人もいますが、本当は、今まで泊まらなかったところに泊まるようになったのですから、そのお客をつかまえていけば、もっと面白いまちづくりができるのではないかと思っています。

淺川(コーディネータ−)
 お話の中で、美味しく食べるための会話、場所性が大切だというご意見は、改めてなるほどと思いました。コミュニケーションの大事さ、フェイス to フェイスのコミュニケーションでなければならないということだと思います。情報化がどんどん進み、インターネットなどの交流は広がりますが、直接会って会話することの大事さが実証されているように感じました。そしてそれが、都市の中の屋台を通して、周辺の農業地域の方々との交流から連帯へ向かっていく様子が伺え、非常に興味深くお聞きしました。
 まず、小林先生の基調講演にあった、行政と市民のあり方といいましょうか、かなり基本的な問題が提示されていますので、その点についてパネリストの方々に補足をお願いしたいと思います。

高田(パネリスト)
 当事者ですので、言いにくい面と紹介したい面の両方があります。先ほど、富良野の産業と環境、特に資源循環型のまちづくりについて少々触れましたが、このことはまさに行政と市民の協働が形成されているから、富良野がリサイクルのまちとして取り組めるのだと思っています。
 富良野では昭和60年までは、埋めたて中心のごみの処理方法でしたが、臭気や害獣の問題から、新たな埋立地の確保ができない。そのことから、行政が中心になりそれまで埋め立て、焼却していたごみを、分別することによって資源として活用できるのではないか。また、市民に分別してもらうことにより、ごみの発生も抑制できるのではないか。このことから、昭和60年に新たなごみの分別収集の基本を考え、「分ければ資源、混ぜればごみ」を合い言葉に、生ごみは有機物生産に活用する。燃えるごみは、RF(固形燃料)を生産し、地場の公共施設で燃料にする。最終的に処理できないものは、焼却をする。こうした方式をとり、60年から具体的なごみの分別収集、処理方式がスタートしました。
 その後平成11年、北海道の広域共同処理計画が出され、道内26ブロックに分け共同処理することにより、北海道の環境を維持するという基本計画でしたが、富良野市は、広域共同処理計画を、広域分担処理とし、それぞれの自治体がごみ処理を責任を持って行う。効率化からいえば若干かたちが違いますが、コストの低減を図ることから、運賃はかかりますが、処理全体のコストを引き下げる。また、住民対応についても、分担処理によってごみを発生させない。五つの自治体がそれぞれ、一般廃棄物の処理について責任を持つ。これらの計画を5市町村でたて、その後、ペットボトル、生ごみ、固形燃料、大型ごみを広域で分担しながら処理する計画を実施しているところです。
 その中で富良野が中心となり、平成13年度から14種分別を開始し、「燃やさない、埋めない、リサイクル化99%」を目標に、焼却炉も13年度で廃止し、下水道汚泥の堆肥化、屎尿と生ごみ、合併浄化槽から発生する汚泥の堆肥化を具体的に推進しました。現在、93.3%のリサイクル化となっております。
 併せて、行政がこういう取り組みを、住民と積極的に取り組んでいることもあり、農業団体としても、生産の中で発生する「農業残渣」、これは選果場の中から、タマネギ、ニンジンの屑など、いろいろな残渣物が発生しますが、これらを畜産の廃棄物と混合し、大型の堆肥場を持ち農業家に供給する方法を確立しています。私共がリサイクル化できたのは、富良野の都市下水においては、金属産業がなかったことで、農業者に理解頂き生ごみの堆肥化が可能でした。またその原点は、市民と行政が協働し、市民の方々に分別してもらい、行政が責任を持って収集・処理をする。
 これを確立したことによる最大の効果は、60年までは“市役所のカラス”が大発生し、まちの中や農作物に大変な被害を及ぼしました。住民からも、市役所のカラスを何とかしてくれと苦情が多くありました。現在の分別収集になったところ、まちからカラスがほとんどいなくなりました。行政と市民の協働による、大きな成果のあらわれだと思っております。今後も、出したごみを資源として活用することにより、循環型の地域社会を形成していきながら、リサイクル化99%を目標に進みたいと考えています。これが富良野の資源循環型地域社会の一端ですが、いずれも農業都市ということが基盤にあるから、実施が可能だったと思いますし、住民の理解も頂いております。

淺川(コーディネータ−)
 都市と農村との関係で、一番大きな問題は、廃棄物の循環です。日本の古い時代はうまくいったものが、戦後の高度成長期以降、特に、大量消費社会の中で大きく変わった背景があります。今後、新しい考えと技術で循環を取り戻すことが大きな課題となっていますが、それを率先されていると感じました。
 他のパネリストの方にも、補足を含めお伺いします。出村先生、農業は専業ばかりでなく多様な農業形態があると思いますが、農地の例えば産業として農業を考えたとき、仮にゼロ次から 3 次までに分けて考えるとわかりやすいと思います。都市の中であれば、市民農園のように、田園地帯でも、田園住宅のように趣味で作物を栽培することはあるかも知れませんが、それらは産業ではなく、ゼロ次農業とでもいうべきものであります。また、本来の一次産業としての農業に兼業や多様な協業を取り込んだ一次的農業があり、さらに、専業として機能的な農業を目指すいわば二次産業的な二次的農業があります。また、三次農業とはホビー農業とでもいいましょうか、例えば定年後やほかに職業を持ちながら、趣味的要素を含みながら市民農園よりはるかに広い面積でより自由に生産や販売を考えて行う農業もあるように思います。いろいろな農地の利用の仕方が考えられると思いますが、北海道の課題やご意見がありましたらお聞かせください。

出村(パネリスト)
 北海道だけでなく日本の農業を考えると、農地と労働力といいますか、農業者の問題が最も根本になります。農業労働力や農業経営者の場合は、新規参入や法人化により、ある程度多様な動きが進んでいます。一番の根本は農地です。自動車産業を含め、様々な産業が海外進出し、逆輸入のようなかたちで展開していますが、農業の場合は、「農地」という固有の資源を国内に持っています。アメリカの農地を使って、日本人が消費する農産物を輸入している。その意味では、非常に効率的かもしれませんが、本来ある、日本の貴重な資源である農地を、有効に利用しなければなりません。その意味で、農地の利用は非常に重要になってきます。
 農水省は、干拓を含めて新しい農地造成はしない。大きな目標は、優良農地をいかに確保し、それを集積する。一方では耕作放棄地をなくそうとしています。小さな利用の仕方で農業に対し多様な取り組みをしていますし、付加価値をつけ、安全・安心・高品質で消費者が望むような農産物をつくることも必要ですが、一方では、コストダウンを図っていく必要もあります。そうなると規模拡大が絶対必要で、今までの農業政策あるいは農業協同組合の扱いは、政策ですからオールジャパンです。しかしこれからは、農業地帯、食糧生産地帯として、北海道、東北、九州といった地域なり、特定の担い手というかたちでの対応が必要です。
 しかし、東京都や札幌市など、都市の中にもいわゆる農地があります。この利用についても、都市計画を考えるうえで非常に大きい問題だと思います。農村地帯で必要である農地を、どのように有効利用していくのか。その一つの方法としては、専業農家や認定農家に農地を集積し、中心にやっていく。また政策においても、財政手当を充てていこうという大きな流れがあります。ただ、本州のような中山間地帯や、規模の小さいところでは、集落営農といいますか、地域全体でみていこうという動きがあるので、非常に矛盾するところだと思います。難しいのは、農地という個人の資産をどうするのか。そこで、本日の基調講演のように、温情的干渉、地域のためというかたちで、行政や地域が知恵を絞ることが必要だと思います。
 農地の問題から言えば、「株式会社の参入」と「法人化」があります。私は北海道の場合、法人化が絶対必要だと思います。かつて、士幌農協の太田組合長が、北海道一農協を言われました。例えば20ha持っている農家が5戸集まっても、たかが100haです。法人にするにはまだまだ規模が小さいと思います。もっともっと大きな、メガファームもこれからできてくるでしょうし、一方では農地の多様な利用もあるでしょう。リタイアした人の中にも、農村で悠々自適で農的な生活を送りたいという人が、たくさんいると思います。昔は、農業をするということは、農地という資産を持つことでしたが、今は必ずしもそうではありません。
 士幌農協でも、リース農場を行っています。興味深く聞いたのは、誰でもというのではなく、30代、60代の二つの層が、新規参入で成功するそうです。30代は、これからそこで30年間生活して子供を育て、60歳になったとき、ある程度の貯金を退職金にしてリタイアする。そういう若い人は、資産として農地を持つ必要がありません。リース農場の場合は、かなり大きな住宅までついています。60代というのは、あと10年間農的生活をしたい。リース農場であまり労働負担のない、例えばハウスものを手がけ、年間粗収入1,000万円くらい稼ぎ、10〜15年後にリタイアする。ホビーファームにしろ、今後様々な形態ができてくると思います。一方はメガ、他方は小さな農的試みが可能なよう、知恵を絞る必要があります。そのためには、まだまだ規制緩和が必要だと思います。それは行政の責任だと思います。

淺川(コーディネータ−)
 林さんには、やはり食文化についてお聞きします。昔聞いたことがあるのですが、味は三代といって、小さい頃に味覚がある程度出来上がるので、小さい時に食べた味が後まで響いてくる。そのため祖父母から両親が食べていたものにも影響されるということのようです。関西では塩昆布をよく食べますが、材料を供給している北海道では、塩昆布は売れません。これはやはり薄味の料理の中で、最後に塩昆布がぴりっと効くためなのかと思います。いろいろな地域で北海道の料理、食文化を発掘してこられ、また、新しい料理のあり方も考えておられると思います。食育も含め、お話し頂ければと思います。

林(パネリスト)
 食育という点で一歩進めて、食農教育がもっと進めばいいと思っています。修学旅行で農業を体験に来ているそうですが、意外に北海道の子供たちは、体験していないとも聞きます。他府県から修学旅行に来ている割に、北海道の場合は従来型のことが多いそうで、子供たちの味覚教育も大切ですが、「食農教育」をもっと進めてほしいと思います。先ほど、富良野の素晴らしい学校農園のお話を聞きましたが、こういうことがもっと進んでほしいと思います。
 北海道は他府県とは違い、アメリカの開拓技術が導入されたこともあり、食文化自体が非常に洋風です。先ほど、グリーンツーリズムで農家のお母さんたちが料理を作ってくれたと話しましたが、例えば九州でそういうお料理が出ると、純日本風のものがずらりと並びます。北海道では、もちろんお握りやお鮨もありますが、洋風なものも並びます。これには、他府県と違う食文化があるからだと思います。塩昆布のお話もそうですが、北海道はこれだけたくさんの食材があるのに、牛乳の摂取量も少なく、野菜の摂取量も非常に少ない。せっかく素晴らしい生産地なのに、消費者が利用しないし、理解もしていないのかと残念に思います。
 都市と農村の連携について述べると、最近はずいぶん農業体験を楽しむこと、例えば芋掘り、アスパラ採りなどが盛んになっていますが、これを一歩進め、通年農家に通うようなシステムが広がってほしいと思います。旭川では「二世紀塾」というものがずっと行われていて、人集めは市役所がしていますが、旭川の米づくりや畑作農家に5・6人の生徒が行き、1年間学ぶというものです。田植えだけ、收穫だけでなく、1年間農家に通うことで、たいへん親密な関係になっていきます。例えば新規就農希望者や、定年を機に農家になりたいという人たちが通います。しかも、1年だけでなく、何回も“留年”して通い続ける人もいるそうです。その方たちが、農家のサポーター、援農のボランティアまでしています。先日も札幌のシンポジウムで、山川さんという農家のお母さんとご一緒しましたが、収穫の忙しい時期でした。山川さんが札幌に出て来られたのは、「二世紀塾」の塾生たちが、援農に来てくれたからだという話を聞き、感激しました。そういう農家を支えられるような消費者も、これから育っていくと思います。
 それから、消費者が支える北海道の食文化という視点も、私は大切だと思います。例えば、消費者がどういう料理を注文するか、どういう物を買うかで、その地域の食文化は変わっていくと思います。とても残念な例としてご紹介しますが、ある有名な農業系の先生の出版記念会がありました。お米にとても力を入れている先生であったのに、サンドイッチが供されていました。発起人代表は、「自分は先生を盛り立てたいと思っていたのに、末端の若いスタッフにまで伝わらなかった。会費に合わせてジュースとサンドイッチになったのかもしれない」と反省していましたが、お握りとみそ汁という選択もあったわけです。普通の消費者が、北海道の食文化を支える担い手になれると思います。やはり小さい頃からの食育とか食農教育の体験がとても重要だと思います。
 先日、コープさっぽろの農業交流賞審査に行きました。たくさんの作文が応募されていましたが、札幌の小中学生はほとんど農業体験をしたことがありません。作文では、朝、水田に行くのがすごく嫌だったと書いている子が多い。でも、田圃に行って、農家の人たちにいろいろなことを教わり、実際に水田に入ったら、「ヌルッとしたけど楽しかった」とか、「本当に農家の苦労がわかった」など、感動的なものがたくさんありました。バーチャルではなく、農村地帯に一人でも多くの人が行くことが大切だと思います。
 農村地帯の多面的機能がいわれていますが、先日のグリーンツーリズム大会の中では、多面的機能から一歩進め、多面的な価値があるから、日本国全体が日本の農業存続を考える時代になったという話題が出されるくらい、農業・農村のもつ多面的な価値を、都会の人たちに伝えていくべきだと痛感しております。

淺川(コーディネーター)
 私は農学部におり、現在農学部附属ではありませんが大学の農場を持っています。以前、その外部点検評価の際に、農業試験場の場長さんが、最近入ってくる農学部卒の学生は、栽培の方法を全く知らない、これを何とかしてほしいと言われました。確かに大学では研究などの面では進んでいますが、栽培を直接教える機会は少なくなり、実習はありますが、時間の制約があって、習得するレベルも低くなっているように思います。大学の農学部でもそうですから、他のところでは益々農から離れてしまう方が多いと思います。多くの人に農を支える立場に立ってもらうには、農のことを知ってもらわなければなりません。ある程度自分でやって、初めて理解することが多いのですから、やはり小さい時から農についての教育が必要だと改めて感じました。

林(パネリスト)
 先日、東大の生源寺先生たちとシンポジウムでご一緒しました。東大農学部でも、農業をあまりに理解しない学生が集まっている。本格的に、全員を農家に農業実習に行かせるという研修システムを考え出しているそうです。教育者の皆さんも危機感を持っておられると思いました。

淺川(コーディネータ−)
  大学の農学部は、自分で農業をしないまでも、農業のことをきちんとPRできる人材を育てなければなりません。それでは坂本さんには、まちの中に賑わいをつくりだしている北の屋台を運営されている中で、様々な規制も多かったと思います。それをクリアしながら成功されましたが、行政や規制の関係についてもお話し願います。

坂本(パネリスト)
 福岡の屋台を取り巻く法律は四つあり、道路法、道路交通法、公園法、食品衛生法が、福岡の屋台をがんじがらめにしています。我々もこの四つの法律をクリアしないと、新たに屋台ができないので、いろいろな方策を考えました。最初の三つは場所の問題で、民有地を使うことでクリアすることができました。食品衛生法が難しかったのですが、各地域の条例によって違いがあり一概には言えませんが、意外と担当者の考え方によって違います。各地に行って、屋台の指導をするうえで、保健所とのやりとりに違いがあります。この辺が、結構厳しいところだと思います。
 我々が屋台村をつくる際に、新たに二つの法律が出てきました。「消防法」と「建築基準法」です。福岡の屋台は露店の扱いですが、「食品衛生法」には、食べ物を提供する際は屋根と三方を囲う壁が必要である、という法律があります。屋根は雨が入らないように、壁は毒物混入の関係で、作り手以外の人間が入らないようにするためで、毎日、物を作る場所を組み立てなければ商売ができません。我々は民有地なので、最初から設置してはどうかという発想がコロンブスの卵になり、種々の考え方が生まれてきたわけです。
 つまり、福岡の屋台は、既得権をたいへん大きな権利であると思っていて、新しい発想が生まれてこなかった。道路上で営業できることが、すごい権利であると思っているわけです。彼らは、その道路上で商売をするために、毎日1時間かけて屋台を組み立て、夕方6時から翌朝3時までという時間制限の中で営業し、2時間かけて解体しリヤカーに積み込み、保管している場所まで運ばねばなりません。これを毎日繰り返しているわけです。既得権で道路上で営業できるから、それを苦だと思っていませんが、営業する場所と保管している場所の距離感は、目と鼻の先です。道路上に置いておけないので、すぐそばに月極め駐車場を借りて保管しています。1軒分の店の道具が全部積まれているので、500〜800sあるものを、毎日営業場所と保管場所を往復しなければならない。でも、それは目と鼻の先なのだから、駐車場を全部借り切ってしまえばいい、というのが我々の発想です。場所的には大差がないし、借り切ってしまうのだから、上下水道、ガス、電気、トイレも設置しようという発想から北の屋台が生まれました。
 その結果、大きなおまけがついてきました。福岡の屋台は露店の扱いなので、生物や冷たい物を出せないなど、メニューに制約があります。お客の口に入る直前に熱処理をした、熱い物しか出せない。蕎麦でいうと、掛蕎麦はいいが、盛り蕎麦は駄目、サラダは駄目で温野菜にしなさいということです。ところが、我々が発想を変え、民有地を借り切って厨房を作ろうと保健所に相談すると、飲食店としての許可がもらえることが分かりました。露店ではなく飲食店ですから、メニューに制約がなくなります。現在18種類の店がありますが、何でも出せるようになった。それに対し福岡の屋台は、ラーメン、おでん、焼き鳥、天ぷらが4大メニューです。北の屋台は寿司も出せるし、刺身やサラダ、何でもOKになりました。既得権という概念から離れることによって、とても面白い発想が生まれます。それにしがみついていると、なかなか面白いものができないことを、我々が実証してみせたと思います。
 我々が行っている事業の中に、『スノーフィールド・カフェ』があります。北海道の場合、半年間は雪に埋もれ、畑を使っていません。これはもったいない、何かに使えないのかと、景観が抜群の畑を借り、ビニールハウスのレストランを建てました。畑に雪が降らないと車が入れないので、営業できるのは12月末から、雪が解け始める3月初旬までの2ヵ月少々です。本格的なフランス料理の店ですが、今年はイタリア料理にしました。これがものすごく評判で、観光客だけでなく、地元のお客さんがリピーターとして毎日のように来ます。ビニールハウスとレストランのギャップも面白いのでしょうが、日高山脈に沈む夕陽を見ながらディナーを楽しめ、非常に好評です。これは、農地法や農業法など種々の法律がありますが、適正にクリアしています。
 規制があると何もできないと考えがちですが、試行錯誤していくと、行政の方々も柔軟な発想をしてくれ、逆にアドバイスしてくれるようになりました。これによって農家の人たちが、今まで冬の間働くことができず、裕福な方は旅行に行ったり、若い連中はパチンコばかりやっていたのが、そこでウェイターなどとして働くこともできます。我々は、農家は冬の間遊んでいるのではなく、自分たちが夏に作ったものを活用しながら、お金を稼ごうという実験をしているわけです。これを冬だけでなく、夏の営業も目指していますが、冬より規制が厳しく、なかなか実現していません。規制が邪魔をしている部分もありますが、その規制をクリアしていくことは、クイズを解くように非常に面白い行為です。皆がいろいろなアイディアを出して、非常に盛り上がることが分かってきました。

淺川(コーディネータ−)
 乗り越える山があると、意欲も高まるという心強いお話でした。ここで、会場の皆様からご質問・ご意見を受けたいと思います。

フロアから質問
 一昨年は富良野市、昨年は、北の屋台が圧倒的な差で総理大臣賞を受賞されました。こうした賞の効果についてお伺いしたいのと、北海道知事が優良事例にもっと知事賞、あるいは推薦状を出してもいいと思っています。場合によっては、北大賞などあってもいいと思うくらいです。この点、お考えがあればお聞かせください。

出村(パネリスト)
 もっと賞を設けることに、私は大賛成です。金一封を伴わない、高橋知事の賞状だけでもいいと思います。名誉だけであっても、たくさん賞を与えることによって、受ける方も地元も活気づくと思います。北大でも学生にクラーク賞や新渡戸稲造賞など、いろいろ賞を与えて、学生のやる気を引き出しています。顕彰することは、非常にいいことだと思います。賞が高い価値を持つのは、希少性もそうですが、元気づけるためにも大賛成です。

林(パネリスト)
 先ほど話題にした「コープさっぽろの農業賞」の大賞は、賞金は同じですが、北海道知事賞とコープさっぽろ会長賞です。やはりその差はすごくあるようで、審査会に加わっていても、金額の問題ではなく知事賞の重さを強く感じます。今のご提案が、何かのかたちでつながるといいなと思いました。やはり賞をもらった坂本さんは嬉しいと思いますが…。

坂本(パネリスト)
 もらった立場から言いますと、非常に励みになります。我々は96年からいろいろな活動をする中で、今まで様々な提案をしてきました。これまでは全く見向きもされなかったのに、賞をもらうと地元の人たちの評価も上がり、少しは話に耳を傾けてくれるようになりました。これはまちづくりをしている中で、非常に大きな効果だと思います。地域でいろいろな活動をしている人たちの、声が届きやすくなると思います。

高田(パネリスト)
 私も、そうした賞を与えてくれることはとても有り難いし、まちづくりの推進団体の人々は、賞をもらうことによって、さらに飛躍できると思います。私どもが授賞した「演劇工房」は、それによって多くの市民に認知してもらいました。また昨年、いち早く指定管理者制度で演劇工場を5年間運営し、今年は地域創造の支援も頂いてアメリカに視察に行き、これからのまちづくりについて大変勉強させて頂きました。お世話になって素晴らしい賞を頂いたことが、飛躍のきっかけになっていると考えており、今後もいろいろな賞を設けて頂き、住民活動の後押しをしてほしいと思います。

淺川(コーディネータ−)
 林先生にコメントを頂きたいと思います。農業体験、ファームインその他の話題について、私も一昨年まで、かれこれ9年ほど、追分町に行ってはソバや長芋を作ったり、田植えをしたりしてきました。たいへん楽しく、精神的にもたいへん満足を得ました。その体験をベースに考えますと、なぜそれができたか。藤沢さんもメンバーの一人ですが、なぜそこまで続いたかというと、私共の側に取りまとめ役の方がおられた。もう一つは、追分の側にも、私共と遊んでくださる方々がいらした。それが何年も続いた理由だと思います。地元の方はリタイアをされたお年寄りで、気楽に好き勝手を許してくれました。成功のポイントは、私共は素人ですから、上手にできるはずがない。我々は土日に泊まりがけで行きますが、その後ちゃんとフォローしてくださり、除草の時期などを知らせ、アドバイスしてくれます。併せて、夜の交流会で一緒にお酒を飲み、楽しく過ごしてくれます。言ってみれば遊び相手です。こういう方々が、うまくそこにおられるかどうか。また、そういう人たちと、うまくつないでくれる人がいるかどうかが、一つのポイントのような気がします。
 なぜそうして付き合ってくれる方が大切かというと、実際に営農をされている息子さんの世代は、仕事だけで精一杯です。とても私共のような者に付き合ってくれない。ただ、時々は付き合ってくれます。要するに、現場とフロントをうまく切り分けた観光農業が必要であります。フロント側をどうつくっていくかが大事ではないかと思いますので、お気づきの点があったらお聞かせください。

林(パネリスト)
 先ほどパチンコの話が出ましたが、確かにシニア世代の皆さん方がパークゴルフに行っていて、年輩の方々の地域活動参加が少なくなっているという話も聞きます。経験豊かなシニア世代の人たちが、是非都会の消費者グループの橋渡し役になってくださったら、生産だけではない癒しの部分など、多面的価値としての北海道農業が盛んになると思います。若い世代にも熱心な方はおられます。私は「食・農わくわくネットワーク」というグループにも加わっていますが、そこでは本当に若い農業者が都会の人たちの受け入れをしてくれています。こうしたNPO的なグループや、市民グループが盛んになってきていますから、こういう方たちが橋渡し役をしてくれると思います。
 東京練馬区の例ですが、練馬で農家をしている白石さんという方は、農業塾のようなものを開き、市民農園の活動をしています。北海道でもこうした動きが広まるだろうと思います。地域づくりグループと農業者のグループが一緒に考えることは、今まで以上に必要になってくると思います。それが進めば、NPOが農地を持つことも夢ではない時代になると思います。

高田(パネリスト)
 今お話にあったように、どういうシステムを作っていくか、人の対応ができるかが大事であります。富良野には多くの農産物があり、手間隙がかかるものが多い。元々は市内消費者のお母さん方、あるいは近隣の炭鉱離職者が、富良野農業の大きな応援隊でした。野外での仕事は、地元消費者のお母さん方に来て頂けなくなった。それで、国の事業を活用し、富良野で農業を試みたい若い男女を、毎年120人招いています。消費者と生産者の交流施設というかたちになっていますが、いわゆるヘルパー寮を設けています。女性80名、男性40名の多くはフリーターで、定職を持たない人たちです。富良野に一夏来て頂き、中には冬も富良野にいて、他産業で仕事をしながら、寮で生活している人も年々増えています。そういう消費地からの農業理解者に、実際に農業の仕事をしてもらう。
 また、倉本先生の富良野塾は、1期2期に分かれ、1期に俳優・脚本家合わせて30人います。ほとんどが農業を少しもしたことのない人たちです。中には国家公務員を離職したり、大企業の退職者、あるいは職業に就いていなかったが、どうしても俳優になりたいという多くの人がいます。2年間、この人たちのほとんどが何で生活するかというと、半年の間、農業をしながら自分の生活の糧を蓄えてもらう。勉強は夜と冬期間です。富良野塾はもう22年になり、このようにして多くの若者が育っています。私はこの塾の卒業式に出席していますが、入ったときには本当に務まるのか疑問を感じますが、卒業の際は、卒業生のほとんどの人たちが、富良野で生きることの喜びを掴めた。だから、どこへ行っても生活ができる。それは何といっても、6ヵ月間、農業で力仕事をし、太陽の照りつける中で働く中で、生きることをしっかり感じ取っている。そのことが大変嬉しく、卒業する人たちも本当に生き生きとして、富良野に来てよかったと喜びを感じている。農業には、勤労意欲も含め、そういう実感を得られる職業であります。
 ただ、全体としては皆さんも言われたように、農業者の担い手がなかなかいなくなった。それが地元でも大きな問題であるし、今後も行政と農業団体が連携しながら、担い手の確保を図らねばならないと思います。有り難いことには、消費者の方から農業をしてみたいとか、農業者に嫁ぎたいという、今までになかった声も大きくなっていることは間違いありません。地元の担い手がもう一度、農業をやるんだと立ち上がれるよう、議会の皆さんと知恵を出し合いながら取り組んでいるのが現状です。

まとめ


淺川(コーディネータ−)
 高田市長のお話のように、一番大きな課題は農地・農業を維持していく担い手を育てることで、都市との関係も単なる交流に止めず、連携の中で、その大きな課題に応えていけるよう考えなければならないということであります。農業都市論の視点からすると、これまでのユートピア的な都市論として、20世紀初頭のハワードの田園都市が非常に有名です。それはハワードの主旨とは違って、緑の多い都市あるいは住宅地づくりという面で影響を与えましたが、理念にはあっても実現されなかったものに、農業と都市との循環という視点がありました。新たな視点で、それをもう一度考え直す必要があると思います。さらに挙げられるのはコミュニティに関してで、協同組合的な組織が都市を運営し、密接なコミュニティを意図していました。それはある程度の都市では実現化されていると聞いております。
 もう一方はあまり知られていないのですが、アメリカの大平原都市という概念が、有名な建築家であるライトによって出されております。これは1930年代でありますが、非常に面白いのは、アメリカの広大な大平原の中に、分散した都市、集中化しない都市をつくる。その基本はジェファーソンにあり、それぞれ独立し自立した農業者、農家が、アメリカの民主主義を築いてきたというベースに立っています。そこではそれぞれが農地を持ち、パートタイム農業を営みながら、他の仕事もするという単位であります。これは、そのままのかたちで実現された例はありませんが、アメリカの中で非常に大規模な敷地を持ち、農業地帯や自然の中で分散して生活する人たちは結構多く、情報化時代の日本でもそのような居住がある程度可能なる状況になってきております。
 しかし、そこに忘れられていたのは、「コミュニティ」の考えと、「フェイス to フェイス」の大切さです。全く独立・自立した、強いアメリカ人のイメージが根底にあるそのような都市像は、日本には合わない感じがいたします。
 本日いろいろなお話し頂いた中で、北海道の農業都市のあり方についての輪郭、おぼろげながら浮かんできたきたような印象を受けます。昨年の深川市と同様に、富良野市は典型的なモデルになり得る都市であると考えており、他の都市にも影響しうるよい事例が多く含まれています。基調講演の中で指摘されたように、行政と市民との関わりにおいては、様々な規制も必要であり、それを乗り越える工夫も非常に大事であるというお話もありましたし、新しい条件の中では、新しい規制も必要になってくる場合もあると思われます。地域の景観、ランドスケープをどう守り、作り上げていくかに関しては、個人の努力では足りない部分もあると思います。そうしたルールを作ることも大切で、民度を高めるためには、行政もともに学び、試行錯誤しながら高まっていくプロセスも大切であると感じました。
 農地を巡る具体的な課題は、ここではあまり議論できませんでした。農地の所有権と利用権の問題や、都市と農村地域の計画的な融合のための法的な整備の問題など、検討しなければならない課題が山積しています。それらは別の機会に譲らざるを得ないと思います。ただ、地域の農業のあり方を考えたとき、私たちの分野では、ナラーティヴ・ランドスケープという言葉があります。ナラーティヴとは物語を語るというという意味で、物語を感じ語れるランドスケープが大事であると言っているわけです。これは先ほどの議論の中にも出てきましたが、富良野の場合は倉本氏に物語を創ってもらいましたし、美瑛は前田氏が写真で物語を創られたと思います。作家によって創られるものもあるでしょうし、それぞれの個人が自分で創り出し、それが共鳴して大きくなる物語もあると思います。それらを大事にしながら、地域の資産として農地、都市と農村との新たな関係をつくり上げていくことが大切であると感じました。最後に、この分科会での話題・議論が、まちづくりへの何らかの参考になってほしいと願っています。

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